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「腕をどうしたんだ?」
そう言って、袖を捲ろうと手を伸ばしてくるのは、神出鬼没の第二王子カミーユだった。
「なんでもありません!気軽に触らないでください」
「ダメだ。さっきからずっと腕を庇ってるじゃないか。怪我をしているんだろう?」
「もう!殿下、私は今から紳士クラブに行かないといけないんです!時間がありませんので、構わないでください!」
腕を取られそうになるのを避けながら、エリアスは足早に紳士クラブの前へたどり着く。
街で偶然、バッタリとカミーユに出くわしてしまい、どうにか振り切ろうと試みたが、結局最後までついて来られてしまった。
見目麗しい男性二人が並んで歩けば、街で目立たないわけがない。
まったく、最悪だ。
「殿下、いいですか?私の邪魔はしないでください!」
「邪魔なんてしていないぞ?怪我の確認をしようとしているだけだ」
「ここからは、仕事です。もう、帰ってください」
エリアスは小声でそう告げると、ポケットからイアンにもらった通行証を取り出し、入口に立つ男に差し出す。
「それじゃ、また」
エリアスは、カミーユに挨拶をしてクラブに入って行く。カミーユは何か考えるそぶりをしているが、流石についてはこなかった。
カミーユに挨拶をして、エリアスはクラブの中へと入っていった。
カミーユは何かを考えるような素振りを見せたが、さすがにそれ以上はついてこなかった。
階段を降りると、葉巻の煙と男性用のコロンが混じった香りが空気を満たしていた。
室内に足を踏み入れると、その場にいた男たちの視線が一斉にエリアスへと注がれる。
エリアスは何も言わず、まっすぐ奥に座る男の元へと進む。
「やあ、エリアス様、来てくれたんですね?」
「こんばんは、イアン様、ご招待ありがとうございます」
「こちらの椅子にどうぞ・・・」
「・・・このクラブ、すごいですね。街の真ん中にこんな場所があるなんて、今まで全く知りませんでした」
イアンに案内されて深く腰掛けると、隣の部屋から女たちの笑い声が聞こえてきた。
「・・・ずいぶん華やかですね。紳士クラブという名前なので、女性はいないものかと」
エリアスは薄く笑いながら、イアンから差し出されたグラスを受け取る。
琥珀色の液体が揺れて、ガラスの内側をゆらゆらと滑った。
「ええ。男はどこかで息抜きが必要ですからね。ここは・・・紳士の遊び場です」
エリアスは一口酒を飲み、わざとらしく目を細めてみせた。
イアンはエリアスを見ながら自分も酒に口をつける。
「ここでなら、なんでもできるんですよ。女も、賭けも、秘密の話も。誰も咎めやしない。皆、口が堅いですから」
イアンは笑いながら、指先でテーブルを軽く叩いた。すると、控えていた女が一人、ゆったりと寄ってきて彼の膝に腰を下ろす。
「ねえ、イアン。早く遊んで?あら?お連れ様・・・見たこともないほどいい男じゃない?一緒にどう?」
「・・・あとでね。今は、お客様と話してるんだ」
イアンは女の頬を撫で、エリアスに心変わりした女をさっさと追い払った。
エリアスは目を細めたまま、わざと興味を惹かれたふうに尋ねる。
「イアン様、女性も・・・選び放題ですか?」
「もちろん。気に入った子がいれば・・・」
「そうですか・・・ところで、こちらでは賭け事もできると仰いましたね」
「エリアス様は、賭け事はお好きですか?」
「弱いのですけどね。少し、教えていただければ・・・」
エリアスは控えめに笑った。
夜会では注目の的だった男が、自分に手解きを願い出ている・・・その事実がイアンに優越感をもたらし、彼は機嫌を良くした。
「いいでしょう。せっかく来たんです。たっぷり楽しんでいってください」
イアンは立ち上がり、廊下を進んで奥の部屋へと案内した。
カーテンの向こうからは、男たちの喧騒と歓声、カードを切る音やチップの跳ねる音が漏れている。
少し賭け事を楽しんだだけで、エリアスの前には最初の持ち金の百倍近い金額が積み上がっていた。
「エリアス様、すごいじゃないですか!博才がおありだ!」
酒の勢いもあってか、イアンは気さくに笑いながらエリアスの肩を組んできた。
(確率を見れば、次の手札など見当がつく。これくらい、造作もない)
そこへ「支配人」と名乗る男が近づいてくる。
「お客様、本日はついていらっしゃる。よろしければ、特別なお部屋をご案内できますが・・・いかがでしょう?」
「おお!支配人、我々は例の部屋へ通される通行権を手に入れましたか!?」
父親と同じく、イアンは、まるで周囲に誇示するかのように大きな声で言った。
“我々”などと口にしているが、賭けに勝ったのはあくまでエリアスだ。
「エリアス様、なかなかない機会です。ぜひ、行きましょう!」
イアン自身もその部屋へは入ったことがないのか、目を輝かせてこちらを見ている。
「わかりました。イアン様が行くのならばご一緒いたします」
エリアスの穏やかな言葉に、イアンは満足げに頷いた。
二人は支配人に案内され、階下の重厚な扉の先へと進んだ。
部屋の中央にはポーカーテーブル、そしてその隣には、頑丈な鉄格子の檻がひとつ置かれていた。
「おお!素晴らしい!」
イアンは喜々として檻の近くまで進む。
エリアスもその後に続き、中をのぞいた瞬間・・・瞳がわずかに揺れた。
「本日の賭けは一度きり。景品は、あの檻の中にいる“少女の奴隷”です。勝てば、煮るなり焼くなり、お好きなように。負ければ、先ほどの賞金をすべてお返しいただきますが、よろしいですか?」
支配人は気味の悪い笑みを浮かべながら説明する。
「エリアス様!ぜひ!この女、なかなか綺麗な顔をしてますよ。手に入れたら、快楽でも、少々乱暴でも・・・誰にも咎められないんです!」
檻の中で怯え、震える少女を見つめるイアンの顔には、あからさまな欲望が滲んでいた。
(・・・これが、化けの皮の裏側か)
エリアスの瞳が一瞬、氷のように冷たく光る。
それでも、口元の微笑みは崩れなかった。
支配人とイアンが見守る中、一度きりの賭けが始まる。
エリアスは気分が悪くなり、なるべく檻の方を見ないように努めた。
「よろしいでしょうか?」
トランプを持ったディーラーが確認する。
「ええ。これで結構です」
エリアスは静かに頷き、自分の手札を伏せる。
最初から、勝つつもりなどなかった。
イアンの本性も見せてもらった。もう、こんな胸くそ悪い場所には長居したくなかった。
ディーラーが手札をめくり、息を吸って言った。
「ストレートフラッシュです」
ダイヤのカードが美しく並ぶ。
エリアスは残念そうな顔をして、手札を裏返す。
「・・・・残念ですが、負けました。私はフルハウスだったんですが・・・・」
苦笑いを浮かべて、イアンに話しかける。
「エリアス様っ!!」
イアンが叫ぶ。
もはや欲望を隠す気もないらしく、顔には悔しさと執着が露わだった。
「良い勝負でしたね」
支配人がにこやかに言い、エリアスの肩を軽く叩く。
「そうですね。残念ですが・・・先ほどの勝ち分は、すべてお返しします」
エリアスは預けていたチップの山を手で示し、肩をすくめる。
「イアン様。私はこれでお金も尽きましたし、そろそろ失礼しようかと。イアン様は、どうなさいます?」
「・・・私は、もう少し遊んでから帰ります」
イアンは、檻の中の少女を、物欲しげにじっと見つめ続けていた。




