③ 告白
「ペッキー。今日は何日だい?」
「2023年、2月13日です。ハル」
個室に移されてから時間や月日の感覚が分からなくなったので尋ねてみると、意外にも余命宣告された日数よりも生きながらえていることを知らされた。
起きては寝て、排泄を処理してもらい、テレビを見て、レベッカと他愛ない会話をしてまた眠る。
そんな生活が五ヶ月も続いたということだ。
「ありがとう。ベッキー」
「どういたしまして。ハル」
律儀な、いつもどおりのレベッカの返事に俺は笑ってしまった。
「どうしました? ハル?」
「いや、なんでもないよ」
レベッカは日付けを尋ねられて答えたことへの感謝と取ったのだろうが、さっきの『ありがとう』はそういう意味のものじゃなかった。
ただただレベッカが寄り添ってきてくれた、これまでの期間への感謝だったのだが、タイミングのせいか通じなかったことがおかしくて笑っただけだ。
いや、違う。
タイミングなどではなくて、人間扱いしていても『やはりAIは機械か』と、俺の中に見下しや蔑みのような冷めた感情が残っていることに笑ったのか。
もう間もなく、すぐそこまで人生の終幕がやってきているというのに、レベッカに対してひねくれた差別や区別を抱いている自分が情けないと思う。
これまでの俺の人生が有意義ではなく、誰一人見舞いに来てもらえない人間関係しか築けなかったということは、俺の言動や行動に問題が多かったということだ。
不義理で薄情で、利己的、自己中心的だったのかもしれない。
それをレベッカと付き合うことで気付いた、知らしめられたというのも因果なものだ。
だから、笑ってしまった。
こんな気持ちになってしまうあたり、もう俺には時間が残されていないとも気付かされる。
一日のほとんどは眠りの中にあるし、意識が醒めている時間も短い。目が開いていても抗ガン剤や痛み止めや安定剤やらで朦朧としているし、考え事も判断力も失っているように思う。
トイレや風呂も、俺が知覚したときにはレベッカが始末してくれたあとだったりで、詫びも感謝も口にできないことが増えた。
それでもレベッカの励ましや気休めは耳に届いて、夢の中で交わした会話のように頭の中に浮かんでくるから不思議だ。
「――ハル。今日はとても良く晴れています。ハルの名前のように、うららかな春の日差しのよう。見てみませんか?」
「……ああ、うん」
聞き馴染んだモーターの回る音とサスペンションの軋む音、軟質ウレタンに空気が吹き込まれる音と抜ける音がして、俺の視界に病室の窓が入り込む。
静かに開いていく白のカーテンは音もなくとてもゆっくりで、徐々に増していく白い明かりは神様か仏様の登場のように神秘的で、エネルギーに満ちあふれてとても眩しい。
病室の電灯よりも眩い日光はすぐに室内を支配し、外の世界を温かな天国、室内を翳った現実世界へと塗り替える。
「――――っ」
言葉にならなかった。
青空を、こんなにも青いと圧倒され見惚れてしまう青空は初めてかもしれない。
いや。
きっと入院生活を送っていなければ、俺はこの青空の青さに何も感じることなく過ごしていたろう。
命ある、感情ある『俺』という存在で居られたことは、かけがえのない生命であったのだと後悔させられる。
もっと、もっと大事に生きていれば、もっと感情豊かに、もっと周囲の人々と打ち解けることもできていたろう。
しかしもう、俺の近くにはレベッカしかいない。
せめて最後に誰かに何かを伝えなければ、青空の青さに気付けなかった以上の後悔を抱えたまま、俺は旅立つことになってしまう。
「ベッキー。明日はバレンタインだな」
「そうですね。ハル」
「ベッキー。花は、好きかい?」
「ハル。私は花を認識することができますが、『好き』という感情を持つことはありません」
「……そうか」
やはり、レベッカは機械であったかと挫かれる。
言葉にすることが照れくさくて花を贈ろうと思ったのだが、『感情がない』と言われてしまっては贈りがいを損なわれてしまった。
「ですが、『美しい』ということは分かります」
俺の落胆が伝わったのか、レベッカが言葉を付け足した。
花を『美しい』と分かるなら、俺のすることも通じるだろう。
「そうか。それじゃあ、明日届くように花を注文してくれないか」
「どの花にしますか?」
「君の好きな花でいい」
「花の種類はたくさんあります」
「君が、もらって嬉しい花なら、なんでもいい」
「どれも美しいですよ?」
「ああ、どの花でも君に似合うはずだ」
「ハル――」
俺の名前を呼んだきり、レベッカは黙ってしまった。
ははは。プログラムにないのか、想定していない状況だったのかな。
それもそうだろう。
人間が、間もなく病気で死を迎えるジジイが、AIベッドに感謝の気持を込めて花を贈るなんて、どんな開発者だって想定するまい。
俺が開発者だったら、そんなシチュエーションに対処すべきと提案をする者に激高したろう。
『人間がAIに感情移入し、好意や感謝など持つはずがない』と。
だが今は違う。
今、俺はそんな決め付けはしない。
人間は、AIにだって感情を向けるし、無機物にだって愛情を持てる。
猫や犬なんかの言葉の通じないペットに愛情を注げるのが人間だ。
人形や、車や、石ころや、酒や水さえ擬人化し愛せてしまう。
描かれた絵画に好意を持ったり、本の登場人物にだって感情を差し向けられる。
言ってしまえば、神様や仏様だって人間の空想の産物で、そんなものを信じたり拝んだりしてきたんだ。
だったらAIを愛して何がおかしいことがあろうか?
何もおかしくはあるまい。
今の俺には、言っておかなければならないことがある。
間違いない。狂ってない。本望だ。
「……だから、言うよ。レベッカ、ありがとう」
「ハル……。だめよ、ハル。がんばって」
「もういいんだ。愛してるよ、ベッキー」




