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AIの告白  作者: 天野鉄心
1/4

① ハルオ

「ベッキー。すまないが、トイレだ」

「わかりました。ハル。ダイデスカ? ショウデスカ?」

「はは。もうオシッコしか出ないと言ったろ」

「申しわけありません。記憶します」


 一般病棟から個室へ移って一週間。毎日四度はもよおす便意は、点滴で栄養を摂っているから大便など出てきやしない。

 それでもこのAIベッドは必ず大か小かを質問し、その度に小しか出ないと言いつけても『記憶します』と応じるが、一向に覚える気配がない。


 職場の健康診断で再検査を告げられた時は、ガンなどと思ってもいなかったが、その後の精密検査で家族を呼んでくれと言われて嫌な予感がした。

 あいにくと両親は他界しており、兄弟や親戚とは疎遠なために、職場の上司くらいしか頼れる人がいなかったのは情けない限りだ。


 とはいえ、保険や入院の手続きまで世話を焼いてくれた上司には、今は感謝の気持ちと申し訳無さしかない。

 昔かたぎな――というと偏屈なジジイにとられるだろうが――現場主義の俺は、配置換えのたびに上役や後輩やアルバイトともめていたから、さぞ面倒な部下だったろう。

 俺も『年下の上司に舐められたくない』などと思っていたから、上司がそうした手配を担ってくれたことは意外でもあった。


 会社からの見舞い金として寸志を届けてくれた折りに、「休職扱いにしてもらってますから、復帰したらまたがんばってくださいね」と笑った時も、裏表のない爽やかな青年だと印象がくつがえり、尚更申し訳なくなった。


 しかし、恨むは我が人生のどんくささかな。

 俺のガンは肝臓の半分を切って摘出したというのに、あちこちに転移していて、入院から二年近く経って余命宣告を受けた。


 こういう場面で立ち会う家族が居なかったことは喜んでいいのか悲しんでいいのか、正直分からない。

 さすがに二年もの休職は会社が許さなかったのか、上司の姿はなかった。


 そうして一般病棟から個室へと移ってきたわけだが、なんとも複雑な気分だ。


 家族もおらず、上司の見舞いが途絶えれば職場関係の見舞いは当然なくなったし、連絡を取り合うような友人や知人も居ない。

 となると俺が接する人間は、定時に検温と点滴の取り換えに来る担当看護師のサトウさんと、入院患者の回診に来る主治医のタナカさんくらいのものだ。

 たまにタナカさんが多忙な時に研修医らしき若い医者が様子を見に来るが、痛いか苦しいかを聞いて帰っていくから、人間関係の数には入らないだろう。


 その人ら以外となると、あとはもう俺が寝そべっているベッドしかない。


「ハル。野球中継が始まります。ご覧になりますか?」

「どことどこの試合だい?」

「日本シリーズの四回戦です」

「ああ、日本一が決まるんだったか。うん、見るよ」

「ではテレビを()けます」

「ありがとう、レベッカ」


 保険のプランにあったのか、それとも上司が手配してくれたのか。

 俺が移された個室には病室の半分がたを占める巨大なベッドが一台あり、立つこともおぼつかなくなった俺が寝たまま介護してもらえる。

 このベッドは様々な機能を備えたAIベッドだという。

 さっきのようにトイレの大小を処理してくれたり、俺の体の形に合わせて(ふく)らんだり(しぼ)んだりする軟質ウレタン素材のマットレスも言う通りの寝心地にしてくれたり、横たわったまま風呂と洗髪もしてくれるし、テレビやエアコンや電灯の点け消しもやってくれる。

 必要とあればネットショッピングで購入の手続きもしてくれて、病室まで届ける手配もしてくれるらしい。

 ネットショッピングはまだ試したことはないが、主治医と看護師さんがしてくれること以外の日常的な世話は、このAIベッドにしてもらっている。


 最初は製品名か商品名っぽい長ったらしい名前を言われたが、どうにも呼びにくいし、機械と話しているという違和感があって、部屋を移って三日目に名前を付けた。

 彼女の名は、レベッカ。

 愛称はベッキー。

 俺は日本人だが、和風の名前にはしなかった。


 名前の由来は昔見たアメリカのファミリー向けコメディドラマの登場人物からで、化粧が濃かったが天然のブルネットが美しく、グラマーなスタイルと白人のクッキリした面立ちを初めてセクシーと思った。

 レベッカという響きも日本名にはない情緒があって気に入ったし、ベッキーという愛称も親しみや関係性の深さを感じて、これも強く記憶に印象づいていたのだろう。

 というと見た目と響きだけで名付けたように思われてしまうが、そうじゃない。

 向こう(アメリカ)のドラマということは日本語吹き替えされているわけで、その声優さんの声がAIベッドの機械の声と似ていて想起したのだ。


 事実、AI機器のクセというか傾向のようなもので、読点や句点で区切る直前や、特定の単語だけ変に(なま)めかしいイントネーションを発する時がある。

 彼女には俺のことを『ハル』と呼ばせているのだが、『分かりました。ハル』と言うときに少しだけ人間味のあるトーンになる。

 これが『ハルオさん』や『イチノセさん』では堅苦しいし、ましてフルネームで『イチノセハルオ』と呼び捨てられては本当に無機質でとても居心地悪い。


 しかし、彼女に名前を付けたことで、俺の入院生活はずいぶんと改善されたように思う。

 やはり寝たきりになってしまうと天井を見上げて過ごすだけになってしまうし、レベッカに定期的に寝返りをさせてもらったときも病室の入り口と窓側の景色は動かないからとてもつまらない。

 こういう状況で独り言を言うと心が弱ってしまうと何かで見たことがあるが、独り言やくしゃみやうめき声に応じてくれる声があるだけでだいぶ違う。


 少なくとも、ベッドを話し相手にするくらい寂しい。それが本音だ。


 だから『彼女』などと言ってしまうわけだが――。

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