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箱庭の雫  作者: 蒔田直
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第八話

「そっちはどうだった?」


「フロワもいたし、個人的な興味を抱かれてることは無いと思う」


 簡単な夕食を店の奥の仮部屋で済ませる。下の部屋で過ごしすぎればこちらの生活感が無い不自然な家になるので意識的に使用していた。


「意外だったのは彼に協調性が備わってたことかしら」


 初対面の際エキセントリックな面を印象付けられたため身構えていたが、レディオルは意外なほど常識を弁えていた。遠慮の無い態度を取るのは面識のある人々に対してのみで、初対面のものには礼儀正しい紳士ぶりを発揮していたほどだ。


「そうでもないよ。あれは見極めが上手い人間の目付きだ」


 スープを口にしながらゼストが答えた。煮込まれた蕪はブイヨンを吸って匙で崩せるほど柔らかくなっている。


「大胆で人好きがして、少しあざとい」


「あなたみたいに?」


 シャルロットの問いかけは笑顔でかわされた。その笑みこそが何よりの答えだった。


「英雄ごっこの好きな考え無しだったら都合がよかったのに」


「思考が読みやすいことが幸いだよ」


 シャルロットとゼストは秘密が多い。それらを今の段階で暴かれることは避けたいことだった。


「それで、あなたの方は? 憲兵がいて収穫無しという訳じゃなかったんでしょう」


「俺の方はイネスが新しい血痕と遺留品を見つけたことかな。失踪届けは出されていたけれど今回の事件とか変わっているかは保留されてた人だった」


「大手柄ね」


 被害者の情報が集まれば犯人の次の狙いも可視化されやすい。もっとも、今回に限って言えばその捜査方法が当てにならないことを二人は知っていた。

 食事の片付けを済ませ、二人で戸締まりを確認していく。何よりも重要なことでゼストが扉、シャルロットが窓の確認を行い、一通り済んだら今度は交代して確認を行っていく。


「今日は出掛けるの?」


「流石にしばらくは控えるよ。エヴァンもレディオルも張り切っていたようだし、見つかった瞬間に捕まりそうだ」


 夜半の散歩はゼストにとっての習慣だ。月の明るい日は不思議と探し物が見つかる。


「なら、今日は手仕事?」


 ガラス細工が特産の村の男らしくゼストは手先が器用で飾り物を作るのが上手かった。出来上がる作品は本店に納めればすぐに売れるほどである。


「ああ、と言っても材料には限りがある。確認だけして寝るよ。先にベッドに行って」


 白茶の髪をかきまぜられシャルロットはくすぐったそうに身動いだ。柔らかな毛先が彼女の青白い首筋をくすぐった。


「この格好になって良かったことは朝の支度が一瞬で終わることよね」


「村にいたときだってヘアバンドで留めていたくらいだろ」


 女子の身嗜みに疎いゼストに呆れの溜め息をもってシャルロットは応えた。


「全然違う。風呂上がりにオイルを馴染ませていたし、ナイトキャップだって被ってたわよ。どうしても髪が収まらない日は剃刀ですいたりもしてた」


 美容に特別興味はなかったが、両親の自慢の娘として振る舞えるようシャルロットは細心の注意を払っていた。時間もあり余っていたので自分の手入れに回す余裕はたっぷりあったのだ。


「いいこと、複雑に結い上げるだけがおしゃれじゃないのよ」


「降参するから勘弁してくれないか」


 この調子のシャルロットに反論をすべきではない。付き合いの中でゼストが学んだことのひとつだ。


「まあいいわ。おしゃれの話がしたいというより、あなたを困らせたかっただけだから」


「厄介な上に素直だなあ」


 ランプの光は男の体躯に遮られ、シャルロットの額に口付けが落とされる。


「くすぐったいのだけど」


「これくらい我慢してくれ」


 綻んだ唇から振動が伝わる。薄闇の戯れはどこまでも穏やかだった。


「それじゃあ、お休み。よい夢を」


「私が寝入る前に戻ってきてもいいのに」


「それはまた別の夜に」


 その会話を区切りに二人は地下の部屋に向かった。建て付けられていない手摺の代わりに岩壁を支えにしようとするシャルロットの手をゼストが取った。岩肌は滑らかとは言い難く、シャルロットの柔らかな手を傷つけるには充分な鋭さを持っていた。


「本当は削ってしまったほうがいいんだけどね」


 研磨作業自体は数日もしない内に終わるが、石粉の片付けが二人の頭を悩ませていた。階段と壁の間には指ひとつ分の隙間があり、削った壁の欠片は全てその中に吸い込まれてしまう。岩壁を滑らかにして安全を得ることと取り除けないゴミがあるという事実が精神に与える負荷を天秤にかけ、二人は壁をそのままにしている。


「よろめいたら後ろに体重をかけて」


「あなたが頭を打つじゃない」


「君が腰をいれて突進しても体勢を崩さない自信があるよ。前に転ばれちゃマットになれるかも怪しいけど」


 男女の差を差し引いてもゼストの力は同年代の男と比べて目を瞠るものがあった。最近は体調を崩しがちなシャルロットを抱える機会が増えたが堪える様子もなく彼女を運んでいた。

 階段を下り終え、シャルロットがベットに腰かけたことを見届けたゼストは山吹色の扉の隣、翡翠色の扉に手をかけその大きな体を室内に滑り込ませた。隠し部屋以上に狭い窓なしの部屋は一種の穴蔵のようだった。

 壁に掛けられた小さなランタンの火を灯せば橙色の光が作業机を照らしたが、幾許いくばくもしない内に消え失せる。


(あと数分もしたら寝てしまうんだろうな)


 シャルロットを思い、誰に見せるでもない笑みを浮かべた。

 一日中体調が良かったため、今日はよく動いていた。ロットとしての振る舞いもあるが、村にいた頃からシャルロットは物静かの一言では表せない女の子だったことをゼストはよく覚えている。


(今日の内に済ませなきゃならないことなんて、ほんとは無い)


 ただほんの少しの幸福のため、ゼストは嘘をついた。明かりも灯さぬ中でそっとシャルロットの眠りを待つ。作業机の上の材料を撫でてやれば虹色の光がほんの僅かに揺らめいた。


(これをイヤリングにしたら、似合うかな)


 あの柔らかい耳たぶを飾るなら、どんな意匠がいいだろう。ゼストは思いを馳せた。シンプルなスクエア、植物、動物、羽もいいかもしれない。


(ああでも、大した意味はないのかもしれない)


 間違いなく言えるのはどんなものを身に付けてもゼストの目を釘付けにするのは彼女の山吹色の瞳だった。彼女の感情を一番に写すその瞳が何より愛おしかった。

 思索に耽っていたゼストの肩が寒さに揺れる。そろそろシャルロットも寝入った頃だろうと当たりをつけたゼストは今度こそ山吹色の扉をくぐった。

 月明かりが差す中、いつも通りゼストのための空間を開けてシャルロットは眠りについている。己のものとは比べ物にならないほど小さな体を見るとゼストはどうしたらいいか分からなくなってしまう。

 大きな寝台の上で身を縮め、折れそうな程に細い腕が所在なさげにシーツの海に投げ出された姿を見るのがゼストは好きだった。

 寝台に腰掛け、眠る少女を見つめる。月光に照らされるシャルロットはゼストにとっての福音だった。


(どうか一秒でも長く、共にあれますように)


 男の祈りも知らず、女は幸福を享受する。かすかな呼吸の中に風が吹き込んだような異音が含まれている。翡翠の目を伏せ、ゼストはシャルロットが寝苦しくないよう体勢を整え、己の腕と足でその痩躯を絡め取った。毛布の中に四肢を収めてやらねば翌朝にはその腕が蝋のように冷えてしまう。暖炉でぬくめてやっても芯まで冷えた指先は震えを残す。

 幸福の象徴を自ら矯正しながらゼストも瞼を閉ざした。朝が案外近しいことを彼は心得ていた。

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