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箱庭の雫  作者: 蒔田直
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第七話

 ベックと別れ、帰路についた三人は衆目の前では行えなかった意見の交換を始めた。


「実は被害者の多くが彼のような所謂ろくでなしなんだよね」


 口火を切ったのは事件について最も情報を得ているレディオルだった。


「だから積極的に捜査をする人も現れない。口には出さないが当然の報いだって思ってる人もいるだろうね」


「確かに罪もない子供達がさらわれた……なら義憤するだろうけど被害者の人柄がそうならな……」


「なんとも人間らしいな」


 シャルロットもゼストや友人、親が事件に巻き込まれれば憤るだろうが、このような事例であれば静観するだろう。

 よき人々である我らが犯罪に巻き込まれるわけがない。不幸な者達にはそうなるだけの理由があったのだと。


「人は理屈を欲しがる。犯人に物語をつけて理解できる存在にしようと必死になる」


「行きずりで殺されてちゃ世話無いしね」


 家庭環境、精神の疾患、人生における挫折。それらが集まることによって黒塗りの虚像は形を与えられ、卑近な存在に生まれ変わる。


「かもしれない、が、きっとそうだに変わるのはとても早い」


 他愛もない噂話が人から危機意識を奪っていく。ろくでなしの破落戸しか狙われないから大丈夫。夜に出歩かなければ犯人と出会すことはない。日々の暮らしに気を付けて、良く暮らしていれば心配はない。

 犯人は善良な人間を狙わないから。


「お前自身のモチベーションにも関わるんじゃないか? 見方を変えれば犯人はダークヒーローみたいなものだろう」


 犯罪を犯すでもないろくでなしは憲兵たちには捕まえられない。店先の看板を破壊した。子供達を怖がらせた。一つ一つの振る舞いが迷惑だが、現行犯で取り締まってもせいぜい口頭での注意を受けるだけだ。

 贔屓を重ねて見れば都の自浄を行っていると言えなくもない。


「俺は犯人の志には興味がないよ」


 懐から厚い帳面が取り出され、冷めた目付きのまま調査の成果が書き記されていく。何度か濡らしたのか頁の端は波打っており、革張りの表紙は日に焼けている。


「悪事は悪事。それだけ」


 言葉は鋭さをもって端的に吐き出された。


「反射みたいなものだよ。俺の前で悪いことをするやつがいるなら捕まえて法の裁きを受けさせる。単純だけど重要なことだよね」


 赤いガラスを思わせる瞳がシャルロットたちを見遣る。ここまで鮮やかな赤を出すには金を混ぜなければならないことをシャルロットは父から教わっていた。


「ひとりひとり捕まえていけば最後は善良な人だけが残る……そうなればこの上ないけどそれが無理なことを俺も知っているからね」


 次いで作られた表情は悲しげで寄る辺のない少年のようですらある。無機物じみた造形と人らしい感情の行き来がよりいっそうレディオルという人間を底知れなくさせる。


「社会を作る、という意味では蟻も人も変わりがない。悪人の比率が見えざる手で管理されていると結論付けるのは早計だけどね」


「まあ犯罪を管理できる社会なんて人類には早すぎるだろうさ」


 そんなものは膨大な人員と機械による監視、そして何者かの犠牲無しには成り立たないのだ。


「人なんて火を点そうが墓前に花を添えても猿と変わりない」


「ロットは手厳しいね!」


 からりからりと笑うレディオルの顔はどこまでも晴れやかだ。既知の情報の確認作業を終えたシャルロットはひとり嘆息を落とし、彼らに背を向け、歩み始めた。


「そろそろ帰らせてもらう。義理は果たしただろ」


「ああ。ご協力ありがとう! またよろしく頼むよ」


 この一件が長丁場になることを確信しながら彼女は家路についた。


(ゼストはもう戻っているかしら)


 自宅の方に無意識に首を向けるシャルロットにフロワが包みを押し付ける。


「返す。ゼストに」


 枯れ草色の包みはシャルロット用の薬だ。数日前に発作を起こしたのでその分の追加の薬だ。


「恩に着る」


 短い会話を交わし今度こそシャルロットは家に足を向けた。日が落ちた後の安全は保証されていない。



 レディオルは美しいものを知っている。

 レディオルの記憶の底は父親が粉挽きをしている光景だった。朴訥でなんてことはない光景。レトワージュの凍てついた外気を避けるため窓が小さい建物は昼にもかかわらず薄暗い。仕事の邪魔をしないよう言い付けられているレディオルは仕事場と母屋を区切る格子戸に張り付いて父を見つめていた。

 小さな石臼がゆっくり回される。以前レディオルも回そうとしたが、少しも動くことは無かった。回し始めは一番力がいるんだと、レディオルの頭を撫ぜながら父は笑った。

 レトワージュでは親の仕事を子供が継ぐ。弟が粉挽きに興味が無いこともあってゆくゆくははレディオルも粉挽きとして勤めを果たすことになる。


(石臼を回せるようになれば、見習いとして俺も仕事場に入れる)


 華が無いと弟はこの仕事を嫌がったがレディオルは違った。黄金色の小麦が臼に挽かれ白い小麦粉になっていく様子は愉快であった。何より自分たちの挽いた粉がパンや麺、様々な料理になって人々の腹を満たすのは心がいっぱいになるような気持ちだった。

 人々のために生きていたい。蒙昧にそんなことを願っていた幼少を今でもレディオルは捨てられない。

 だからあの時、友人たちの頼みに頷いたことに後悔はない。それでも、あの選択が最良のものではなかったことを認めて、レディオルは今も生きている。

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