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箱庭の雫  作者: 蒔田直
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第四話

 レディオルたちとの出会いから三日後、約束通り捜査の協力のため六人は店に集まった。シャルロットの不調は彼らのおとないの翌日には解消され、すっかり調子を取り戻していた。


「狭い家ですが、どうかお寛ぎください」


「押し掛けているのはこちらだ。気にしないでくれ。歳も近いしもう少し砕けた態度で接してくれないか」


 エヴァンからの申し出にゼストは眉を下げ、血色のいい頬を人差し指でかいた。


「そう申されましても、俺は根っからの小市民ですし……」


 平民を含んだ議会制に移行して何年も経つが階級意識は未だに根付いていた。貴族たちは新たな時代の訪れを口では嘆きながらその生活が脅かされたことなど一度たりとて無く、一部の裕福な平民が議会の末席に座るようになっただけだった。


「お貴族様なんて都に出てから初めて見たからね、僕ら。グルース村は領主がいるような村じゃないし」


 村で一番裕福だったシャルロットの一家も貴族の血は引いていなかった。村が成立したのも国の歴史の中では比較的最近で、豊富な石英を求めて各地からガラス職人が集ったことがグルース村の起源である。

 明確に言えばエトゲン侯爵領に含まれているが領都が離れており農耕を主産業としている侯爵にとって旨味の無い土地であるため、長らく放っておかれていた。


「トワイライト家は確かに元をただせば貴族ではありますが、身分制は取り払われました。気にすること

ではない」


「君たちがそう思おうと、実状は違う。身分差があれば馬車の前は横切れないし、結婚話が持ち上がった途端にひと騒動だ」


 レディオルが笑みと共に告げた言葉に尤もだなとシャルロットは頷いた。


「多分他のご家族も襟つきですよね……」


 襟つきは公的な職に就き、制服の着用を義務付けられている人物に対する俗称だ。

 いっそう遠慮がちになったゼストを不思議そうに見つめるエヴァンは誰から見てもいいところのお坊っちゃんだった。


「それでフロワ。君、犯人と鉢合わせたのかい」


 来客用のティーポットに湯を注ぎながらゼストが尋ねる。客人たちの好みが分からなかったので茶葉はシャルロットの気に入りのブレンドだった。


「……色の濃いローブを被っていたが、袖口は血で湿っていた。晶石を袋に入れてその場を去ってしまった。刃物は見えなかったが、胸元や腰に仕舞ったんだろう」


 歓待の意で出された焼き菓子を口にいれながらフロワが答えた。事実を淡々と告げる姿に動揺はない。


「背丈は吊り看板の頭半分下ぐらいで、足も早かった。こっちを向いたから見つかったと思ったが追ってくることはなかった」


「結構危なかったんじゃないの、それ」


 ゼストの心配も尤もで頭脳に関してはひと並外れたものを持つフロワだが身体能力は並の域を出ない。おまけに暗所恐怖症を持ち合わせているので逃走経路は限られてしまう。星明かりも届かぬ袋小路に追い詰められれば一貫の終わりだっただろう。


「結果的には生きている。それでいいだろう」


「まったく……」


「肝が据わってるね、フロワくん」


 感心した調子のレディオルをよそにゼストとシャルロットはそっと白髪の友人を見遣った。


(相変わらず他人に弱味を見せるのを嫌う)


 不遜な態度を取るフロワが内心強い恐怖を感じていたことを二人は理解していた。泰然とした外殻を纏って尊大なふりをしているだけで彼の心根は真っ当で清い青年だ。


「そもそも捜査に協力といってもフロワから聞き出せる話なんてこれくらいじゃないか。なんで追いかけてたんだ?」


 気に入りの茶を飲みながらシャルロットが尋ねる。知の探求であれば冴え渡るフロワの頭脳だが、今求められているのは発想の飛躍ではなく事実の確認だ。


「連続失踪と銘打たれてるだけあって事件自体はいくつも起きた。勿論目撃者もいるだろうし、学者なんて奇異な身分の男を追うことはけして利口なやり方じゃない」


 学問の道は誰にでも開かれているが”学者”を名乗れるだけの実績を積み重ねたものは数少ない。まして若くして才覚を示し王候貴族からの覚えも目出度い男となればその唯一性は語るまでもない。


「実を言うと、犯人に出会して生きているのってフロワくんだけなんだよね」


 レディオルの告げた言葉が空気に鉛を溶かしこんだ。


「イネスも犯人を見かけたけど、その後逃げ込むつもりだった自宅を燃やされてる。目撃者すらも殺してきた犯人がフロワくんだけ見逃した。そこに解決の糸口があることを願ってる」


「放火!?」


 思わずといった調子で叫ぶフロワ。放火はドガでは殺人以上に罪深き行いだった。


(どっちにしろ晶石は残るのにね)


 前世の宗教における再生のための肉体の必要性をシャルロットは回顧する。


(肉体が消えることが当たり前の世界における焼死の意味とは?)


 木造の家が少ないため、大火も歴史上に無い。にも関わらず住民たちには炎の恐怖が染み付いている。


(一酸化炭素中毒の死体って顔色がいいのだったかしら。そもそも死んだ瞬間に体が消えるから目にする機会も無い?)


 心停止、脳死、発狂による精神の死。人々の記憶から消え去った時こそが真の死であると定義付けることも出来る。

シャルロットが思索の海を揺蕩う間にも話は進んでいく。彼女の意識を引き上げたのは木管楽器に似たテノールの響きだった。


「その為、フロワさんには私たちの捜査に同行してほしいんです。護衛も兼ねてどうか側に置いていただけないでしょうか」


「幸いイネスは俺が引き留めて帰宅が遅れたから難を逃れたけれど、そんな幸運が君にも降りかかり続けるとは思えないからね」


 エヴァンとレディオルの言葉にフロワは顔を歪めた。元より他人からの干渉を嫌う男であるため、提案の忌々しさは言い様の無いものだった。


「命……尊厳……」


「大袈裟だと言えないのがお前がお前たる所以だよな……」


 界隈でもフロワの自由が許されているのはその繊細さゆえだ。助手の多くを手足のように従える他の学者たちとは違い、フロワの研究は一人で行われる。効率では劣るが従来の体制を遵守して作業したところ、年上の助手たちとの関係に懊脳し最終的に胃に穴を開けた実績があるためだ。


「その時は見逃されたけれど、思い直して殺しに来るかもしれない。遺恨は絶った方がいいんじゃないか?」


「そもそもその状態でいつも通りの生活を送る方が危険だろ。犯人を見かけた日もどうせ研究に熱中して帰りが遅くなったに決まってる」


 ゼストの提案とシャルロットの決めつけにフロワは目線を反らした。学者の例に漏れず集中すれば寝食や時間を忘れて没頭する友人の気質を心得ている二人であった。


「……申し出を受ける。どうせ論文が精査されてる間は暇だ」


 来月の学会用の論文はつい先日書き上げられたばかりで他に急ぎのものはなかった。元よりフロワのスケジュールは彼の裁量に任されているところが多分にあるので融通が利きやすい。


「ご協力、ありがとうございます。それでは俺たちはこれで」


 供された茶を一息に飲みきり立ち去ろうとするエヴァンをレディオルがひき止めた。


「待った待った。……ねえお三方、今日これから時間はある?」


 人好きのする笑顔を浮かべるレディオルが、シャルロットには悪魔に見えた。

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