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箱庭の雫  作者: 蒔田直
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第一話

(どうしてこんなことになったのだろう)


 幌馬車に乗って、先日まで教会に集まって作っていた麦わら帽子を村のみんなで売りに行く予定だった。初秋の薄曇りは過ごしやすく、車輪の音に負けない話し声がよく響いていた。

 青空と切り立った崖が見えている。先月の大雨で地盤がまだ緩かったためか、馬車は簡単に滑落した。


(私、死ぬのかしら)


 操り手の消えた糸繰り人形のように少女の体は投げ出されていた。あまりにも不格好で屋敷の寝台の上でも取らないだらしのない体勢だったが、ひどく億劫な気分のせいで正すことも出来なかった。

 彼女は不自由なく生きてきた。都の名家のお嬢さんのような格式高い暮らしではなかったが、明日の暮らしを案じることもなかった。短くはあったが幸福な人生だったとシャルロットは回顧した。

 草原を駆け回った日々、冬祭りにはブランデーとスパイスの入ったホットミルクを飲んで夜更かしをして、あと数年したらみんなと都に村の工芸品を卸す商売をすることも話していた。

 身を起こすことも辺りを見渡すこともできないまま、彼女は重くなる瞼をそのまま閉ざそうとした。


「シャル……? シャルロット、シャーリー! 頼む、死ぬな!!」


 声が聞こえた。遅い声変わりをこの間終えたばかりでまだ掠れている声はシャルロットにとってひどく馴染みのある声だった。


(ゼスト……)


 年の割に落ち着いていたせいで、シャルロットと共に村の子供達のまとめ役を任されていた少年だった。常の穏やかさは失われ、緑色の双眸からは絶え間なく涙がこぼれ落ちている。

 いつもであれば簡単に拭ってやれる涙をそのままにするしかないことにシャルロットの胸はひどく痛んだ。


(変なの。今更になって優しくしてやりたくなるなんて)


 ゼストとシャルロットの間に甘やかなものはなかった。大人たちに割り振られた、まとめ役という務めをお互いこなしていただけだった。少なくともゼストからの感情はそれだけであったとシャルロットは確信している。


「お願いだ。君までこんな、こんな死に方をしないで……!」


(死に方……?)


 途切れる思考の中でシャルロットは思いを巡らした。馬車の滑落による転落死。不幸ではあるがそこまでひどいものではない。人攫いに拐かされてもいなければ山崩れで痕跡すら残さずに死んだわけでもない。晶石が残れば教会からの見舞金を受け取れるし墓を作ることもできる。


(ああ、そうだった)


 ゼストは晶石を嫌っていた。

 この世界の人間が死ねば死体を残さず晶石になる。胸に抱えられるほどの石だけを残して体は大気にとけていく。その死に(よう)を少年は受け入れられなかった。

 震える手をそのままにゼストはポーチから薬瓶を取り出し、片腕でシャルロットの半身を起こした。背中に走る痛みのおかげで、シャルロットはどうにか意識を繋ぎ止めることができた。


「ゼ、ス……」


「喋らないで……大丈夫、すぐに良くなる……」


 シャルロットと己に言い聞かせる調子の言葉が落ちた。

 傷口に薬液が振りかけられる。出血のひどい頭部は特に重点的に、青い雫はシャルロットの輪郭をなぞり地に染み込んだ。


「っ、ひゅ……、ぁ」


 和らいだ体の痛みに安堵の息を付く暇もなくシャルロットは血を吐いた。粘ついた血は気道に張り付いて呼吸を妨げた。

 薬瓶を煽ったゼストはそのままシャルロットに口付ける。強張った唇は固く、血の気を失った死にかけの少女以上に冷え切っていた。


(使わせてしまった)


 飲めば傷が一瞬で治るポーションもゼストは受け付けられなかった。そのため怪我を負わないように細心の注意を払っていたことをシャルロットだけが知っていたのに。

 薄れいく視界の中、淡い光が自身を包む様子をシャルロットはただ見つめた。


「次に目が覚めたら、君の家の寝台の上だ。だから、ゆっくりお休み」


 胸に抱かれ、シャルロットは今度こそ瞼を閉じた。血だまり、無惨にひしゃげた馬車、仄淡く光る晶石を記憶に焼き付けたままに。


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