苛烈に生きる、キミの側に。
「何で笑ってんの?」
彼女、西田早瀬に向けた初めの言葉はそれだった。
描きかけの作品や彫像が隅に並ぶ部屋。
その中にぽっかりと空いた広い空間に、大きな真っ白なキャンバスがあった。
向かうのは焦げ茶の髪をポニーテールに結った普通の少女。
でも、真剣な眼差しは彼女に凛とした雰囲気を纏わせる。
それは神聖な儀式のようで、たまたま通りかかっただけの豊は思わず見入ってしまった。
静謐を思わせる空間に、シャッシャッと木炭のこすれる音が響く。
軽く伏せられた睫毛が揺れると、カタン、と木炭が置かれた。
ゆっくり筆を手に取り、吟味するように絵の具を混ぜる姿はまるで世界を作る前の神の様。
そこまで考えて、流石に神は言い過ぎかと内心笑う。
でも、色を乗せた筆を手にキャンバスに向き直った彼女を見て息を呑んだ。
嵐の前の静けさのように静寂が流れ、次の瞬間彼女は躊躇うことなく大胆に筆を滑らせた。
かと思うと、繊細に、慎重に動く指。
真剣な目には熱が宿り、口元は笑みを形作っている。
静かなる儀式は、しかし苛烈さをも見せた。
生きている、と思った。
命の炎を燃やして、消し炭になるのも躊躇わずただひたすら生きている。
その熱量に圧倒された。
感動――強い印象を受け心を奪われることとは、正にこういうことを言うのだと知る。
そして、羨ましいと思った。
ここまで人の心を動かせることが出来る彼女が。
そこまでの熱量を向けられるものを持っていることが。
流されるまま日々を生きてきた自分が、本当は熱中するものを欲していたのだと……豊はこのとき知った。
*
転校初日に見た彼女が、クラスで一人ポツンと過ごしている人物と同じだとはじめは気が付かなかった。
クラスにいる西田早瀬という少女は、特に目立つようなタイプではない。
頬は少し丸みを帯びているけれど、太っているわけではないし極端に痩せているわけでもない。
顔立ちも平々凡々。口で説明できるような特徴がある訳でもなく、どこにでもいそうな子という印象。
性格も大人しめなのか、休み時間に一人でいてもあまり気に留められない様子だ。
彼女が近くを通ったときに、焦げ茶のポニーテールが揺れて横顔をちゃんと見てやっと気付いたくらいだ。
「あの子、なんでいつも一人なの?」
仲良くなったクラスメートにすぐに聞いた。
一人でいるとは言っても、別にいじめられているという様子ではなかったし基本的にはみんな普通に接していたから。
ただ、クラスメートも彼女も、お互いに距離を取っているといった様子だった。
「ああ……彼女さ、芸術病なんだ」
僅かに哀れみを乗せた声で教えられる。
芸術病――正式名称はCLA。
文字通り命を削って芸術作品を生み出す心の病だと聞いたことがある。
非常に珍しい病気だけれど、その病に侵された人達の作り出す芸術作品は必ずと言っていいほど世界的な評価を受ける。
命を削ってまで作られた作品は、人の心に届きやすいらしいと前の学校の美術の先生が言っていたなと思い出した。
そして納得もした。
あの日油絵を描く彼女は、教室で見るときと違って苛烈に命を燃やしていたから。
でも命を削っていると言われる通り、芸術病を患った人は総じて早死にするらしい。
生命力を作品に注入し続け、衰弱して亡くなるのだそうだ。
それを避けるため作品を作らない様にしても、本人は作ることをやめられない。
周りが抑えつけて無理やり作らせなくさせることは出来るが、そうすると心が死んでしまうそうだ。
まるで人形にでもなったように、何も食べず動きもせず、生きる事を放棄してしまう。
だから芸術病を発症した人は、早く死ぬと分かっていても……命を削る行為だと分かっていても、作るという行為を止められない。
そんな、悲しい病気だ。
芸術病だから誰も彼女と深くかかわろうとしないのか。
納得するとともにがぜん興味が湧く。
芸術病という病に侵された人と初めて会ったからというのもあったけれど、あの日見た静かなる激情を湛えた彼女をもっと見ていたいと純粋に思った。
だから本来の美術部が休みの木曜日。
誰も近付かない放課後の美術室に豊は向かった。
命を燃やす綺麗な女を見るために。
*
初めはただ見ているだけだった。
苛烈さを見せる彼女の絵を描く姿を見ているだけでいいと思った。
でも、次第にそれだけでは物足りなくなる。
キャンバスに向けるその激情を自分にも少し向けてみて欲しいと思うようになった。
思えば、このときにはもう彼女に心を奪われていたのかもしれない。
いつものように美術室のドアから見ていたある日、豊は初めて早瀬に声を掛けた。
「何で笑ってんの?」
と。
瞬間、ビクリと肩を震わせた早瀬は驚きも露わに豊を見る。
「……え?」
まるで自分に掛けられた言葉が幻聴だったのではないかとでも言うように、驚きつつも不思議そうな顔をしていた。
「何で笑ってんのって聞いたんだよ」
別に質問の答えが欲しかったわけではない。
けれど、確かに彼女に声を掛けたのだと理解してもらうために繰り返す。
それでも早瀬はもういいだろうと止めたくなるほど何度も瞬きをした。
「……え? 私に言ったの?」
「他に誰がいるんだよ」
呆れた豊の言葉を聞いてもまだ信じられないのか、早瀬はぐるりと周囲を見渡す。そして豊のもとへと視線を戻し、また二度ほど瞬いた。
「あ、えっと……ごめん。声を掛けられるとは思ってなかったから」
ということは、見ていたことには気付いていたのだろう。
(そりゃそうか)
早瀬がいる場所からドアまではそこまで離れているわけでもなく、豊自身も身を隠すようなことはしていなかった。
逆に気付いていない方がおかしい。
「いいよ……で? 西田さんはどうして絵を描きながら笑ってんの?」
キャンバスに向けるような苛烈さはないけれど、やっと自分に向けられた意識を手放したくなくて続けて聞いた。
「えっと……楽しいから、かな?」
「芸術病なのに?」
「っ⁉」
無難なやり取りで終わらせたくなかった豊は、賭けに出るように突っ込んで聞く。
どんな病気だって、命に関わるようなものならデリケートな話題だ。
それをこんな無造作に聞いて……早瀬は怒り出すだろうか。
「……知ってるなら分かるでしょう? 私は描くことでしか人として生きられないの。命が削られていくのが分かっていても、描いているときが一番生きていると感じられる……」
だから笑っていたのだと硬い声で告げられた。
怒っているかは分からない。
けれど、警戒されている事だけは分かる。
豊は内心焦った。
せっかく声を掛けたのにこのまま距離を取られるのは嫌だ。
焦りを顔には出さない様に気をつけながら、「そっか」と呟くように口にする。続けてひとつ頼みごとをした。
「あの、さ。もっと近くで見てもいいかな?」
「え? 何で……?」
警戒の眼差しがまた驚きに変わる。
もう賭けだなんだのと言っていられない。
率直に自分の望みを口にした。
「君に興味があるんだ」
「……芸術病だから?」
「いや……まあ、関係なくはないけど。君が絵を描いているところを見るのが好きなんだ」
もう来るなと言われるのが怖くて、正直に告げる。
「……変な人だね、相良くんって」
困惑気味な彼女はそれでも拒否はしなかった。
それを了承と取った豊は、それからは美術室の中で早瀬の絵を描く姿を見る。
今までよりもっと近くで、早瀬が命を燃やす姿を見た。
彼女の、一番綺麗な姿を。
*
毎週木曜日。
早瀬は絵を描き、自分はその姿を見る。
それだけの関係。
けれど、いくつか言葉を交わすうちに互いの呼び方が名字から名前になって、軽い冗談を交わせるほどに仲良くなった。
「豊くん、いつも見ているだけで退屈じゃないの?」
「いいや? 早瀬さんの笑ってる顔見るのは面白いから」
「面白いって……私が変な顔しているみたいじゃない」
「……そうだって言ったら?」
「もう見に来ないでって言う」
「それは困る。大丈夫、変な顔ではないから」
「変な顔ではってどういう事よ⁉」
「はははっ」
そんな些細な会話が出来ることも嬉しくて、豊はもっと早瀬といたいと思うようになった。
自分に向けられている目にはキャンバスに向けられる激しさはない。
豊を見る早瀬の目は、ただの同級生のもの。
けれど、絵を描いているときの綺麗な彼女が年相応の女の子の目になって自分を見ている。
それもまた嬉しかった。
その感情を自覚した頃には、豊はもう彼女を好きになっていた……。
*
木曜日の放課後に早瀬と過ごすことが当たり前になってしばらく経ったある日の昼休み。
豊は別のクラスの女子に話しかけられた。
「相良豊くん、だよね? ちょっと話があるんだけどいいかな?」
焦げ茶のストレートロングの女子。
学年は同じだから見かけたことくらいはある気はしたが、名前も知らない相手だった。
「何だよ、告白かぁ? 豊、隅に置けないなぁ」
近くにいた友人がからかうけれど、キッと睨んだ女子に「おお怖っ!」とすぐさま退散してしまう。
「そんなんじゃないから。でも大事な話なの」
「……分かった」
知らない相手でも、大事な話だというなら聞かないわけにもいかないだろう。
真剣な彼女の様子に、豊は付いて行くことを選んだ。
連れて来られたのは美術室。
何度も来ている場所だけれど、この時間に来たことはなかったためかどこか居心地が悪い。
「早速だけど……あなた、早瀬と仲良いみたいね? どういうつもり?」
「どういうって……」
単刀直入過ぎて二の句が継げない。
大体まずは名乗るべきではないだろうか?
「私、早瀬の友達――だったの」
「だった?」
「仕方ないじゃない。あの子、芸術病になった途端迷惑かけたくないからって友達止めるなんて言い出したんだもの」
お互い辛くなるから近付かない様にしよう、と早瀬は言ったらしい。
「早瀬は優しい子だから、私が辛い思いをするって離れて行ったの。それでも側にいたら、逆にあの子を傷つけることになると思って私も離れたんだよ」
苦し気にうつむき話した彼女は、キッと豊を睨み上げた。
「でも、あなたはあの子の側にいる。それがどういうことなのか、ちゃんと分かっているの⁉」
「……分かってるよ」
友達ではなくなっても、こうして早瀬に近付く人間がいれば気に掛けるほど大事に思っているのだろう。
それが分かったから、豊も真面目に答えた。
「分かってるよ。分かっていて、側にいるんだ」
「……覚悟もあるってこと?」
「ああ」
見極めるように睨み上げてくる少女の眼差しを受け止める。
早瀬の側にいるということの意味。
全部、ちゃんと分かっていて、覚悟もあるのだと示すために。
「……分かった。なら、私がとやかく言うことじゃないんだね」
しばらくして納得したのか、彼女は力を抜いた。
そして、悲しそうに微笑んで最後に告げる。
「じゃあ、早瀬を頼むね」
思いの形は違っても、早瀬という少女を大切に思う者同士。
豊はその頼みを受け止めるように「……ああ」と頷いた。
*
「美知になんて言われたの?」
次の木曜日の放課後。
筆を止めて、声も表情も硬くして早瀬は聞いてきた。
「美知?」
「私の友達――だった人」
「ああ……」
美知という名前だったのかと、豊は今更ながらに思う。
先日は結局名前を聞いていなかったから。
同時に、二人が本当にお互いを思っている親友なのだと分かった。
“だった人”と付け加えたときの早瀬は、痛みに耐える顔をしていたから。
お互い大切に思い合っている、両思いの状態。
彼女たちのその絆に少し嫉妬しつつ、豊は答えた。
「……早瀬さんを頼むって言われた」
「っ⁉」
「で、俺は『ああ』って答えた」
「っ! な、んで?」
初めて声を掛けたときのように零れ落ちそうなほど目を見開いて、早瀬は驚きの表情を豊に向ける。
「なんでって言われても……早瀬さんが大切だからだろ?」
俺も、美知という親友も。という言葉は言わずとも伝わったらしい。
目を潤ませて、それでも涙を零さない様にと耐える仕草をする。
そのまま俯いた早瀬は、震える声でポツリと謝った。
「ごめんね……きっとこのまま側にいたら、豊くんが辛い思いをするって分かってる。美知に言ったのと同じように、側にいないでって言わなきゃないんだって分かってる」
そしてゆっくりと自分を見上げた早瀬に、豊は可愛いな、と自然に思った。
「でも、もう少しだけ側にいて欲しい……」
「いいよ、俺もまだ早瀬さんを見ていたいし」
あえて何でもないことのように彼女の願いを聞き入れた豊に、早瀬は「ごめんね」と悲し気な笑みを浮かべた。
……。
そして、早瀬はある日パタリと筆を取れなくなった。
*
描きかけの作品や彫像が隅に並ぶ部屋。
その中にぽっかりと空いた広い空間にある、大きな真っ白なキャンバス。
まるで早瀬の代わりのように豊はそのキャンバスの前に座った。
真っ白なキャンバスに木炭で下絵を描いていく。
アタリを描くだけだけれど、このときからイメージを頭の中で描き始める。
ここにはどの色を乗せようか。
どの筆を使って表現していこうか。
イメージが明確になっていくと、頭の奥がチリチリと焼け付くような感覚になる。
『頭の中で、線香花火がパチパチと弾けているような感覚だよ』
そう言ったのは彼女だった。
まるでシナプスが焼き切れて行くかのようなこの感覚は、確かに線香花火に似ているかもしれないと豊は思う。
言葉では表しづらい高揚感。
焦りにも似た興奮状態。
ただ静かにキャンバスに向かい手を動かしているだけなのに、心は戦にでも向かう武士の様だった。
木炭を筆に変え、イメージに向けて色を作る。
出来上がった色を真っ白なキャンバスに乗せた瞬間、楽しいという感情が爆発した。
筆に色を乗せ、キャンバスの上を滑らせる。
イメージとの齟齬を埋めていったり、もっと良くなるよう脳内のイメージを描き変えていったり。
今まで感じたことのないような高揚感。
彼女のように、命を燃やしていると感じる。
豊は今、正に生きていると実感していた。
楽しい。
自分のすべてをこのキャンバスにぶつけるように映し描いている。
その言葉に表しがたい楽しさに、自然と口元に笑みが浮かんだ。
「……何で笑ってるの?」
キャンバスに集中していた豊に、声が掛けられる。
楽しい時間を邪魔されたような感じがして、少し眉を寄せた。
もしかしたら、自分が初めて声を掛けたときの早瀬もこんな気持ちだったのかもしれないと少し反省する。
そして、チラリと声の人物を見た。
美術室のドアの所から自分を見ている少女。
焦げ茶色の長い髪を結いもせず下ろしている彼女は、硬い表情でもう一度繰り返した。
「ねぇ、何で笑ってるの?」
「……そりゃあ、楽しいからね」
豊は答えると、筆を持ち直し手の動きを再開させる。
話しながらだと先程のような高揚感を得る描き方は出来ないけれど、微調整くらいは出来るから。
「……今日は結ってないんだな、髪」
「……」
「……好きなんだけど、早瀬さんのポニーテール」
「っ!」
豊の言葉に、少女――早瀬は泣きそうな顔で息を呑んだ。
「な、んで……そんなこと言うの? 私は、豊くんに病気を移しちゃったんだよ⁉」
「……うん」
芸術病は珍しい心の病。
命を削って芸術作品を生み出すという病そのものもだが、心の病でありながら人に移ってしまうという特性を持つことでも珍しいと言える。
しかも移した側はもう二度と罹患しない。
――移す方法は、心を通わせること。心の病だと言われる一番の理由だ。
「私、移すかもしれないって分かってて、豊くんに側にいてょしいなんて言ったんだよ⁉」
「うん」
「なのに何で怒らないの⁉」
泣きながら悲痛に叫ぶ早瀬に、豊は手を止め筆を置いた。
「……移すかもしれないとは思っても、移そうと思っていたわけじゃないだろ?」
「当たり前だよ! 豊くんは、心を通わせるほど大事に思った人なんだよ? 早死にするって分かってる病気、移したいなんて思わない!」
それでも……移したくなくても、人のぬくもりに飢えていた早瀬は心から突き放すことが出来なかったのだろう。
だから、もう少しと願ってしまった。
そんな早瀬の思いも全部、豊はちゃんと分かっている。
「うん、分かってる。……でもそれなら、俺の気持ちも想像出来るだろ?」
「え……?」
「心を通わせるほど大事に思った早瀬さんが、早死にするなんて嫌だって」
「あ……」
自己嫌悪からか、豊の気持ちまでは考えていなかったんだろう。
言われてやっと思い至ったらしい彼女は、そのまま押し黙ってしまった。
「……怒るわけないだろ? 俺だって、移るかもしれないって分かってて側にいたんだから」
「っ……!」
目じりに涙を溜めた状態の早瀬を豊は手招きする。
側に来た彼女を見上げ、豊は優しく笑みを浮かべた。
「それに俺は幸せなんだ、こんなに熱中出来るものが出来て。……早瀬さんがどんな風に絵を描いていたのかを知れて」
「豊くん……」
「……なぁ、今日病院行ってきたんだろ? 早瀬さんの寿命はどれくらい?」
芸術病ではなくなったとはいえ、今まで削ってきた命は戻らない。
だが、そのまま患っていた場合より寿命が延びたのは確実だ。
「……二十年くらい」
「それはいいな。俺も同じくらいって言われた」
この年になってから移って罹患した自分も、医者から寿命はそれくらいだと教えられた。
寿命を八十と見た場合、それくらいだと。
聞いた瞬間の感想は、思ったよりあるな、だった。
「もっかい言うけど、俺は今幸せなんだ。こんなにも生きているって感じられることなかったから」
「……」
涙は止まったけれど、まだ悲し気な顔をする早瀬の手を取る。
「たださ、もう一つどうしても欲しいものがあるんだよ。……それは、早瀬さんにしか叶えられない」
「私にしか?」
「うん。俺、早瀬さんが欲しい」
「え? それ、どういう……」
さらりと口にした言葉が信じられないのか、早瀬は困惑の色を浮かべた。
豊は立ち上がり、今度は見下ろして告げる。
「好きだよ、早瀬さんのことが。残りの二十年、俺のそばにずっといてくんない?」
告白……からのプロポーズ。
お付き合いを通り越した求婚に、目を見開き驚く早瀬は完全に涙を引っ込めた。
「早瀬さんならもう芸術病にかかることもないだろ? だから、躊躇いなく言える。……結婚して、俺のそばで笑っててほしい。この病気を知る早瀬さんだからこそ、そばで支えて欲しい」
まだ信じられないのか、ポカンとしている早瀬に苦笑する。
「返事は?」
促すと、やっとじわじわ理解してきたのか口が動いた。
「……私で、いいの?」
「早瀬さんだから、いいんだよ」
「だって私、もう絵は描かないよ? 多分、描こうとしても描けない……豊くんが見ていたいって言ってくれた私にはなれないんだよ?」
いたたまれないように、また泣きそうな顔で視線を逸らされる。
ちゃんと自分を見て欲しくて、豊はうつむく早瀬の顔を覗き込むように屈んだ。
「良いに決まってんじゃん。確かにはじめは絵を描く早瀬さんに惹かれたよ? でもさ、一緒に過ごすうちに西田早瀬っていう女の子が好きになったの……なぁ、返事聞かせてくれよ」
「そんなの、OKするに決まってるじゃない!」
バッと顔を上げる早瀬。
思ったより勢いがあって、今度は豊の方が驚く。
お互いの顔を見合って、どちらともなくフッと笑った。
「じゃあ、残りの人生よろしくな」
「こちらこそ」
命を削るという芸術病。
そんな病に侵されながらも、豊は笑う。
特別好きなものも無くてなぁなぁに生きてきた十八年より、これから先の二十年の方が充実してると確信出来るから。
人より短くなった命。
だが、代わりに渇望していたものを手に入れた。
生きていると実感できる作品作り。
そして、側にいてくれると約束してくれた好きな女の子。
人より短くても、明るい未来がある。
そんな未来を胸に、豊はこれからも笑って筆をとるのだった。
END




