四章 人の心を守る巫女
一時間後、スズエは目を開く。
「おはよー……」
起き上がり、あくびをしながら挨拶する姿はやはり自分と同年代の少女だ。普段からこうすればほかの男も寄ってくるだろうに。
「おはよう。紅茶飲むか?」
尋ねると、彼女は頷いた。オレは紅茶を淹れ、スズエに渡す。
「ん……あんがと……」
ウトウトしながらそれを受け取り、一口飲んだ。……警戒心ないよな、スズエ。毒でも入っていたらどうするつもりなんだろうか。それとも信用してくれているからだろうか。
「うー……お姉ちゃん……?」
キナも目をこすりながら起き上がってくる。スズエは「おはよう……」となおも寝ぼけて挨拶した。うーん、多分ほぼ寝ていないからだろうな……。次第に起きてきているみたいだが。
もう少し寝ろと言う前に、完全に目覚めてしまったスズエは準備を始めた。
「ラン、キナも起きたことだし、行こうか」
「あ、おい!飯はどうした!?」
「後でいいよ」
そのままスズエは部屋から出てしまう。慌てて追いかけると、スズエはモニター室……の隣の部屋に来た。隠し部屋で、ここも謎の制御装置が置いていた。
「これは……」
「話しかけるのは少し待ってくれ」
いつもならすぐに答えてくれるのに、スズエはそちらの方に集中してしまう。数十分ぐらい経っただろうか。スズエは何かの映像をつけた。
そこに映っていたのは、エレンさんとグリーンが話している場面。
「……………………」
スズエがカタカタと操作していくと、グリーンが別の人物になっていった。黒髪の男性、だろうか。誰かの面影がある。
「へっ?これは一体……」
「多分、エレン兄さんの記憶だよ。でも少しいじられているって感じだね」
こっちが本当の記憶、とスズエは言った。まぁ、そうだとして……。
「なんで、お前は気付いたんだ?」
聞くと、スズエは薄く、悲しげに笑った。
「思い出したんだ」
「思い、出した?」
「そう。この首輪も、ここにある装置も……全部、おじいちゃんが作っていたものなんだ」
その言葉に、目を見開く。ここにある機械類は、スズエの祖父が作った……?
「うちの家系……森岡家の方は、元々武家だったらしい。その時から、研究者として名をはせていたって聞いたことがあるんだ。おばあちゃんも、研究者の家系でね。おじいちゃんと気が合って結ばれたって聞いた」
「……何の、研究をしていたんだ?」
聞いていいことなのかは分からないが、どうしても聞きたかった。スズエは拳を握りしめ、
「「記憶について」だよ。おばあちゃんはトラウマに苦しむ人達を救いたいって、ずっと研究していたんだ。おじいちゃんはそれをもとに、記憶を操ったりする機械を作っていた。この首輪に関しては、私達が自由に遊べるようにって作ってくれたかな?だから本当は、自由にカスタムが出来るんだよ」
今は出来ないけど、とスズエは苦々しく告げた。まさか自分の身内が他人のためにと研究し、作ったものがこんな風に利用されているとは思わなかっただろう。
「でも、なんでここにおじいちゃん達のものが……?」
「それは、君の記憶にヒントがあるハズさ」
ユウヤさんに似た、けれど少し低い声が後ろから聞こえてきて、二人して振り返る。そこにはやはりユウヤさんに似ているが、ニット帽やマフラーの色が違う青年が立っていた。
「お前は……」
「初めまして、だよな?」
「シンヤ、か?」
スズエが名前を言うと、彼は「あぁ、スズエは知っていたんだ?」と嗤った。
「ユウヤから聞いた?」
「……っ」
つらそうな顔をする。何か、あったのだろうか?
「ボクは、お前のせいで死んだんだよ。それなのにあの馬鹿な弟はなおもお前を守ろうとしている。憎い、憎い憎い憎い!お前が憎い!
――死ね!死ねよ!むごたらしく死ね!無念に満ち溢れながら死んでしまえ!」
罵声を浴びせられているが、スズエは動じなかった。
「――やめてくれないかな?シンヤ」
いつの間にいたのか、グリーンがシンヤの後ろに立っていた。シンヤは振り向いて、「なんで止めるんだ、アイト」といやらしく笑った。
「君が死んだのは彼女を受け入れなかったあいつらのせいだろ?彼女はむしろ被害者だ。それを彼女に擦り付けるのは間違っていると思うけど」
……あれ?グリーンがスズエをかばっている?
グリーンは敵じゃなかったのか?
「あははっ!アイトも本当に優しいなぁ!――やっぱり、ボク達を裏切ろうとしているのか?」
「…………黙秘するよ」
「まぁ、いいけど。でも、少しでも怪しい行動をしたらお前の首輪を起動するからな。それまでに首輪が取れることを祈っているよ」
シンヤが消えると、グリーンはスズエに近付いた。
「大丈夫だった?スズエさん」
「……なんで守ったんだ?お前にとって私は殺す対象だろ?」
訝しげに、スズエは尋ねる。グリーンは「別に」とそっけない返事を返した。
「ただ、君が本来の参加者じゃないのに無理やり参加させられた挙句、あんなこと言われるのが嫌だっただけだよ」
「……………………」
スズエは目を見開く。そんな彼女など気にせず、グリーンは背を向けた。
「じゃ、これ以上君達に干渉したらシンヤに殺されかねないからもう行くね」
グリーンはそのまま、寂しそうにしながら去っていく。
「……やっぱり、あいつは……」
スズエはその背中を、悲しげに見つめていた。
少しして、彼女は「……もう少し調べてみるよ」と言った。
「スズエ、その……」
「あいつの言う通りかもね」
スズエは自嘲した笑みを浮かべた。
「今の私があるのは、死なせてしまった人達がいるからだ。特にミヒロさんは、私が殺したも同然だ。――惨たらしく死んでしまうのが、一番いいのかもしれない」
違う。
スズエは……お前は、皆のために、憎まれ役を買って出ているだけなんだろ?責められるべきは、お前じゃないだろ?
「……ごめんね、アイト。私、勘違いしていたみたいだ。――お前は、何も変わっていなかったんだな」
そう呟きながら、スズエはモニター室の方へ足を進めた。
モニターをかかっていると、「ラン君」とAIのスズエが声をかけてきた。
「どうしたんだ?」
「何があったの?アイト君、寂しそうだった……」
そういえば、このスズエはグリーン専用のAIだったと思い出し、事情を説明すると、
「……そう。やっぱりそうだったんだね……」
「スズエちゃんは、何か知っているのか?」
「アイト君のことは大体知っているつもりだよ」
AIスズエは寂しげな雰囲気を出していた。
「……あの、ね。アイト君、本当はこのデスゲームをしたくなかったの。ずっと、ここで泣いていたんだ。なんで皆が理不尽に命を奪われるゲームに参加させられないといけないんだって」
……そう、だったのか。だから、グリーンはさっき……。
「特に本当の私が参加するってなった時、私に謝ってきたの。「本当の君まで巻き込んでしまってごめん」って。その時は一晩中泣いていて……実体のない自分が、初めて恨めしく思えたの。私はただ、アイト君の話を聞いて、言葉で慰めてあげることしか出来ないから……抱きしめてあげることも、涙を拭ってあげることも、出来なかった」
AIスズエは泣いていた。それだけ、つらかったのだろう。
「ごめんね、ラン君達にとっては敵なのにかばうようなことを言っちゃって……。でも、私はやっぱり、アイト君が好きだから……」
好き、というのは兄としてか、それとも……。
「ねぇ、ラン君。お願いがあるの」
AIスズエがオレに頼みごとをしてきた。
「もし、本当の私が同意書を書こうとしても……絶対に、止めて。アイト君だって、彼女を「こちら側」に引き入れたくないの」
「こちら側って……?」
「シンヤ君は、本当の私の力を欲しがっている。あわよくば、モロツゥに引き入れたいって思っているんだよ。それはつまり、あなた達の敵になってしまうってことなの。ううん、それどころか世界の敵になってしまう。でもね、アイト君は本当の私に生きていてほしいって……同意書を書かせるか悩んでいた。だから、ラン君が……あなたが、止めてほしい」
世界の、敵に……こんな優しい少女がそんなのに耐えられるハズがない。
オレは、どうしたらいいのだろうか……?
図書室から本を持って、食堂に向かうとフウが「姉ちゃーん!」とスズエに抱き着いた。
「どうしたんだ?フウ」
「あのねあのね!花冠作ったニャ!」
花冠を見せる姿は弟が姉に、子供が母に見せているようなものだった。
「おー、上手だね。誰かから教えてもらってたの?」
「お母さんからニャ!お花を持っていったらいつも作ってくれたニャ!」
「そうなんだな。器用な母親だったんだな」
「姉ちゃん、しゃがんでニャ」
「こう?」
スズエがかがむと、フウは花冠をスズエの頭に乗せた。そして、嬉しそうに跳ねた。
「やっぱり似合うニャ!」
「もらっていいの?」
「うん!もらってほしいニャン!」
「ふふっ。ありがとう、フウ」
スズエが優しくフウの頭を撫でる。その姿は本当に、幸せそうなものだった。
「でも、この花どうしたの?」
「隠し部屋のところにお花畑があったニャ。レントさんも一緒に摘んでくれたんだニャ」
「そうか。よかったな」
「でも、取りすぎちゃって余っちゃったニャ……お花さん……」
「だったら、持ってきてくれる?私もお返しに作ってあげよう」
スズエが笑うと、フウは「ホント!?やったー!」とレントさんを連れて部屋まで向かった。そして、白い花をたくさん持ってくる。
「待っててね」
そう言って、スズエは手慣れた様子で作っていった。器用だなぁ……。
白い花冠が出来上がり、スズエもフウの頭に乗せた。
「どうぞ」
「ありがとうニャ!大事にするニャ!」
フウは幸せそうに笑う。スズエも優しく微笑んでいた。
――一瞬だけ、スズエが花に命を奪われる幻覚が見えた。
赤い花が何個も咲き、綺麗な姿で事切れているスズエ。一瞬だったのに、やけに鮮明に残った。
「……ラン君、どうしたの?」
ユウヤさんが小さな声で聞いてきた。オレは「いや、何も……」と首を横に振る。さすがに、スズエが死ぬ幻覚を見たなんて言えない。守護者である彼には、特に。
それにしても、スズエとフウは本当によく似ている。どうしても、他人とは思えないほどに。
「でも、その花か……」
「このお花?」
「それね、「マーガレット」って花なんだけど、九月三日の誕生花なんだ」
九月三日……オレの、誕生日だ。
「うん。知ってるニャ。お母さんが教えてくれたニャ」
「じゃあ、花言葉は知ってる?」
「……ううん。それは分からないニャ」
「マーガレットの花言葉はね、「真実の愛」って意味なんだ。だから、花占いでマーガレットがよく使われるの」
真実の、愛……。それが、マーガレットの花言葉。オレの、誕生花。
「……ぼくも、そんな人に出会えるかニャ?」
「きっと出会えるよ。それまでは、私が守ってあげる」
フウは他人の痛みが分かる子だからね。その心が壊れないように、誰かが守らないといけないんだよ。
スズエがそう言うと、フウはキョトンとした後、涙を流した。
「フウ?どうしたんだ?」
スズエがその涙を拭うと、フウは「ごめんニャ……」と謝る。
「ただ、本当のお母さんと同じことを言われたから……」
「……そう……」
泣き続けるフウを見ていたが、スズエは不意に椅子に座り、膝を叩く。
「おいで、フウ。歌でも歌ってあげる」
そう言うと、フウは頷いてスズエの膝に座った。
優しい歌声が響く。儚く、切なく、美しい、そんな澄んだ声。子守歌のような、穏やかなものだった。
「……あ、寝ちゃった……」
しばらくして、スズエはフウの顔を見て少し困ったような顔をした。覗き込むと、確かに寝てしまっていた。まぁ、あの歌声は確かに寝てしまうよなぁ……。
「どうしよう……」
フウの頬を軽くつつきながら考えていたが、フウがスズエの服を掴み、
「……お母さん……」
涙を浮かべながら、そう呟いたのが聞こえた。母親と同じ雰囲気があるのだろう。スズエは少し悩んだと思うと、
「……まぁ、たまにはいいか」
そのまま、本を読み始める。時々物憂げにあくびをかみ殺す様子はまさに、母親のようだった。
今度は、白衣姿のスズエが一瞬だけ映った。フウはまだ幼くて、スズエの膝に乗っている。とても、幸福そうな幻覚。
皆が探索に行っている間、隣に座って同じように本を読んでいると隣からもう一つの寝息が聞こえてきた。隣を見ると、スズエも目を閉じていた。
「……やっぱ、疲れてたんじゃねぇか……」
オレはため息をつき、近くにあったひざ掛けをスズエの肩にかけた。
――本当に、似てるよなぁ……。
何度見ても、いや見れば見るほど思う。
フウの頭を撫でると、オレの腕を掴んで、
「うー……お父さん……」
寝ぼけながら、頬を擦り寄らせた。寂しいのだろうと、オレもしばらくそのままにしていた。
数分後、スズエが薄く目を開く。
「ん……あぁ、すまない。寝てしまっていたようだな」
「いや、いいよ。少し休めよ」
オレが進言するのだが、
「……いや、あまり悠長にはしてられない」
そう言って再び本を読み出す。
「感情人形……イルスア……彼女を怒らせると面倒そうだな……」
「お、おう……?」
お前も十分怖かったけど?とは口が裂けても言えない。
「あ、スズエさん。ちょっと見てほしいものが……」
その時、ユウヤさんが来た。彼は紙を持っていた。
その内容は、いわゆる恋文のようなものだった。
研究のために来た村で、巫女の血筋の女性と出会い、恋に落ちた。そして、不義の子供が生まれた。
「……これ……お父さんが書いたもの……?」
「内容的に、そうだと思う。でも、なんで……」
どうやら心当たりがあるらしい。なんでこうもスズエの家族に対するものが出てくるのだろうか。
ユウヤさんは考え込む。しかし、不意にマフラーを取って、
「ねぇ、スズエさん」
彼は、首にかけていた鍵の形をしたアクセサリーを見せた。
「これ、見たことある?」
そう問われ、スズエはじっとそれを見る。
「いえ、見たことはない……いや。私、それを……持っていたことがある?」
返ってきたのは、そんなあいまいな答え。結局、持っていたのか?
「確か、それは誰かから渡されて……そして……誰かに、渡した?でも、私、鍵の形のアクセサリーなんて持ったことないハズ……。不思議な感覚ですね。なんというか、それを見ていると……寂しくて、悲しくて、だけど希望を持たせてくれる。……きっと、ユウヤさんを大事に思っていた人が渡してくれたんですね」
そこまで言うと、ユウヤさんは「……君はすごいね」と小さく微笑んだ。
「そうだよ。これはボクの大事な人が渡してくれたものなんだ。「未来を拓け」って、言われて」
「そうなんですね。……渡したのは、女の人ですよね。その鍵自体に力はないけれど、ユウヤさんを守ろうとする「誰か」の力を感じるんです」
「さすが、巫女の家系だね。そこまで感じ取れるなんて」
そう言って、ユウヤさんはそれをスズエに差し出す。
「これ、君が持っていてほしい」
しかし、スズエは首を横に振った。
「……悪いけれど、それだけは受け取れません」
「どうして?」
「多分ですけど、私が持っていたらダメな気がする。渡すとしても、別の人に渡してください」
どういう意味だろうか?スズエはダメなのに、ほかの人達はいいなんて……。
「……そうか。ごめんね、急にこんなこと言って」
「いえ、ユウヤさんが私を守ろうとしてくれているのは分かっているので」
その場に流れる空気は、主君と従者が互いを思いやっていると分かるものだった。ちゃんと信頼関係が築き上がっている。
「あの……フウ君はまだ……」
レントさんが話しかけると、スズエは「まだ寝ていますね。疲れていたんでしょう」と笑った。
「そ、そうかい……。その……個人情報の件、本当に申し訳ない……」
「いえ、いいですよ。脅されていたんでしょう?」
その言葉にレントさんは俯き、彼女の前の席に座る。
「……私には、優秀な兄がいてね。親はその兄の都合ばかりを優先する人だった。認められたいって一心で、頑張っていて……」
「そこを利用されたんですね……」
「……あぁ。でも、私はスズエさんの個人情報しか言われていない。だから、あんなに集められているなんて知らなかった。それだけは、本当だ」
「……まぁ、そうでしょうね。下手すればあそこに日本国民全員の情報がありますよ。そんな量を一人で集めることはまず不可能です。それに、知らないうちに悪事に加担してしまっているという話もよくありますから」
スズエは一切責めなかった。スズエなりに割り切っているのかもしれない。
「レントさんはどこの会社に勤めていらっしゃったのですか?オフィスを見た限りだと、製薬会社かと思ったのですけど」
「よく分かったね。……あぁ、それで去年のことだったかな?帽子を深く被った男女がうちに来て、この薬を作って極秘に渡してくれって言われたかな?さすがに怖かったから、私は携わっていないけれど」
「男女……?」
極秘にって……やばくね、それ?
スズエは髪の毛をいじる。そして、「ラン、その本取ってくれないか?」と言われた。
「え?あぁ」
わけが分からないままその本を渡すと、スズエはページをめくっていった。そして、
「まさかとは思いますが……こんな色の薬でした?」
レントさんに見せたのは、薄い青色の液体状の薬の写真。そこまで危険そうには見えないが、スズエの顔は険しいものだった。
「あぁ、確かにこんな色の薬だったな……見たことなかったし、珍しい色だと思っていたけど……」
「……やばいことになったな……」
答えを聞いた途端、スズエの表情は変わった。
「それ、どんな薬なんだい?」
ただ事ではないと思ったらしいレントさんはスズエに尋ねる。スズエは頭を抱えながら、その答えを言った。
「……いわゆる違法薬ですよ。と言っても麻薬とかではなく、改良すればちゃんと医薬品になりえる薬です」
「違法薬……」
「それ、副作用が酷くて裏ルートでは時々使われるものですが、表では絶対に出回っていないです。結局、脳に直接作用するものなので……それは国に許可を取らないと、研究も製造もしちゃいけないんですよ」
脳に直接……確かにそれは危険だな……。国に許可を得ないといけないというところも、危険である証拠だ。
「それって、そんなに危険なの?精神薬だとかも直接脳に作用するって聞いたことがあるんだけど」
ユウヤさんが尋ねると、スズエは頷いた。
「……この薬はかなり特殊なんですよ。なんせ人の「記憶」を扱うものですから。そのせいで廃人になる人間もいる」
記憶を……そんな薬があるなんて……。
「なぁ、それって最近話題になってる「精神崩壊事件」と関係あるか?」
オレが聞くと、スズエは「それはないな」と言った。
「さっきも言った通り、裏ルートで扱うような薬だ。そんな表立って使ったらすぐに足がつくだろ。……警察が黙認していれば、話は別だが」
それもそうか……。だとしたら、別のことに使われたと考える方が自然だ。
それにしても、気になることがある。
「スズエ、お前やけに詳しいが、知っているのか?」
ユウヤさんの後ろに立っていたタカシさんが口を開く。その答えは、
「知ってるも何も、この薬はおじさんが作っていたので」
案外あっさりした、しかしかなり衝撃的なものだった。マジでスズエの家系って何なんだ……?
「ちなみにおじさんは、人間では実験したことはないですよ。人間に使うにはあまりに危険すぎて、もっと改良しないといけないって言っていたので。だからこそ、違法薬になっているわけですし」
その時、フウがスズエの腕の中であくびをした。どうやら起きてしまったようだ。
「あぁ、ごめんね。起こしてしまったか?」
「ううん……大丈夫ニャ……」
フウはスズエの服を掴んでいた。「ニャンチャンクッション……どこ……?」と呟きながらスズエに顔を擦り寄らせている。
「ネコちゃんならここだよ。ちゃんといい子いい子してる」
「お母さんからもらったお友達……いい子いい子……」
むにゃむにゃとフウは眠そうにしている。子供の扱い慣れてるなぁ……。
「もう少し寝ていていいよ。私のことは気にしないで」
スズエが頭を撫でると、フウは「ううん……起きるニャ……」と目をこすった。「無理しなくていいのに……」とスズエは苦笑いを浮かべながら降ろす。
「……ありがとうニャ、姉ちゃん」
少し寂しそうな雰囲気を出しながら、フウはお礼を言った。不思議そうにしながら、スズエも「別にいいよ」と言った。
食堂に二人きりになった時、スズエは「後であの謎の部屋に行ってみようか」と提案された。断る理由がないので、オレは頷く。
その時、遠くから悲鳴が聞こえた。これは……キナのものだ。
「行こう!」
「あ、あぁ……!」
スズエと共に悲鳴が聞こえた場所――スズエと最初に出会った場所に行くと、ゴウさんがマイカさんに後ろから刺されていた。
ケイさん達も集まってきた。
ヤバイ……!
これは言い逃れ出来ないぞ……!
「何してるのかなー?」
ケイさんがマイカさんに事情を聞こうとしたが、それを他でもない、スズエが止める。そしてゴウさんに近付き、怪我の具合を見た。
「……なるほど……ユウヤさん、すみませんが救急箱を持ってきてくれませんか?」
「わ、分かった」
ユウヤさんが持ってきている間、スズエは止血をしていた。だが、場所的に難しいのだろう。かなり苦戦しているようだ。ユウヤさんが持ってくると、スズエは一度包帯を巻いて、マイカさんの方を見た。
「マイカさん」
あぁ、問い詰められる。そしたら……人形達の本当の目的が知られてしまう。知られたら……きっと、見捨てられる。そう思っていたのだが、
「腕、見せていただけませんか?怪我されているでしょう?」
「え……」
スズエは予想の斜め上の言葉を放った。確かに、マイカさんの腕は少し壊れているが。何を考えているのか分からなくて逆に心配になってしまった。
マイカさんは恐る恐るといった感じでスズエに腕を見せた。その壊れた場所をじっと見て、
「……少し待っててくださいね」
スズエは工具箱を持ってきて、そこを修理し始める。
「……あ、あの。怒らないの……?」
マイカさんは怯えていた。当然だ、ペアを殺そうとしていたのだから。オレだって、同じ状況なら怖いし、気が気じゃない。
「……私は怒るつもりなんてありませんよ。あなた達にも何か理由があるのでしょうし。そもそも、間接的とはいえ、五人も殺している私に怒る権利も、命乞いをする権利もないでしょう。少なくとも私は、殺されても文句なんて言えない」
しかし、スズエは淡々と答えた。それはあなた達に与えられた権利だと。自分はそれを止めることはしないと。
「それに、逆に私が気付いていないとでも思っていたんですか?割とそういうのを見破ることは出来るって自負しているんですけど」
困ったような表情で言われ、ようやく分かった。
あぁ、気付いていたのか。
気付いていて、あえて言わなかったのか。オレ達のために。
マイカさんは俯いている。スズエはただ直し続けていた。
「……昔、おじさんが教えてくれたんですよ。ここをこうやって治したら、また動くんだって」
場を和ませるためか、スズエは昔の話をしてくれる。
「シルヤと一緒に教えてもらっていたんです。パソコン関係だとか、医学関係だとか。シルヤはいつも首を傾げていたなぁ……うっすらとした記憶ですけど、兄さんもよく分かっていなかったかも。でも、ものづくりは大好きだったみたいで」
……スズエは本当に、家族を大事にする人だったんだな……。こうやって、ちゃんと思い出すことが出来るぐらいには幸せな生活だったんだろう。
「おじさんが目の前で死んじゃって引きこもっていた時も、ユキナさんと一緒に家まで来てくれたんです。あの子はいろんなもの作っては持ってきて、笑わせようとしてくれていました。その仕組みを教えてもらううちに、私もある程度は覚えちゃって」
そんな家族を、モロツゥは彼女から奪った。どれだけ堪えたのか、オレには分からない。
包帯を巻き終えると、「指、動かせますか?」と聞いた。マイカさんは指を動かし、
「……うん。大丈夫」
頷くと、「よかった。修理はシルヤの方が得意なので……」と笑った。修理が終わってもなお、スズエは怒ることはしなかった。
不思議な少女だと思う。深く踏み込むことはしないくせに、相手の心に足を踏み入れて癒しているような。
「大丈夫、私は責めませんよ。だって、悪いのはあなた達ではなく、あなた達にそんなことをさせるモロツゥでしょう。だから、あなた達が自分の手を汚す必要はない。手を汚すのは、私だけでいい」
だって、あなたの手はこんなにも綺麗なんだから。
スズエは優しく、血の付いたマイカさんの手を握った。自分が汚れることもいとわずに。ただ、「大丈夫」と慰めた。
「あなた達の手が血で汚れても、私がそれを拭ってあげる。だから希望を捨てないで」
そう言って微笑む姿は、巫女のようだった。
しばらく工具の片づけをしていたスズエだったけど。
「スズエさん!ゴウさんの血が止まらない……!」
ユウヤさんが慌てたように彼女に叫んだ。
「……っ。……仕方ない」
何が仕方ないのかと思っていると、スズエは落ちていたナイフを拾い、それで自分の手首を切った。
「なにやってるの!スズエ先輩!」
ナコの焦る声も気にせず、スズエはゴウさんの傷口に血を落とす。すると、光が溢れた。
「……え?」
それが収まると、ゴウさんの傷口は塞がっていた。スズエは自分の血をなめながら、「よかった、間に合った」と安心したように呟いた。
「な、何があったんだ?」
レイさんがわけが分からないと聞いてくる。その間に、ゴウさんは起き上がった。見たところ、本当に治っているらしく痛がることはなかった。ゴウさん自身、首を傾げている。
「――血療」
それに答えたのは、ユウヤさん。治療?どういう……。
「「血で癒す」と書いて「血療」だよ。彼女に流れる血は……他人の傷を癒す力を持つんだよ。大昔、その血を巡って争いが起こったぐらいだ」
淡々と、彼は説明していく。スズエは俯いていた。
つまり、スズエの血は特殊なものなのか?
「なんでそれを隠してたの?」
ユミさんが首を傾げる。その答えは至って単純なものだった。
「……だって、怖いでしょう。こんな……ばけものなんて」
その表情には恐怖が宿っていた。拒絶されると、思い込んでいる。その表情だけで、どれだけ恐れられてきたのか分かった。
ばけもの……。
血を流せば、他人の傷を癒すことが出来る。きっと優しい彼女は何度もそうやって自分を傷つけたのだろう。しかし、そうやって助けた代償は……いいものではなかった。「ばけもの」という、レッテル。それに加えて祖父母の事件やおじさんの自殺と重なれば……もう、外には出たくなくなるだろう。ずっと一人で、殻に籠っていた方が傷つかないと。
そしてだからこそ、シルヤに依存していたのだ。弟で、自分のことを理解してくれる彼に。
「……っ、ばけものじゃないよ!」
ユミさんが叫ぶ。
「スズエはばけものなんかじゃない!確かに驚いたけど、ちゃんとした人間じゃん!」
彼女の言う通りだ。スズエは不思議な力を持っただけの、ただの人間だ。だが、スズエは一つため息をついただけ。
「……こんな、生きながらにして死んでいるような奴が、人間とは思えないですけどね、私は。あなた達の方がよっぽど人間らしい」
生きながらにして死んでいる……。感情がなくなったことを言っているのか。
「私はもう、生きたいなんて思えない。今はただカナクニ先生や兄さんに皆を託されたから生きているだけで、ここから出ても、この先の人生に意味なんて、ない」
その瞳は黒かった。まるで生気を感じない。
それは、彼女が初めてオレ達に見せた「心の闇」だった。
「本当に……羨ましい」
人間らしい皆が。
ようやく、気付いた。この少女はただ、「死」を求めてここまで来た。「生」を求めてここまで来た皆とは、根本的に違ったのだ。きっと、託されたものがなかったなら彼女は既に……自ら命を絶っていたのかもしれない。
「……ペアを殺すことが目的のオレが言うのもなんだけどよ……命は大事にした方がいいぜ?」
思わず、オレはそんな言葉を吐いた。それを聞いた途端、スズエは初めてオレ達に怒りを見せた。
「希望のない人間にどう生きろって言うんだよ!唯一の理解者だった大事な弟を死なせて、生き別れていた兄貴を殺して!これ以上私にどうしろって言うんだよ!これ以上何を失えって言うの!?」
身内を殺し、自分の手を汚し。これ以上何をしろというのか。あとはもう、この命しか捨てられないんだよ。
そんな、魂の声が聞こえた気がした。
スズエの頬に涙が伝う。それを拭って、
「……ごめん。少し冷静さを欠いた。頭、冷やしてくるから探索する時は声をかけて」
そう言った後、スズエは皆から少し離れた壁にもたれかかった。
オレ達は茫然としていた。あんな風に怒鳴ったところを、見たことがなかったから。グリーンに対しても、あんなところは見せなかった。
「……ボク、少し話してくるよ」
少し経って、ユウヤさんがスズエのところに行った。ユウヤさんと話しているスズエは冷静で、少し安心する。
「ラン君、おまわりさんと少し話そうかー」
それを見ていたケイさんに言われ、オレは頷く。というより、それしかない。
「……スズちゃんはね、ずっと苦しんでいたんだよ。本当はシルヤ君がいないと精神が不安定になってしまうぐらい、酷く。でも、そのシルヤ君も、兄であるエレンも死んでしまった。スズちゃんには、心のよりどころが一切なくなったんだよ」
「…………」
ケイさんやユウヤさんも気を遣っているが、それでもスズエは不安定だったのだろう。ミヒロさんに投票してから、さらに。
「ユウヤは見て分かる通りずっとスズちゃんを守ろうとしているし、俺も出来る限り力になろうとしている。でも……彼女の傷は、深すぎてもう治らないんだ。どんなに手を尽くしても、俺達では癒すことすら出来ない」
「……そうっすね」
ずっと、隠してきたのだ。その傷を、心配させないように一人で抱え込んでまで。
「シルヤ君が死んだ時、ルイスマはなんて言ったと思う?」
「……分からないっす」
「「スズちゃんの絶望した顔、可愛い」だった。ルイスマはスズちゃんの心を殺すためだけに、シルヤ君をあんな風に殺したんだ」
必死になって、スズちゃんはシルヤ君を助けようとしていた。だけど……意味がなかった。そう、ケイさんは言った。
「……酷い……」
「その時、スズちゃんは自分を代わりに処刑してくれって懇願したんだ。それだけ……シルヤ君が大事だった。でも、俺達の命と弟の命……二つを天秤にかけざるを得なくなって、助けられなかったんだ。きっと、今もスズちゃんは生き地獄を味わっている。死ぬより苦しんでいるんだ」
寂しそうな表情を思い出す。シルヤのことを思い出しては、なんで自分が代わりになれなかっただろうかと。きっと、そんな風に考えている。
シルヤだって、姉に生きていてほしいと願っていただろう。もちろん自分も生きたいと思っていただろうが、それ以上にスズエに幸せになってほしいと。その気持ちが、痛いほど分かる。スズエが弟に生きていてほしかったと思う気持ちも。
「きっと、シルヤ君の代わりはラン君しか出来ないんだ」
「え……?」
突然そう言われ、オレは目を丸くした。オレなんかが、シルヤの代わりなんて……そんなこと、出来るわけが……。
「気付いていたかな?スズちゃんはラン君を心の底から信頼している。あの温かい目を、俺達に向けたことがない。ユウヤにはあるかもしれないけど、それは彼がスズちゃんの「守護者」ってやつだからだ。そんな理由もなく、君を頼りにしているんだよ。スズちゃんが感情を素直に出せるのは、君にだけ。君が、スズちゃんを「人間」に戻していっているんだ」
オレが、スズエの感情を……。
「ラン君、君はスズちゃんの傍にいてあげてほしい。君なりに、スズちゃんを支えてあげればいいんだ。きっとそれだけでも、スズちゃんは救われる。それは、俺やユウヤでも出来ない、君にしか出来ないことだからさ」
「オレ、しか……」
「ほら、俺達は年上だからどうしても、スズちゃんも遠慮してしまうだろうし。だからと言ってキナちゃんとかフウ君は幼いから守らないといけない対象だ。事実上、君しかいないんだよ。お願い、出来るかな?」
……ユウヤさんにも、似たようなことを言われた気がする。オレの答えは、決まっていた。
「……分かったっす。オレに出来るかは分かりませんけど……」
こんな最低な親父の血を引いたオレでも誰かの、いや、スズエの支えになれるのなら。
ケイさんは満足そうに笑った。その顔を、オレは知っている。
あぁ、彼もスズエに惹かれているのか。
あの時見たレイさんの顔と同じもの。そして、タカシさんもその顔を浮かべていたことを思い出す。自分達を闇から救い出してくれる、女神のような少女。
ようやく、分かった。いや、気付かないふりをしていただけだ。でももう、そんなことは出来ない。
オレは、スズエに惹かれているんだ。だからこそ、支えたい。同じように、救い出してあげたい。
「ラン君、スズちゃんのところ行こうかー」
そう言って歩き出してしまうケイさんの後を慌てて追いかける。スズエの傍には、フウとキナがいた。キナがちょうどスズエの長い髪をいじっているところだった。
「探索、続けるか?」
オレに気付いたらしい、スズエが問いかける。冷静さを取り戻したらしい。いや、彼女はもともと冷静だった。常に物事を見極めて、率先して動いて……。
――あぁ、本当に……。
なんというか、心臓がバクバク言っている。それを感づかれないように頷こうとすると、ケイさんが「それより、君達はお互いの理解を深めるべきじゃないかなー」と言った。何やってくれてんだと横目で見ると、「頑張れ☆」と小さくウインクされた。オレこいつ嫌い。一瞬でも尊敬した心を返せ。
「君達は同じ高校生だからねー。もう少しゆっくり話してみなよー」
「そ、それじゃあわたし、少しあっちに行っていますね」
キナも何かに気付いたのか、その場から去っていく。ユウヤさんはフウを抱え、皆の元に戻った。
その場に、二人だけで残される。しばらく沈黙が続いたが、
「……とりあえず、座るか」
耐えきれなくなり、その沈黙を破った。スズエは頷き、壁を背に座る。
「その……さっきは無責任なことを言って悪かった。大事な人亡くして、すぐに立ち直るなんて出来ねぇよな……」
スズエに謝ると、彼女も謝ってきた。
「いや、こっちも悪かったよ。いきなり怒鳴ったりしてさ……八つ当たりだって言われても文句は言えないよ」
いや、あれは……年頃の少年少女なら当然じゃないか?と思うが、スズエはかなり特殊な環境で育ったことを思い出す。
また沈黙してしまった。どの話題を出すべきか悩む。彼女と話せそうな話題……。
「……なぁ、シルヤの話、もっと聞かせてくれよ」
不意に出た言葉に驚いた。これ、聞いていいことだったか……?しかしスズエは静かに笑う。
「あぁ、いいぞ。
あいつはさ、小さい時は私の後ろをついてきていたんだ。身長も私より低くてな、可愛かった。それに、泣き虫だったんだよ。私より身長が高くなったのは小学三年ぐらいだったかな?すっごく喜んでたな、あいつ」
「まぁ、双子の姉貴の身長越したら嬉しいだろうな」
オレだって、仮に姉貴がいたとして身長越したら大喜びしただろう。男だし、姉より大きくなりたいものだ。
「それから、私の髪を触るのが好きだった。入院していた時に一度だけ、髪の毛をばっさり切ったんだが、その時ものすごく泣いてしまったんだ。「スズ姉の髪の毛が短くなったー」って。それ以来、どんなに短くしても肩より下の方で整えるようにしているんだ」
「あー、だから髪の毛長いんだな。手入れ大変そうだと思ってたけど、そんな理由があったのか」
髪の毛の短かったスズエ……見てみたい気もする。それに確かにスズエの髪の毛は触り心地がよさそうだ。
「あとはからかわれることが多かったな。仲がよくて苗字が違うから、いつも「付き合ってんだろ」って言われて、そのたびに「姉弟なのにね」って笑い合っていたんだ」
「まぁ、男女があの距離で親友は、他の人から見たら異常だからな」
オレは双子だと知ったからあの距離感も理解出来たわけで、普通の人が見たら本当に付き合ってるんじゃないかって思うぞ。あれは。
「ふふっ、そうだね。……本当にシルヤ、もういないんだなぁ……」
スズエが小さく呟く。頭では分かっているのだろう。だけど、それが受け入れられない。当然だ、突然理不尽に殺されたのだから。
「……本当は私が、守ってあげなきゃいけなかったのに……」
そこに含まれているのは、姉としての後悔だった。弟を守りたかったのに、守れなかった姉の。
「……別に、お前のせいじゃねぇだろ」
オレの言葉に、スズエは「えっ……?」と言葉を零す。これだけは、言わないといけない。
「シルヤはさ、お前を守ってやりたかったんだよ。お前が助けてくれるって分かってて、でも死なせたくないって。きっと、そう思ったんだ」
「……本当に、あいつらしいな。お人好しすぎる」
確かに、シルヤ自身の優しさでもあっただろう。でも、それ以上に、
「お前の真似だろ?」
その言葉に、スズエは目を見開いた。意味が分かっていないらしい。オレは微笑みかけた。
「お前もきっと同じことするって思って、シルヤはそうしたんだよ。オレにはきょうだいなんていないからよく分かんねぇけど……シルヤと同じ立場なら、お前に生きていてほしいって、そう願う。今まで自分のために時間を費やしてくれてありがとうって、そう思うよ。だって、お前はずっと弟のために身を削っていただろ?」
そうじゃなきゃ、シルヤだって死ぬ選択肢を取らなかっただろう。彼女の兄の、エレンさんだって。スズエが大事で、生きていてほしいから、守ったのだ。
「……そう、か。そんな、ものなのか……」
スズエの瞳から雫が落ちる。オレはスズエの頬に伝う涙を拭った。
オレが出来るのは、これぐらいだけど。それでも、慰め程度にはなっただろうか。
「……なぁ、今度はお前の話を聞かせてくれよ」
スズエにそう言われ、オレは「面白い話は出来ねぇよ」と笑った。実際、そんな面白い話は出来ない。
――まぁ、でも……スズエになら、いいか。
「……オレの母さんはさ、オレを産んだ時に死んだんだ。親父は親父で、酒にギャンブルにって、ロクな親じゃねぇ。小さい時から、家事はオレの役目だった」
その説明に、スズエはようやく納得したようだった。
「だから、料理が上手かったんだな。男の子なのにえらいな、家事をするなんて」
「そう言ってもらえてうれしいよ。……そんなんだったから、家には借金取りがよく来るんだ。高校に行けたのも、運がよかったよ。学費は爺さんと婆さんが出してくれてさ」
「……なるほど。私は、親が仕事人間だから必要なお金だけ置いていっているような状態だよ。だからバイトをしていたな」
バイト……なんかやばそうなことしている気が……。踏み込むのが怖かったのでそれ以上は聞かなかった。
「オレもしてみたいと思ってるんだけどな、何せ親父がうるせぇし、金を稼いだら多分奪われるからな。漫画とか、爺さんと婆さんからもらった小遣いで買ってる」
「どこまでも最低な父親だな……どうやったらそんなクズのような父親からお前みたいに立派な息子が生まれるんだ……」
それはオレも言いたい。なんで放任主義の両親からお前らのような互いを思いやれるきょうだいが生まれるんだ。
「……私達、似ているな」
スズエに言われ、確かにと思う。スズエ達もオレも親から愛されず、今まで生きてきた。
「そうだな。……ありがとう、話、聞いてくれて。父親の話なんて、今まで誰にもしたことがないんだ。生きて、お前に会えたらよかったのに」
思わず漏れた、切なる願いは地に落ちた。
「……オレがさらしを巻いている理由は」
「うん?」
「父親から、暴力を受けているからなんだ。あのクソは見えねぇところに痕を残さねぇ。この身体は痣だらけなんだよ」
「……家庭内暴力か。大人はよほどのことがないと助けてくれないもんな……」
スズエも経験があるのかもしれない。苦々しく同情してくれた。
「……そうだな。顔とか腕には殴ってこねぇから……言うに言えないんだ、オレも」
身体を見せるわけにもいかないし、見せたところで取り合ってくれるかも分からない。子供はどこでどう怪我するか分からないものだから。それに、オレもそうだが親に知られるんじゃないかと怯えてしまう。だからこそ、子供はそんなことがあってもなかなか言い出せない。その恐怖を知っているから。
「なんか、楽になった。少し話すだけでもいいもんだな」
「あぁ、確かにな」
心が軽くなった。スズエもそうだろうか。二人で笑い合う。
「ありがとう、「相棒」」
「は……?」
今、スズエはなんて言った?聞き間違いか?
「何を驚いているんだ?お前は私の、最高の相棒だろ?」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。お前、本気で言ってるのか?
「でも、オレ、お前を裏切るかもしれないんだぞ……?」
「別にいいさ。それは私の見る目がなかったってことだからな」
スズエが手を差し出してくれる。オレは恐る恐るその手を握った。小さくて、柔らかくて……。
……温かい。
可能ならば、その手を血で汚さないようにしたい。
「……探索、始めようか」
「あぁ」
オレ達は立ち上がり、ケイさんのところに向かう。
「話は終わったー?」
「はい。ありがとうございます」
スズエが頭を下げると、ケイさんは笑った。
「別に構わないよー。探索を再開するんだよねー?」
「そうですね。私達はモニター室に行こうと思います」
「分かったー。気を付けてねー」
スズエと一緒に、モニター室に向かう。
……そういえば。
スズエに、聞きたいことがあるんだ。
「……なぁ、スズエ」
エレベーターに乗る前に、オレは呼び止める。「どうした?ラン」スズエが振り返った。
怖い、が、聞かないといけない。
「心臓の音と同じ機械音って、あるのか?」
その質問に対する答えは、「……は?」と目を丸くするスズエの顔だった。スズエはどう言おうか悩んでいるのか、髪をいじって、そして意を決したように答えた。
「……そんなの、ない」
「え?」
ないって……。だって、現にオレが……。
「当然だろ?少なくとも今の技術では不可能だ。心音と同じ機械音なんて、録音でもしない限り……」
「で、でも、オレ……」
「……失礼」
スズエがオレの手首に指をあてる。そして、目を見開いた。
心臓がはねる。どうしたのだろうか。
「……………………」
「なんだ?」
ずっと無言なので、さすがに心配になって聞いた。
「……ラン、実はお前だけを連れてきたのには理由がある」
モニター室に着くと、スズエは真っ先に被害者ビデオを読み込んだ。そして、衝撃的な事実を知る。
「これはユウヤさんにしか話していないことだ。――お前は、生きているんだ」
「……は?」
わけが分からない。そんなオレを置いて、スズエは言葉を続ける。
「お前は人形じゃなくて人間だと言っているんだ。……気付いてたか?人形の中で人間らしい言動をしていたのは、お前だけだったんだよ」
その言葉で、思い出した。そしてスズエの言葉を理解した。
寒いと言ったのは。飲食していたのは。人形の中で、オレ一人だけだったことを。
スズエが読み込んだのは、オレの処刑ビデオ。彼女はそれを元の映像に戻していく。するとそこに映っていたのは全くの別人だった。
「これ、は……」
目を見開く。自分は死んだものだと思い込んでいたのに……。
「私でなければ見逃していただろうね。ケイさんと一緒に見たんだが、彼は何の違和感も覚えていなかったみたいだし」
「なんで気付いたんだ?お前は……」
元警察官ですら気付かなかった映像を、なぜ高校生である彼女が気付いたのか。
「声が若干不自然だ。機械音が混ざっている。壁に飛び散っている血もおかしいな。ガタイのいい……それこそケイさんとかゴウさんとか、タカシさんぐらいの男性じゃなければあんな跡にはならない。見る人が見れば分かるようなものさ。ユウヤさんにも見てもらったが、やはり彼もおかしいと言っていた。ユウヤさんは自営業でエンジニアをしているから分かったんだろうな。……こういうのってようは、多くの人が分からないようにすればいいだけだ」
スズエに言われたのは、そんなこと。この映像は見る人が見れば分かるもの、ということだったのだ。
「……そう、か。オレは……「生きて」、お前と出会えたんだな……」
オレは涙を流していた。スズエは優しく涙を拭う。
それだけで、どれほど満たされたか。
オレが泣き止むと、スズエは機械をいじり出した。
「ペアの解除だけでもしておこうか。まぁ、他のやつも何とか解けそうではあるけど……時間がかかるね」
「でも、ペア解除したら……」
「あぁ、皆が自由に動ける」
それはかなり大きいことだ。
スズエがペア解除の操作をした後、放送する。その間にスズエは相手が再び操作出来ないように、設定をいじっていた。
「よし。これで一応自由行動が出来るな」
「あぁ。次は……」
オレがもう少し行動しようとすると、
「今日はもう休んだ方がいい。フウやキナの精神的なダメージが大きすぎる。それに、お前も休めていないだろ?」
スズエに言われた。時間も十八時だ。確かに休憩するにはちょうどいいだろう。
「スズエはどうする?」
「私はもう少し探索するよ。お前は先に休んでいてくれ。何かあったらすぐに来てくれ」
言い出した本人が休まなくてどうするんだとは思ったが、実際疲れていたので言葉に甘えることにした。
個室に戻り、今後どうするか考えていると、ベッドの下に何かが落ちていることに気付いた。
それは、シルヤがつけていた腕輪だった。それに、エレンさんの服もある。朝、ここを出るまではなかったので置かれたのはそのあとだろう。
明日にでも、スズエに渡そう。
それで、少しでも心安らぐなら。