70. 掠略(きょうりゃく)の儀式 〜ソフィアの恐るべき力〜
ソフィアは無言のまま王宮深部の広間を歩いていた。
ソフィアは、相変わらず胸元の開いた、ボディーラインの強調されたロングドレスだ。豊かな肢体で堂々と歩いていく。
長いストレートの金髪が、ソフィアの肩で揺れた。
「ふん」
なんてつまらない毎日。
週に一度行われる、掠略の儀式。
ここの広間の床は、磨かれた大理石で綺麗に整備され、職人によって細かく彫刻が施された石柱が9本、円形に配置されていた。
石柱と石柱の間には、やはりみごとな装飾の漆黒の燭台がそれぞれ配置され、常に火が灯されていた。
全く見事な儀式の間。
「でもこれは、ニセモノなのよね〜」
とソフィアは呟いた。
本物は、もっと隠された場所にある。
ソフィアは、この儀式の間を取り巻く壁を見た。
この広間を取り巻く壁は、岩が荒々しく積まれているだけの、広間の中心とは全く雰囲気の違う、殺風景なものだった。
そして、その中の一つの石に触れ、軽く押した。
すると、その瞬間、岩はずっずっずっと奥に移動し出した。そして連動するように周囲の岩も動き出した。
いくつかの岩が不規則に動く。上手に組んだ岩を魔力が滑らせることで起こす。
この仕組みを知っているものは、国王とプレアデス家とヒアデス家の中枢の者だけだ。
岩がうまく組みなおされて、やがて、大人が一人、かがんで入れるほどの隙間ができた。
そこにはもはや、広間の燭台の光は届かない。真っ暗闇の岩の隙間だ。
ソフィアは、慣れた足取りで、岩の隙間の間を通っていった。ごつごつした岩が、あちこち突出したり、凹んだりして道を作っている。
「掃除しといてって言ったのに」
ソフィアは、岩の隙間に、小さなクモの巣を見つけて、少しイライラして言った。今この岩の通路は、ソフィアの叔母が管理しているのだ。
ソフィアは、片手で光の魔法を使い辺りを照らし、片手でロングドレスの端をつまんで、ヒールの高い靴でカッカッと細い隙間の通路を歩いていく。
やがて岩の細い隙間の通路は、地下水脈の溜まり場のそばまでやってきた。
王宮の地下から少し離れた場所に、地下水脈によって作られた小さな洞窟があることは、一体誰が気づいたのだろう。
「本当、良く見つけたものね」
とソフィアは感嘆とも呆れとも取れる口調で言った。
地下水脈なら誰もたどれない。そこでプレアデス家かヒアデス家の先祖たちは、この地下水脈の作った洞窟の奥に、アルデバランの首を安置することにしたのだ。
大昔はこの地下水脈の水量も多かったのであろう。長年、水によって浸食されることでできたこの洞窟は、天井の高い大広間くらいの大きさはあった。
ただ、水という自然の驚異が作り上げたでこぼこの地形は、洞窟全体を見渡すことを困難にしていた。
そして、水によって磨かれた、つるつるの岩肌が、よけいにこの洞窟を美しく見せていた。さらに、この地下水脈の水の透明度。光を落とせば、底地まで見えるのではないかと思うほど、水は澄んでいた。
そしてこの洞窟の最深部には、大昔よりは水量が減ったとはいえ、地下水脈の溜まり場がある。この洞窟に流れ込み、この洞窟から流れ出るのに、一旦水が落ち込む窪地。
岩の細い隙間の通路からは低すぎて見えない、この地下水脈の溜まり場こそが、最重要な儀式の間だった。
アルデバランの首は、この地下水脈の溜まり場の窪地の、すぐそばに置かれている。
ソフィアは体勢に気をつけながら進んでいく。ソフィアの光の魔術だけが、真っ暗闇の洞窟の中を仄かに照らす。
つるつるの岩肌で滑って転ばないよう、足元に気をつけながら、窪地の方へ降りていく。下り道なので、足元が危ない。
窪地を目指して降りて、どれだけ歩いただろうか。ソフィアは、ようやくアルデバランの首のある場所までたどり着いた。
アルデバランの首は、石を組んで作った、小さな井戸のような場所に、無造作に投げ入れられていた。
牙の生えた、雄牛ような頭。
アルデバランの首から立ち昇る、凄まじい魔力量。取り巻く魔力で、小さいはずのアルデバランの首が、一回りも二回りも大きく見える。
そして、首だけになっても尚、アルデバランの目はギラギラと輝いている。ソフィアが覗き込むと、睨むようにしてこちらを見た。
「つまらん。また貴様か」
アルデバランの掠れ声で言った。
「ああ。また魔力が少し回復しているようだな。その生命力。本当に感心する」
ソフィアは、アルデバランを見下ろしながら言った。
「いい加減に、儂を解放しろ。儂がいつ、おまえたちに悪さをした?」
アルデバランは訊いた。
「昔のことは知らん。私は生まれてまだ20年そこそこだからな」
とソフィアは答えた。
「ふん。今日もアレをしにきたのか」
とアルデバランは言った。
「ああ。掠略の儀式」
とソフィアも半分めんどくさそうに答えた。
「ご苦労なことだ」
とアルデバランもぶっきらぼうに言った。
そこへウィリアム・ヒアデス卿がやってきた。
相変わらず大きな体躯、堂々とした立ち振る舞い、冷酷な表情。一つにまとめた長い黒髪。もう術衣を着ている。
「ソフィア。、それとあまり話すな。取り込まれるぞ」
とウィリアム・ヒアデス卿は低い声で嗜めた。
「はいはい」
ソフィアはうんざりした顔をした。
「ソフィア、さっさと術衣を着て来い」
「はーい、ウィリアムおじ様。ところで、ハリルや、ミゲル、ヘンケルトは?」
とソフィアは聞いた。
「さっき王宮深部の広間で、見かけない顔の者がうろついていたからな。片付けろと、置いてきた」
とウィリアム・ヒアデス卿は答えた。
「え? じゃあ今日は、ハリルやミゲル、ヘンケルトはなし?」
ソフィアはげんなりした顔をした。
「めんどくさ! 私のやること増えるじゃん」
「めんどくさいとか言うな。クレッカーや、ケイマンのハエがうるさいんだ」
とウィリアム・ヒアデス卿は言った。
「ハリル一人でだいじょうぶでしょ? ミゲルとヘンケルトは呼び戻してよ」
とソフィアは食い下がる。
「相変わらず文句が多いな。おまえ一人の力で十分なくせに」
とウィリアム・ヒアデス卿は呆れた声を出した。
「よく言うわ、おじ様! どれだけ、か弱い女を働かせるおつもり?」
とソフィアは抗議した。
「か弱い? おまえがか? 最近私は、おまえ一人で、この王国ぐらい潰せるんじゃないかと思えてきたよ。ミゲルやヘンケルト呼ぶのも、おまえの力を隠すためじゃないのか?」
とウィリアム・ヒアデス卿は射るような目で言った。
ソフィアはギクッとした。しかし顔には出さず、取り繕った。
「ウィリアムおじ様に言われたくはないわね。現存する最強の、やばい魔術師さん」
しかし、ウィリアム・ヒアデス卿は、ソフィアの軽口には返答しなかった。
「ソフィア、さっさと術衣を着て来い」
ソフィアはもう文句を言わず、岩陰に折りたたんで置いてあった術衣を、頭からすっぽりと被った。
術衣を着るのには訳がある。
アルデバランから剥がした魔力が、直接、魔術師を攻撃しないよう、体を守るように作られている。
王国の初期、プレアデス家とヒアデス家の先祖たちは、若くして亡くなることが多かった。アルデバランの魔力に当てられていたのだった。
それに気づいてからは、代々、必ず術衣を着るようになった。
「さあ、掠略の儀式を始めるぞ」
とウィリアム・ヒアデス卿は、ソフィアに言った。
「ふん」
とソフィアは鼻を鳴らした。
ソフィアは飽き飽きした顔を隠しもせず、カツンと右足を一歩前に出した。
ソフィアの魔力が、地面伝いに、バリバリとひび割れ分岐しながらも、アルデバランの首に向かって走っていった。
石で囲まれた場所に投げ入れられているアルデバランの首は、逃げることも叶わず、ただソフィアのその魔力を一身に受けた。
ソフィアのひび割れ分岐した線状の魔力は、アルデバランの首にまとわりつくと、バリバリと火花を散らしながら、アルデバランから魔力を引き剥がしていった。
ソフィアの額から、汗が垂れた。
「いやね、化粧が崩れるわ」
精一杯軽口を叩きながら、ソフィアはアルデバランを睨みつけている。
さすがにアルデバランほどの魔力の持ち手となると、ソフィアの魔力も激しく消耗した。
「ウィリアムおじ様! ちゃんとやってよ!」
とソフィアは怒鳴った。
「必要ないだろう」
とウィリアム・ヒアデス卿は、しれっと言った。
ウィリアム・ヒアデス卿は、今日はソフィアの力を見るために、ソフィア一人でやらせると心に決めていたのだった。
「なんですって? おじ様! 私、こんなに大変なんですけど!」
ソフィアはキレて言った。
「もうあらかたの魔力は、アルデバランから剥がれているじゃないか」
とウィリアム・ヒアデス卿は、冷静に首を横に振った。
ソフィアの魔力とアルデバランの魔力が、火花を散らしながら、ぐるぐると狂ったようにアルデバランの首を取り囲んでいた。
激しくぶつかり合う魔力で、アルデバランは不快を感じて、うめき声を上げた。
「ちょっと……まだ私にやらす気?」
とソフィアが、余裕の無さそうな声を上げた。
「できるだろ」
ウィリアム・ヒアデス卿は平然と答える。
ウィリアム・ヒアデス卿が手伝う気がないと分かると、ソフィアはこのぶつけるだけぶつけた魔力を、一人で何とか回収せねばならなくなった。
「ウィリアムおじ様にやらせる気だったのに!」
とぶつぶつ文句を言いながら、ソフィアは今度は左足をガツンと、一歩前出した。
ソフィアの左足を中心に、魔力の風が激しく舞った。
「おっと」
猛然たる魔力の風で、ウィリアム・ヒアデス卿ですら、一瞬足元がおぼつかなくなった。
「ソフィア、ここまでとは。ヤケになっているとはいえ」
とウィリアム・ヒアデス卿は呟いた。
ソフィアの放った魔力の風は、アルデバランに襲いかかると、アルデバランから剥がされた魔力を絡め取り、そのまま地下水脈へ落とし込んだ。
地下水脈は一旦ここに溜まるが、次から次に流れてくる水は、この国中の地下をめぐり、あらゆる泉、あらゆる川、あらゆる土地を潤す。
それとともに、アルデバランの魔力も、この国中に散ることになる。
そう。これが正体。
この王国に、魔力がある、理由。
この王国に、魔術師が存在し、魔力を使える、理由。
すべてはこの人外のもの、アルデバランの首から発せられたものなのだ。
ようやくソフィアの魔力の風で、すべてのアルデバランの魔力を地下水脈に落とし込むと、ふうっと大きな息を吐いて、そして右足から放っていた、アルデバランの首の周りをめぐっている線状の魔力を、一気に両手で回収した。
ソフィアは、もはや肩で息をしている。
「はあっ、はぁっ、はあっ」
「さすがだ」
とウィリアム・ヒアデス卿は言った。
「おじ様、最低……本当、一人でやらされるのは……何年、ぶりかしらね」
とソフィアは、まだ息が整っていないまま、ウィリアム・ヒアデス卿を睨むと、
「ロベルトのお母様の件以来かしら!」
と嫌味を言った。
ウィリアム・ヒアデス卿は、さすがに今日はロベルトのことで、ソフィアを怒らなかった。
別のことが、頭を駆け巡っていたからだ。
先日のソフィアの言葉。いい加減アルデバランを消滅させろと言った、あの言葉。
お読みくださってありがとうございました!
すみません、次話ですが、現在、書き直し中です。アデルさんが娼婦の真似事をする回だったのですが、表現を変えたいと思いまして……。申し訳ございません。