69. 慰労会5 〜クレッカー長官の夜〜
王宮の庭の薔薇園の隅で、クレッカー長官は彼女と会っていた。
『彼女』とは、未亡人のグレゴリー公爵夫人公爵夫人である。
10年前の慰労会で、ハルトがクレッカーに話をさせてくれた女性。
クレッカー長官が、ずっと、ずっと片想いをしていた女性。
クレッカー長官がグレゴリー侯爵夫人と、こうして人目を忍びながら会うようになったのは、ここ半年くらいの事だった。
クレッカー長官が直々にグレゴリー元大臣を殺しておきながら、クレッカー長官はまるで別人格のように、グレゴリー公爵夫人には優しい手紙を出し続けていたのである。
そしてそれを取り持っていたのは、グレゴリー公爵夫人付きだった、カレンだった。
クレッカー長官が、カレンの夫ダミアンも殺すよう命令しておきながら、カレン自身には不義理なことはできないと言ったのは、つまり、そういうことだったのである。
クレッカー長官は、グレゴリー元大臣もダミアンのことも殺しながら、その最愛の妻たちには、まるで別の顔を見せていたのである。
人でなし。
しかし、クレッカー長官がグレゴリー元大臣を殺したことを知らないグレゴリー公爵夫人は、クレッカー長官の慰めの言葉にいたく心を癒されていた。
「わたくしたち、こんな薔薇園の隅で会うような、艶っぽい関係ではございませんけれど」
とグレゴリー公爵夫人は笑った。
「私は夫を亡くしたばかりの悲しい女で、あなたはそれを慰めてくださるだけなのに」
グレゴリー公爵夫人は、夜空の月を仰いだ。
「まだそんなことをおっしゃってるんですか」
とクレッカー長官は言った。
「まだ未亡人になって半年ですもの」
とグレゴリー公爵夫人は悲しそうに微笑んだ。
「未亡人、そんな言い方はやめて下さい。私は、あなたがグレゴリー公爵と出会う前から、ずっとあなたのことを知っていますよ。あなたは、昔のあなたに戻られただけだ」
とクレッカー長官は言った。
「何を言ってるの。昔のわたくしに戻っただけって、そんなはずないでしょう? じゃあ、わたくしのこの悲しみは何?」
グレゴリー公爵夫人は言い返した。
「私があなたの悲しみを忘れさせて差し上げます」
とクレッカー長官は言った。
「全くあなたはいつもそんなことばっかり」
グレゴリー公爵夫人は呆れ声を出した。
「ええ。私も魔術管理本部の長官にまで上り詰めたので、あなたとこうしてお話をできる立場になったものかと思いますよ」
とクレッカー長官は真面目な顔で言った。
「そうね。初めてお話しした時は、ただの一介の魔術師でしたものね」
とグレゴリー公爵夫人は遠い昔を思い出すような口振りで言った。
「そう。そしてあなたは国王陛下の妹。当時の私には、あなたがグレゴリー公爵と結婚することを、止める力はありませんでしたよ」
とクレッカー長官は寂しそうに言った。
「まるで今なら、止められたのに、とでも言いたげね。わたくしは夫と嫌々結婚したわけではございません!」
とグレゴリー公爵夫人は強く言った。
「でも、政略結婚です。あなたに選ぶ権利など……」
とクレッカー長官が言いかけると、
「ジェイ・クレッカー。今日は少し言葉が過ぎますよ」
とグレゴリー公爵夫人は、クレッカー長官の言葉を遮った。
「失礼しました。昔の話でしたね」
とクレッカー長官は詫びるような口調で言った。
「でも、そう、昔の、もう関係のない話です。私はあなたに、もうお伝えしようと思って。だからこうして人目のつかない場所にあなたをお呼びしたのです」
とクレッカー長官は覚悟を決めた声で言った。
「伝える?」
グレゴリー公爵夫人は、訝しげに首を傾げた。
「そろそろ私のことも名前で呼んで下さい。そしてあなたのことを名前で呼ばせてください」
とクレッカー長官は言った。
「私はだいぶ待ちましたよ。私たちはそれなりに仲良くなれたのではないでしょうか? 私はあなたと、これからもこうして会いたいのです。私たちは、もう若いと堂々と言える程ではありませんが、それでもまだ若い」
とクレッカー長官はグレゴリー公爵夫人の手を取った。
「失礼ね」
とグレゴリー公爵夫人は軽く睨んだ。
「わざと言ってるんですよ。あなたを焦らせようと思って」
とクレッカー長官はいたずらっぽく微笑んだ。
「逆効果ですわね。30過ぎの未亡人に現実を叩きつけるようなものですわ。お断りします。私たちは確かに長い付き合いですけれども。こうしてお話しするようになったのは、つい最近のことです」
とグレゴリー公爵夫人は毅然として言った。
クレッカー長官は、黙るしかなかった。
その時、そこに、息を切らしてカレンが走ってきた。
「グレゴリー公爵夫人、こちらにいらっしゃいましたか、探しましたよ! 何です、ここ! 薔薇園!?」
「まあ、カレン!」
「カレン、なぜ」
クレッカー長官もグレゴリー公爵夫人も、同時に驚いた声を上げた。
クレッカー長官は気まずさを感じ、グレゴリー公爵夫人は、ほっとした顔した。
この場所、この状況、グレゴリー公爵夫人のこの顔。カレンはぴんときた。絶対、口説かれてた。
「奥様に何をおっしゃったんです、クレッカー長官」
カレンは腹の底がグツグツと沸き立つような怒りを感じた。
カレンは、シャールから聞いたことを思い出していた。クレッカー長官が、グレゴリー元大臣を殺したと言うことを。
カレンはクレッカー長官は狂っているのかと思った。グレゴリー公爵夫人の夫を殺しておきながら、その妻を口説くなど。
そもそもクレッカー長官は、カレンの夫ダミアンを殺すよう命令した男である。憎き、憎き男である。
何も知らない気の毒な、グレゴリー公爵夫人。カレンは、グレゴリー公爵夫人に本当のことを話すタイミングをずっとうかがっていた。
でもカレンには言えることはなかった。あの日、シャールは、はっきりと言った。
証拠はないのだと。クレッカー長官は、本当にうまくやったのだと。
とりあえず、この状況で、カレンにできることは、クレッカー長官とグレゴリー公爵夫人の仲を邪魔することぐらいだけだった。
「カレン、席をはずしてくれると、嬉しいんだけど」
とクレッカー長官は穏やかに言った。
「すみません、クレッカー長官。国王陛下がグレゴリー公爵夫人をお探しでしたので」
とカレンは嘘をついた。
「国王陛下が……」
クレッカー長官はため息をついた。それは、もう、仕方がない。
「はい。10年に1度の慰労会ですので、普段は社交界に来られない方もお見えになっています。グレゴリー元大臣は国葬になりましたけれども、グレゴリー公爵夫人に直接お悔やみの言葉を申し上げたい方が、何人か来られてるそうです」
とカレンはペラペラと嘘を喋った。
クレッカー長官には、これはさすがに無視できる内容だとは思えなかった。
「それは、仕方がありませんね」
「はい。まして未亡人であるグレゴリー公爵夫人が、月夜の薔薇園の隅で男性と会っているなどと、国王陛下に知られては、どんな顔されることやら」
カレン少し棘のある言い方をした。
「カレン、それは秘密にしておくように」
とクレッカー長官は答えた。
「承知いたしました。では奥様、参りましょう」
カレンは、グレゴリー公爵夫人の腕を引っ張り、クレッカー長官から引き離した。
「まぁ何ですのカレン、少し強引ね」
とグレゴリー公爵夫人は少し驚いた声で言った。
「ええ。多少強引かもしれません。私は奥様を守らねばと思いまして。クレッカー長官は奥様に特に親切ですから」
クレッカー長官から十分に離れると、カレンは言った。
「ああ、そうね」
とグレゴリー公爵夫人は苦笑して言った。
「あの人が、うちの夫の死の間際まで、ずっとやりとりをしていたから、気にかけてくださっているんだと思っていたのですけどね。それだけではないような口振りだったわ」
とグレゴリー公爵夫人は言った。
「口説かれてらっしゃるように見えましたよ」
とカレンはグレゴリー公爵夫人の手を引き、王宮の建物内に向かって、足早に歩きながら言った。
「うーん、そうみたい。とりあえず、お断りしてみたんだけど」
とグレゴリー公爵夫人は迷いのある口調で答えた。
カレンは、ぎくっとした。
「奥様、ダメですよ! 私は確信を持って、クレッカー長官は信じてはならないと思っております!」
と、カレンは振り返って、グレゴリー公爵夫人の顔を見つめると、言った。
「まぁ。それは何で?」
とグレゴリー公爵夫人は真面目な顔になって聞いた。
「それが説明できれば、私もどれだけスッキリすることか」
とカレンはため息をついた。
「どういうことですの?」
とグレゴリー公爵夫人は不審な顔をした。
「奥様。これ以上の事は申せません。でも私たちは未亡人同士。そして、もしかしたら、本当に似た境遇なのかもしれませんわ」
とカレンは微妙な事を言った。
「そう? カレン。私はあなたの仕事ぶりをよく見てきたから、あなたのことを信じるわ」
グレゴリー公爵夫人は、カレンが何のことを言っているのか、さっぱりわからなかったが、とりあえず、カレンのことを信じる気持ちで言った。
「何も説明できず、申し訳ございません。でも私のことを信じていただけて、本当に恐縮です」
とカレンは頭を下げた。
「いいのよ。でほ、お兄様のところに急ぎましょう」
とグレゴリー公爵夫人は微笑んだ。
「あ、国王陛下が呼んでいると言うのは、嘘なんですけれども」
とカレンは慌てて言った。
「あらそうなの? それは、あなた、よほど、ね」
とグレゴリー公爵夫人は、やや呆れ声で言った。
「はい。でも今夜、マリー・ヘレワーズ侯爵令嬢が来られていました。国王陛下は少し落ち込まれているかもしれません」
とカレンはグレゴリー公爵夫人に耳打ちした。
「まあ、マリーが? それはあなたの言う通りね。お兄様に声をかけに行かねば。本当に気の毒なお兄様」
グレゴリー公爵夫人は言った。
その頃、月夜の薔薇園に残されたクレッカー長官は、整理のつかない心を鎮めるために、月を仰いだり、薔薇の花を手折ったりした。
そして、その場を少しうろうろしながら、先程のグレゴリー公爵夫人の様子を思い浮かべて、また心苦しくなっていた。
魔術管理本部の長官になり、ようやくこうしてグレゴリー公爵夫人と対等に話せるようになったと言うのに。
彼女は未亡人と言う理由で、自分を受け入れようとはしない。
ハルト、これは、時間が解決するのだろうか?
ハルト、おまえなら、俺に何を言ってくれる?
その前に、彼女の夫を自らの手で殺した俺は、そもそも彼女に近づくべきではない?
ハルト……おまえは私を軽蔑するか?
グレゴリー元大臣が亡くなってしばらくした頃だった。夫を失った彼女はひどく憔悴していた。
人目に触れない夜の木陰で、クレッカーは彼女を腕の中に抱くことができた。クレッカーはもういつ死んでもいいと思った。
自分のせいだとは思いつつも、彼女を慰めるために、彼女を腕の中に抱き、何度も何度も髪を撫でた。
彼女が欲しくてグレゴリー元大臣を殺したわけではない。だが、彼女が欲しくて、彼女を腕に抱きたいと言う気持ちも、嘘ではない。
ハルト、俺の手は、もう血で真っ赤だ。
ハルト、俺はこの魔術界を変えたい。同時に、ハルト、俺はこの愛も欲しい。
業が深い。
月が雲に隠れて、ただでさえ薄暗かった薔薇園は、真っ暗になった。
もともと人気のない場所だ。誰の声もしない。
クレッカー長官は、孤独を感じた。
真っ暗な中、クレッカー長官は、どちらへ進んだら良いのか分からなくなってしまった。
お読みいただきありがとうございます!
もしよかったら、下の評価☆☆☆☆☆を
ポチっていただけるとありがたいです!
今後の励みになります!