65. 慰労会1 〜国王の労いの言葉〜
シャールは、安全警備本部の控えの間で、うずうずしながらマリーとリーナが帰ってくるのを待っていた。
ここ数日のリーナの不安そうな様子から、自分とこれだけ離れたら、リーナがどれくらい心細がっているだろうかと、シャールは心配していた。
ヘルマンは、そんなシャールに気づいた。
「妹が心配か? だがマリー・ヘレワーズ嬢がついてる。だいじょうぶ。きっとリーナは、見違えるほど綺麗になって帰ってくる」
いや、綺麗になって帰ってくる、とかはどうでもいい。ただ、俺がリーナの側にいてやれないのが不安なのだ、とシャールは思った。
その時、控え室の扉が開いた。マリー・ヘレワーズ嬢がリーナをつれて入ってきた。
そこにいた皆が、ヘルマンすら、息を呑んだ。
「誰? 多分リーナだと思うけど」
とヘルマンは目を見開いて言った。
そこには、本当に見た目ばかりは美しい、一人の令嬢風の女の子が突っ立っていた。
美しいエメラルドグリーンのドレス、真っ白な手袋、ドレスの裾から覗くキラキラとした靴。
髪もアップにまとめてあるが、後れ毛がふわふわと揺れ、イヤリングと相まって、見る者を魅了した。髪の毛に合わせた優しげなメイクが、リーナの素直さを特別際立たせるように見えた。
シャールも呆気にとられていた。そこには、本当にこれまで一度も見たことのない、リーナがいたからだった。
「リーナ、だよな?」
シャールもおずおずと聞いた。
「あなた方、本当に失礼ですわね」
マリーが冷たい瞳をして、控えの間にいる男どもを睨め付けた。
リーナは居心地が悪かった。着たことのないひらひらとしたドレス。つけたことのないアクセサリー。髪の毛もふわふわとセットされ、いつ崩れるかとハラハラしていた。
何より靴もヒールが高く、いつ転ぶんじゃないかとドキドキした。マリーのペースに合わせて、後をついて歩くのが精一杯。
令嬢ってこんなに大変なの? とリーナは心の中で思っていた。
でもシャールの顔を見て、とりあえずひどく安心した気持ちになった。
リーナは慣れない足取りで、必死でシャールの元へ足早に近づくと、シャールの腕を掴んだ。
マリーの屋敷で礼儀ばっかり気にして緊張していたのが、フッと解けるような気持ちがした。安心感がリーナを包んだ。
そう、ダメなのだ。あの日以来、リーナはシャールから片時も離れられない。
シャールは緊張した。今こそ、もう妹ではなく、本当に一人の女性としてのリーナが、自分の側に立ち、自分の腕を掴んでいた。
リーナを俺のものにしたい。全て、俺のものに。この気持ちを、どうやって抑えると言うのだ?
その時、マリーが、
「で、リーナはシャールがエスコートするとして、どちらの方が、わたくしをエスコートしてくださるの?」
と尋ねた。
「えーっと? 俺ら、なんですかね?」
とヘルマンは驚いて訊いた。
「今夜は慰労会でございますからね。少なくとも始めは、部署の者で参加したほうがよろしいかと思うのですけれど。普通の社交界とは違いますので」
とマリーは言った。
「国王の従姉妹のマリーをエスコートできる器量のある者なんて、安全警備本部のこの部署には見当たらないけど」
とヘルマンはため息をついた。
「じゃぁヘルマンさん、お願いいたしますわね。部隊長ですもの」
とマリーは事務的に言った。
「えー、俺?」
ヘルマンは露骨に嫌そうな顔をした。ヘルマンは気の合う男仲間と、酒を飲んで騒ぐつもりだったからだ。
「たいへん嫌そうですけど。わたくし今回の竜駆除の任務については、国王陛下に報告しようと思っておりますの。特にリーナの作った毒についてはお耳に入れる価値があると思いますわ。ですから、お付き合い願いますわね」
マリーはヘルマンの嫌そうな顔など、意にも介さず、さらっと言ってのけた。
ヘルマンだって部隊長を務めるほどは貫禄がある。今回も安全警備本部の正装をしているから、見た目だけは立派な青年だった。
ヘルマンは仕方がなく、マリーのそばに行くと腕をとった。
「ヘルマン、おまえ、そこまでダメな感じじゃないぜ。結構、様になってる」
仲間がニヤニヤしながら、ヘルマンに軽口を叩いた。
「おまえら、後で覚えとけよ。むっちゃ飲ますからな」
ヘルマンは睨んだ。
「あと、おーい誰か、ハーマン長官の執務室に行って呼んでこい。あいつ逃げるかもしれねぇ」
とヘルマンは誰かに指示した。
ハーマン長官の面倒も見なければならないなんて、ヘルマンは結構気の毒な男である。
時間が来たので、次々と馬車が、安全警備本部の前にやってきた。正装に身を包んだ警備兵たちは、皆次々に馬車に乗り込み、王宮を目指して出発した。
その日の慰労会も、とても盛大に行われていた。10年前の前回同様に、たくさんの絵や布が会場を飾った。
ピカピカの燭台にも火が明々と灯され、あちらこちらを明るく照らしていた。部屋の中にも外にも、食事がたくさん用意され、お酒もたくさん準備されていた。
竜の被害があるため、10年前に比べたら警備兵たちの顔色は良くなかったが、見知りの警備兵や魔術師たちは、互いの任務と健闘を称え合い、酒を酌み交わしていた。
マリーは、さっさと酒を飲みたそうにしているヘルマンをぐいぐい引っ張って、国王陛下の前へ連れて行った。ヘルマンの部隊の者は、慌ててマリーについていく。
マリーは、本気で国王陛下にヘルマンの部隊の任務を紹介するつもりだった。
「ジョセフ様、ちょっとよろしいですか? あなたに紹介したい者がおりまして」
マリーは国王陛下に親しげに呼びかけた。
「ああ、マリー、今日も美しいね。安全警備本部の医務官なんかやめて、さっさと俺の妃にでもなればいいのに」
国王は跪いてマリーの手を取ると、手の甲にキスの一つでもしようと屈み込んだ。
国王は、マリーの従兄弟というだけあって、まだ比較的若く、こんなに整った顔、きちんとした身のこなしなのに、なぜか未婚だった。婚約者もいないという。
ヘルマンは面食らった。
「あー、ジョゼフ様? わたくし、そういうのは、いらないんですけれども」
とマリーは手を引っ込めて言った。
「相変わらずつれないねぇ」
と国王は残念そうに言ってから、立ち上がった。
それからヘルマンの方を向いて、
「君は何者だい? マリーをエスコートするなんて」
と強い視線を投げかけて聞いた。
ヘルマンは固まった。ほら、厄介なことに巻き込まれた。
「それよりジョセフ様、今日はハーマン長官はお見えになってるのかしら?」
とマリーは確認した。
「いや、見てないなぁ。あいつの事だ。今日は来ないかもしれないな」
と国王は平然と言った。
「それでいいんですの……?」
マリーは半笑いで言った。
「最近のハーマン長官を見てたらそれも、仕方がないんじゃないかと思ってね」
と国王は苦笑いしながら言った。
「それなんですけれども、今日はジョセフ様に紹介したい者がおりますのよ。こちらのリーナと言う娘ですわ。なんと、竜を殺める毒をつくりました」
リーナはマリーの後ろで、ぎこちなく一礼した。
「それから、今、わたくしをエスコートして下さっているこのヘルマン様が、部隊長として、この間、大聖堂のある村の竜を、その毒で駆除して参りましたわ」
とマリーは続けてヘルマンの部隊の任務を紹介した。
「それは聞いていなかったよ。革新的だね」
と国王は微笑んだ。
「ええ。竜を殺める毒は、すごい効き目でしたわ。使い勝手もよろしくて。この国はもう竜には悩まされないかもしれませんわ」
とマリーは熱のこもった声で言った。
「それはすごい。でも、それだけの熱量で、俺のことも語ってくれればいいのにね」
と国王は、後半はマリーには聞こえないような小さい声で言った。
「それにね、ジョゼフ様、それだけではありませんわ。竜避けの薬というものは、さすがのジョセフさん様もご存知でしょう?それも、こちらのリーナさんが作ったものなんですよ」
とマリーは誇らしげに言った。
「マリーは、よっぽどこのリーナというお嬢さんが、気に入っているようだね。竜避けの薬の事は、わたしもよく聞いているよ」
と国王はマリーに微笑み、そして感心した眼差しでリーナを見た。
「それからね、ジョゼフ様。こちらはシャールさん。リーナさんのお兄様ですわ。シャールさんの方は、以前から竜避けの薬を安全警備本部に持ち込んでくださっていたのです」
と次はマリーはシャールの功績を説明した。
「そうだったのか。王都の令嬢に大人気の薬売りがいると聞いていたが、それは君のことだったのかな?」
と国王は少しいたずらっぽい目をシャールに向けた。
「ジョゼフ様、こちらのリーナさんとシャールさん、そしてこの部隊をまとめているヘルマン様に、どうぞねぎらいの言葉を」
とマリーは胸の前で手を組み、頭を垂れた。
「今日は、君たちのような者のための慰労会だ。我々は、この国を守ってくれているすべての者たちに感謝をしている。君たちのその努力、その成果、本当に素晴らしいものだ。私は心から敬意を称する」
と国王は厳かな声で、ゆっくりと労いの言葉を発した。
リーナとシャールとヘルマンは、ぼーっとした。まさか、国王陛下直々にお言葉をいただけるとはら思ってもみなかった。もちろんこれは全てマリー・ヘレワーズ嬢のおかげだったのだが。
「竜の毒ねぇ。こんなきれいなお嬢さんが作ったなんて。ところで、このご令嬢はどちらの娘さん? 社交界で見かけていたら忘れるはずないと思うんだけど」
と国王は言った。
「ジョゼフ様。リーナさんは村民ですのよ。人材こそ国の宝。身分など気にせず、大事にしてくださいまし」
とマリーは、悪戯が成功したことが嬉しくて、笑顔になった。
マリーの笑顔が見れて、国王も笑顔になった。
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