64. 慰労会のハルト、10年前の記憶 ~俺は、何に首を突っ込もうとしているのだろうか?~
「今日は王宮の慰労会だ」
とクレッカーは自分に言い聞かせるように言った。
クレッカーは部屋の者を皆下がらせると、机に腕をついて、頭を抱えた。
クレッカー長官は、何年も前の、慰労会の夜の記憶を思い出した。懐かしいハルトの記憶が蘇った。
「ハルト」
クレッカーは呟いた。
10年前のその日、普段は質素な王には珍しく、ジニア王国の王宮は飾り立てられていた。
美しい布が敷かれ、ひさしぶりに蔵から出されたのであろう美しい絵が所狭しと飾られ、ピカピカの燭台や食器が並べ立てられていた。
そして国中のコックが集められたのかというくらい、食事もひっきりなしに運び込まれ、主賓として集められた警備兵たちの胃袋を満たした。
ひとまず今の王が王座について10年。
この10年間は、国内は大きな問題なく平安に治められたと言って良かった。
反乱もなく、竜の襲撃や自然災害にも国内警備兵たちが迅速に対応したおかげだった。
そこで王は自分が王位について10年を節目に、警備兵たちを労るためのパーティーを開いたのだった。
警備兵の中には貴族出身の者もそれなりにいたが、身分関係なく警備兵たちはみな一様に制服をぴっしりと着こなし、背筋を伸ばして礼儀正しく歓談した。
一警備兵までがしゃんとしてある様子は、それがそのままジニア王国の品位を表しているようだった。
大広間には着飾った御令嬢や、酔っ払った身なりの良い貴族の陽気な顔が溢れ、王の賢政を喜び合った。
その時、
「ジェイ、ジェイ、彼女だよ!」
ハルトは無邪気な顔をしてクレッカーの脇を指で突いた。
クレッカーとハルトは隅の方でグラスを片手に賑やかな広間を楽しげに眺めていたのだが、その人が入ってきた瞬間、クレッカーの目は彼女に釘付けになっていた。
ああ、彼女だ。相変わらずの栗色のふわふわとした髪の毛を今日はキュッと上に束ねていた。
黄色のシンプルなシルエットのドレスは彼女の凛とした佇まいをそのまま表現したようだった。
襟元から立たせたシルクのオーガンジーのフリルが、彼女の白い首筋を際立たせていた。
クレッカーは完全に目を奪われていた。
「ジェイ、見てるだけじゃダメだよ、話しかけておいでよ」
ハルトはぎゅっぎゅっとクレッカーの背中を押した。
「や、やめろよ、痛いって」
とクレッカーはハルトの手を押さえた。
「わざと、痛くしてんだよ。本当は槍でケツでも突いてやりたいくらいだ」
「おまえ、槍なんか持ったことないだろ! 俺たち運動系苦手なんだから」
とクレッカーは強く言い返した。
「そうだけどさあ。もう、せっかくの機会だよ!? 彼女と話せたらいいなあって言ってたじゃん!」
とハルトはクレッカーに小声で言った。
クレッカーは顔を真っ赤にした。
「き、記憶にございません……」
「ジェイ、俺、おまえが彼女と話してみたいって何百回聞いたと思ってんの!? アホなの!? さっさと行っといで!」
ハルトはクレッカーの肩を強く叩いた。
「な、何も話すことなんかないから……」
とクレッカーがそっぽを向くと、ハルトは
「ジェイ、何でもいいんだよ。いい夜ですね、とか、素敵なドレスですね、とか」
とクレッカーの腕を引っ張った。
クレッカーはハルトの方を向かなかった。クレッカーの耳だけが真っ赤になっていた。ハルトはため息をついて呟いた。
「ほんと、ダメだなあ」
ハルトに言われなくたって、クレッカーだって自分のことをそう思っていた。
彼女のことはずっと昔から知っていた。誰よりも気高い女性だ。
長く美しい栗色の髪はふわふわと揺れて、整った目元はいつも真っ直ぐに相手の目を見る。
口元はキュッと締まっていたが、絶えず微笑みを浮かべていた。
彼女が少女の頃、初めて社交場に顔を出した時に、一目で心を奪われた。
その眼差しとその微笑みは、今でも同じだ。彼女は社交的でどんな人とも楽しそうに話をする。
「いいんだよ、俺は、見てるだけで……」
とクレッカーは彼女から目を離さずにぼんやりと言った。
ただずっとずっと彼女を見つめるだけの親友を横目に、ハルトはイライラした。
「あー、気持ちわる! もう!」
ハルトは堪えきれなくなった。
「いいか? 俺のことは後で悪魔とでも何とでも罵れ! でも、できれば感謝してよね!」
とハルトは低い声で怒鳴った。
「は!?」
とクレッカーがハルトを振り返ると、ハルトはぐいぐいとクレッカーの腕を引っ張って、広間の真ん中の方へ連れて行った。
彼女の前に引っ張り出そうというのだった。
「お、おい、ハルト!」
ハルトに強引に引っ張られて、無様にもクレッカーが足がもつれて体勢を崩し、床に手をついたところに
「あら、だいじょうぶですか?」
と彼女が声をかけた。
ハルトはうまくクレッカーを彼女のところまで連れてきたのだった。
ハルトはニコニコして
「こちらはジェイ・クレッカー。あなたとお話ししたかったみたいです」
と無様な様子のクレッカーを何事もないように紹介した。
「まあ」
彼女は転びかけていたクレッカーの様子と、ハルトの冗談めかした口調に、楽しそうに笑った。
クレッカーは慌てて立ち上がった。彼女はクレッカーとハルトを交互に眺めながら、
「それで、あなたのお名前は?」
と彼女はハルトに聞いた。
「僕の名前なんかいいんです。こいつの名前を覚えてくださいよ。いいですか。ジェイ・クレッカーですからね。じゃ! うまくやれよ、ジェイ!」
ハルトはそう言ってクレッカーにウインクすると、さっさと人混みの中に消えてしまった。
「あ……ああー」
まだクレッカーの頭が状況を把握できていない間にハルトが消えて、クレッカーは絶望的な気持ちになった。
とりあえず、恥ずかしそうに下を向いた。
「ふふ。面白いお友達ね。ずっと仲良しなの?」
彼女は耳を真っ赤にしているクレッカーに優しく話しかけた。
彼女は話を聞くのが上手だった。おどおどして上手に話せないクレッカーにも、何かと興味のありそうな話題を振ってくれた。
クレッカーは、書物や汚い市場に並ぶ珍しい物を探すのが好きなだけの男で、他の人のように女性を喜ばせるようなことは何も言えなかった。
しかし彼女はクレッカーの書物の話を興味深げに聞いてくれた。どんなに嬉しかったろう。
もう彼女が心から離れなくなった。
やがて一目に触れない夜の木陰で、クレッカーは彼女を腕の中に抱くことができた。クレッカーはもういつ死んでもいいと思った。
そう、あの日。
あの慰労会の夜、ハルトが強引にでも、彼女と話をさせてくれたから。
ハルト。
ハルト……。
クレッカー長官は、懐かしくて、目が潤んだ。
クレッカー長官はもう何年も経つのに、ことあるたびに、心苦しくハルトことを思い出すのだった。
そして、犠牲になったダミアン初め、数々の同僚たちを申し訳なく思った。
君たちの死は無駄にはしない。私は信じている。全てはこの国の魔術界を良くするためだ。
“魔術界を良くする”......。
しかし、同時にクレッカー長官は最近知り得た王宮の儀式のことを思い出した。
ハルト。この国の魔術界は、意外と複雑なのかもしれない。俺がやっている魔術師の待遇改善なんてことは、この国の魔術界全体から見たら、たいした問題ではないのだろうか。
そもそも、この国の魔術界って何だ?
そういえば、10年前の慰労会には、プレアデス家もヒアデス家も顔を出していなかった。国王主催の慰労会に、そんな不敬なことが許されるだろうか?
プレアデス家もヒアデス家も慰労される側の者ではない?
ハルト、俺は、正しいことをしているのだろうか? 俺は、何に首を突っ込もうとしているのだろうか? ただ、あの頃は、おまえの死が、許せなかった、ただそれだけなのに。
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