63. マリー・ヘレワーズ侯爵令嬢のいたずら 〜人を見た目で判断する者が多いので〜
シャールはヘルマンとともに、安全警備本部の兵士控えの間で、身だしなみを整えた。
普段の村民という格好ではいけない。シャールは、支給された正装の隊服に袖を通し、きっちりと着こなした。
もともと村長代理を務めるほどの礼儀くらいは身に付けていたので、背筋を伸ばし、髪も髭も肌も整えたら、シャールは一人の立派な青年隊士になった。
「驚いた。きちんとしている。似合うじゃないか」
ヘルマンも満足そうに頷いた。同僚として、恥ずかしくないと判断したためだった。
安全警備本部に無理矢理連れてこられた魔術師マーロンも、めんどくさそうな顔をしながらも、魔術師の正装を一式身にまとうと、やる気のない小汚い魔術師が、一応身なりはしっかりした、気怠いハンサムな青年魔術師になった。
シャールとヘルマンは、マーロンの姿に目を奪われた。そして同時に気の毒になった。マーロンは、魔術管理本部で、本来やるべき仕事があるような気がした。
その頃、マリー・ヘレワーズ嬢は、安全警備本部から、リーナをヘレワーズ侯爵家の屋敷に連れて行った。
リーナは完全に萎縮していた。まず、乗せられた馬車の立派さに、馬車を御する者たちの礼儀正しさに、そしてヘレワーズ侯爵家の屋敷の豪華さに。
完全に貴族。身分の違い。住む世界が全く違う。
リーナは、ふとエドワードのことを思った。彼も貴族出身だ。私の分かり得ない、こんな世界に住んでいるのだろうか。
馬車が屋敷の門をくぐり、庭を横切って進み、正面玄関に着いたとき、
「お帰りなさいませ、お嬢様」
と一部の隙もない執事が出迎えた。
使用人たちが、マリーとリーナを馬車から降ろすと、執事が、
「ところで、そちらのお方は?」
とマリーの後ろにいるリーナについて、丁寧に尋ねた。
リーナは自分の、薬草畑からそのまま出てきたような格好が、あまりに場違いで恥じた。
「安全警備本部に所属しております、リーナ・ブロンテと申します」
リーナは緊張しながらおどおどと挨拶した。
リーナは今こそ、安全警備本部に所属しておいて本当によかった、と心から思った。せめてもの正当な肩書きがあることが、救いだった。
「こちらのリーナさんは、わたくしと同じ部隊で働くことになったお嬢さんなのですよ。よろしくお願いいたしますね」
とマリーは執事に紹介した。
「今日、ジョゼフ様主催の慰労会のパーティーがありますでしょう? リーナさんは田舎から出てきたばかりだそうですので、パーティーの準備を手伝ってあげようと思っているのです」
とマリーは説明した。
「ジョゼフ様?」
とリーナはぽつんと聞いた。
「あー、ジョゼフ様は私の従兄弟ですの。あ、国王陛下のことよ」
マリーの母ヘレワーズ侯爵夫人は、ジョゼフ国王の父の一番下の妹で、マリーはジョゼフ国王の従姉妹ということになる。
「一人でも多くの警備隊員が出席た方がジョゼフ様は喜ぶはずですわ。この王政が始まって以来、途絶えることのない、10年に1度の慰労会ですものね」
マリーは誇らしげにに頷いた。
「特にリーナさん、あなた、とても凄いわ。あなたをジョゼフ様に紹介できるのが、楽しみで仕方ありません」
とマリーは微笑んだ。
「いいえ、私は別に、それほど」
リーナは、はにかんだ。
「何をおっしゃるの。竜を殺める毒なんて、本当によくお作りになったわね。それに、あの、あなたが自分で調合したという薬たちも、とても有用でしたわ。わたくし、感心しました」
とマリーは心から言った。
「いえ、私の方こそ、マリー様の手際の良さには、心底感心いたしました」
とリーナは恐縮しながらも、思っていることを言った。
「あら。安全警備本部の医務官ですもの。わたくしは、そのときできることをやるだけですわ」
とマリーは微笑を浮かべた。
リーナはマリーの姿勢が、とても尊いものに思えた。
「私も、薬師として、同じ気持ちでいます」
二人は顔を見つめあって、微笑んだ。より強い信頼が生まれた気がした。
それから、マリーは、はっとして、リーナを頭の先から足のつま先まで、ざっと眺めた。
化粧気のない顔。髪の毛は作業の邪魔にならないように、無造作に後ろで束ねられている。
洗濯はされているが、泥や草の汁の跡がこびりついたままの服。よく物を突っ込むのだろう、服のポケットには穴が空いていた。畑仕事によく出ている靴をそのまま履いてきたのだろうか、靴もしっかりと泥がこびりついている。
「あなた、本当に、安全警備本部に所属? よく見ると、とても医療に携わる者の格好をしておりませんね」
とマリーは少し呆れて言った。
「はい。私なんて、本当は、田舎で薬草育てているただの薬師です。でも竜を殺める毒を作ったので、急遽、安全警備本部に所属することになったんです。これから国中の竜を駆除して回るからって」
リーナは頭を下げながら、汗をかいて説明した。
「あぁ、急遽……。そういうことでしたのね。それで、まだ衣装が間に合っておられないのね」
とマリーは納得した顔をした。
リーナは慌ててかぶりを振った。
「いえ、それは、違います! 衣装は、というか身なりのことは何も、私には分からないので……。」
マリーはぽかんとした。
「まあ。そうでしたの。雑念がないのね。あなたはきっと、本物の薬師なのだわ」
そして、マリーはリーナを尊敬の眼差しで見つめた。
「まあ、安全警備本部に所属することになったのですから、あなたも公の者になったのですわ。国民の目もありますから、多少は身なりも気にしてくださいませ。わたくしが、これこら身なりを整えて差し上げます」
とマリーが宣言した。
「まあ、とりあえず、今夜はパーティーですから、身なりを整えるどころか、大変身しなければなりませんわね」
マリーは急にいたずらっぽく笑った。
「リーナさん、どうせハーマン長官に、適当にあしらわれているのではありませんか? 今夜はハーマン長官に、どこの令嬢かと、敬語を使わせてやりましょう」
とマリーは笑って言った。
「マリー様、何をおっしゃってるんです?」
リーナには意味がわからなかった。
リーナは、思っていたマリーの人柄が、実際と違って唖然とした。
医務官として働いていたときは、口数少なく、真面目で合理的な人かと思っていた。
「ジョゼフ様にも見せてやりましょう! これが竜を殺める毒を作った薬師の女の子だと! 人こそ国の宝ですわ。そのことを、女のやり方で彼らに見せつけてやりましょう!」
マリーは自分の思いつきが相当気に入ったようだった。
リーナを皆に認めさせたい、とマリーは思ったのだった。
「とりあえずお風呂を用意させますわ。頭のてっぺんから足のつま先まで、ピッカピカにしていただきます。そしたらお化粧して、マニキュアを塗りますわよ」
マリーはリーナに言ったあと、使用人の女たちに何事か色々言いつけた。
「え? あ、あのマニキュアとか、名前を聞いたことしたないです……。化粧もしたことないし……」
リーナは恥ずかしそうに言った。
マリーは面白くて仕方がなかった。
「ドレスは私のをお貸しいたしますわ。選んで参りますが……好みもございますでしょうから、ついてきてくださいまし。わたくしとリーナさんでは、少し背の高さが違いますから、サイズを合わせなければなりませんね」
マリーは腕まくりをして、それから使用人にお針子さんの準備を言いつけた。
「ヘアメイクも今風にやりましょう。リーナさん、本気を出しますわよ、覚悟してくださいまし」
とマリーはウインクをした。
「ハーマン長官を見返してまりましょう。どこから見ても完璧な、立派な令嬢、にしてみせますわよ」
実際マリーはリーナを大変身させる気など、最初はまるでなかった。ただ、あまりにもリーナが、田舎から出てきたばかりの汚い身なりをしていたので、公のパーティーに出られるだけの身だしなみだけ、しっかり整えてやろうと思っていた。
しかしマリーは、リーナが薬師として、これまでそれだけをやってきて、工夫を重ね、新しいものを生み出してきたその事実に、尊さを感じ、すっかりリーナのことを気に入ってしまった。
「大変身」など、本当はリーナにとっては何の価値もないことを、マリーもよく知っていた。
だが、今日、王宮の慰労会に集まる人物たちは、違う。人を見た目で判断する者が多い、それが事実だ。
だからマリーはリーナを淑女風に仕立て上げることに決めた。
そして、実際マリーはやってのけたのである。
マリーは、リーナを使って、身なりだけは美しく、気高い一人の令嬢風の女性を、作ったのだった。
それは後ほどの慰労会で、少し騒ぎを起こすこととなった。
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