62. 医務官の令嬢、マリー・ヘレワーズ嬢 ~リーナがシャールから離れなくなりました~
ヘルマンの部隊の医務官の女性は、マリー・ヘレワーズといった。
背が高くすらっとした女性で、長い黒髪は後ろで乱れなく一つに束ね、患者の間を速足できびきびと歩いた。
速足で歩きながらも、患者を一人一人、注意深く観察しているようで、不意に患者の横にしゃがみこんだかと思うと、様子を尋ね追加の処置を施したりした。
リーナはマリーの佇まいだけで、もうすぐに彼女に好意と信頼を抱いた。
「すみません!」
とリーナはマリーに声をかけた。
「何でしょうか?」
マリーは振り返ってリーナを見た。貴族風の訛り、貴族出身だ。貴族出身の女性が、安全警備本部の医務官をしているなど、少し珍しい。
「差し出がましいようですが、いくつか私が調合した薬を持参しました。興味のあるものがございましたら、使っていただけたらと思いまして」
リーナはマリーが貴族出身ということで、ひどく委縮しながら、できるだけ丁寧におどおどと提案した。
「すぐに全部、見せてくださる?」
とマリーは言った。
「は、はい!」
リーナは嬉しくて頬が紅潮した。
リーナが持参した薬を マリーの前に全部並べて、一つ一つ説明した。どれがどう新しくて、今までのとどこが違って、どう使えるか。
マリーはじっと聞いていた。あまり口数は多くない女性のようにみえた。
だが、マリーは、リーナの説明を一通り聞き終えると、
「では、あなたはこの薬を、あそこと、あそこと、あそこの患者さんに処置してきていただけるかしら」
と問題の患者を指差し、指示した。
「今までの薬では効きが悪いようでしたから、あなたのこれの方が予後が良さそうですわね」
マリーは微笑んだ。マリーは本当に、一人一人患者をよく見ているようだった。
「はい!」
リーナは嬉しそうに返事をして、マリーに指示された通りに、薬を持って患者の元へ走った。
マリーの言った通りだった。マリーの指摘した患者は、今までの薬では炎症が抑えきれていなかった。リーナはてきぱきと言われた通りに処置して回った。
マリーはちらっとリーナの姿を見て、自分はリーナの別の薬を手に取ると、それが必要そうな患者の元へ足早に歩いて行った。
ヘルマンはその様子を満足げに見ていた。
「おまえの妹、すげーな。マリー・ヘレワーズ嬢の信頼って、なかなか勝ち取れないもんなんだが」
とシャールに耳打ちした。
だが、シャールには、マリーのリーナへの信頼なんぞ、どうでもよかった。
シャールはリーナを心配していた。今は目の前のことに精一杯になっているが、リーナは結構患者の状況に感情移入してしまい、気が滅入ってしまう。
実際リーナは、マリーとの医療処置が終わった後、急に気が抜けたようになり、シャールから離れなくなった。
この日、竜の糞の中から人骨を発見し、さらにあの人骨は遺族の者が回収したと聞いて、竜被害のおぞましさを再確認してしまったようだった。
食事中も寝るときも、リーナはシャールから離れない。常にシャールの横で、シャールの腕か手を握っている。
さすがに寝るときは、シャールのほうが緊張してしまった。野営用のテントは分けられていたのだが、不意にリーナがシャールのテントを訪れ、
「一緒に寝ても……いい?」
と聞いたからである。
だが、シャールは余計なことは言わず、リーナを優しく招き入れると、同じ寝床、同じ布にくるまりながらも、心を鬼にしてリーナには手出ししなかった。
だが、リーナがシャールの寝床に潜り込んで眠りにつく前に、シャールの腕を掴んで、
「お兄様、お願い。先に寝ないでね……」
と懇願するように言ったときは、理性がぶっ飛ぶかと思った。
子供の頃はまだしも、リーナを好きだと気付いてから、こうして一緒の寝床で寝るなんてことは一度もなかった。
リーナの顔が自分のすぐ横にある……。唇がすぐ触れる距離。
シャールはそっと手を伸ばして、リーナの柔らかな頬に触れた。そして髪を撫でる。
でも。でも、だめだ。
リーナの心の傷に、つけ込むようなことをしては。
本当は、もうリーナの“兄”は辞めたかったのだが、仕方がない。今は、リーナの心の傷を癒すことだけ考えよう。
しかも、ずっとリーナがシャールにくっ付いているのは、ヘルマンの部隊の仲間たちも気付いているので、兄妹でいておかないと、正直、皆の目がキツい。
しかし、こうして、とりあえず、シャールとリーナの、安全警備本部での初めての任務は無事に終了した。
ヘルマンの部隊の者は、村人や配備されていた警備兵から、大変感謝された。これで、この村に配備されていた警備兵も、いったん引き揚げ、王都に戻れることになるだろう。
ヘルマン部隊長は上機嫌だった。リーナの竜を殺める毒がよく効くことが分かった。これで、国中の人喰い竜を駆除して回れる。
国民の命を守る! ヘルマンは強い希望と使命感に溢れていた。
マーロンは一人、ずっと不満そうな顔をしていたが。
ヘルマンたちは、その村で一日十分な休息をとり、それから王都に戻った。
そして、ヘルマンはその足で部隊の者を引き連れて、安全警備本部のハーマン長官に報告に行った。
「よくやった」
ヘルマンの報告を聞いて、ハーマン長官もほっとしたような顔になった。やつれた顔が、少しだけ明るくなった。
「リーナの竜を殺める毒が効いたということだな」
とハーマン長官は満足げに言った。
「はい」
とヘルマンは頷いた。
「正直、今回の任務で働いたのは、リーナと医務官のマリー・ヘレワーズ嬢くらいです」
ヘルマンは苦笑した。
「魔術師のマーロンは?」
とハーマンが訊ねる。
だが、マーロンはそっぽを向いたままだ。
「役目なしで、ふてくされています。魔術管理本部に返しますか?」
とヘルマンはハーマン長官に、こっそり耳打ちした。
「いや、万が一があるから、もうしばらく、マーロンのことは預かってくれ。せっかく派遣された魔術師だ。気分的に、すぐに魔術管理本部に返すのが惜しい」
とハーマン長官も小声で答えた。
「わかりました。少し、マーロンも気の毒ですがね」
とヘルマンは言った。
「確かにかわいそうだが、仕方ない。では、今後も計画的に、竜の駆除の方、進めて行ってくれ」
とハーマン長官は命令した。
「かしこまりました」
とヘルマンが言った。
「にしても、行動が早かったな」
とハーマン長官は褒めるような口調で言った。
「はい。今日、国王主催の慰労会がありますので。それに合わせて日程を組みました」
とヘルマンは答えた。
ハーマン長官はぎょっとした顔になった。
「慰労会? 今日だったか?」
「そうですよ、ハーマン長官! お忘れでしたか?」
とヘルマンは言った。
「おまえはよく覚えてたな」
ハーマン長官はうなだれた。
「覚えてましたよ。なんで逆に忘れてるんですか、こんな大事な用事を」
ヘルマンは呆れ声をだした。
「忙しくてな……」
ハーマン長官はため息をついた。
「それはわかりますが、さすがに今回のは10年に一度の国王主催の慰労会です。安全警備本部の長官として、出席しないわけにはいきませんよ」
とヘルマンは嗜めた。
「そうだな......」
とハーマン長官は観念した。
「あの……、慰労会って何ですか?」
とシャールは聞いた。国王主催のパーティーなど、村民のシャールには聞いたこともない。
ハーマン長官は、ああ、といった顔をした。
「ああ、君は知らなくて当然だね。国王が、我々の日頃の働きを労ってくれるんだ。そんな暇あったら、俺はたまには家に帰って寝たいんだが。休みをくれた方がよっぽど労いに……」
「ハーマン長官!」
ヘルマンがそれ以上の愚痴は、と遮った。
「はあ。ああ……。ヘルマン、シャールを頼むよ。えーっと、リーナは……」
とハーマン長官が言いかけた時、ヘルマン部隊の一員として控えていたマリー・ハレワーズ嬢が、
「では、わたくしが」
と名乗りを上げた。
ハーマンは少し救われた顔をした。
「では君、リーナを頼む」
「え! 私とリーナも出席するんですか? ただの村民ですよ」
とシャールは驚いた。
「竜を殺める毒を作った英雄じゃないか。国王に労ってもらうべきだろう」
とハーマン長官は投げやりになって言った。
それから、ハーマンはめんどくさそうな顔をしながら、
「じゃぁ、私は時間までに、いろいろ片付けなければならないことがあるから、この話はここまでということで」
と全員を執務室から追い出した。
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