58. 竜を殺める薬 〜ハーマン長官と安全警備本部の事情〜
その頃、そのシャールはリーナを引き連れて、安全警備本部のハーマン長官を訪ねていた。
アデルが回復し村を出たので、シャールも一先ず安心して家を空けられるようになった。
久しぶりの王都だった。
厳しく特別頑丈そうな安全警備本部の建物の扉をくぐり、ハーマン長官の部屋を訪ねたシャールとリーナは、先ず取次の秘書の窶れぶりに驚いた。
人喰い竜の被害は、国中あちらこちらで起こり、増えはしても、減ることはなかった。
相変わらずハーマン長官の部屋は、立派な調度品で威厳が感じられたが、暗く湿った空気が漂っていた。
そこで、ハーマン長官の部屋に入るなり、シャールは明るい声を出した。
「ハーマン長官、良いご報告があります!」
ハーマン長官はすっかりくたびれ果てていて、少しも愛想を見せることなく、シャールとリーナに近くに来いと手招きした。
「久しぶりだな、妹のリーナか? で? 竜避けの薬の増産がうまくいったのか?」
シャールはハーマン長官を元気づけるように、
「長官、それどころか竜を殺める薬を作りました」
「なんだと!?」
ハーマン長官は急に顔を引き締め、聞き返した。
「竜を殺める薬だって?」
「はい」
シャールは持ってきた荷箱を開けてみせた。
薬玉が並んでいた。20個ほど。ハーマン長官は半信半疑でじろじろと薬玉を眺めた。
リーナは薬玉を一つ手に取り、
「神経毒のようです」
と言った。
「神経毒とは何だ」
ハーマン長官は聞いた。
「竜は動けなくなります。呼吸も厳しいでしょう」
とリーナは言った。
「そうか。竜でも呼吸ができなければ、それは死ぬか。なるほど、竜に効く毒か」
ハーマン長官は呟いた。
「はい」
リーナは頷いた。
「どうやって作った? 何かの毒を応用できたのか?」
ハーマン長官はまだ信じられないといった顔で聞いた。
「いえ、それはこれまでいろいろ試していましたが、あまりうまくはいきませんでした。竜は特殊な生き物なようでした。しかしある変わったネズミを見つけました。それが使えました。ラッキーでした」
リーナは説明した。
「そうか」
ハーマン長官は言った。部屋にいた秘書官や事務官は皆興味深くリーナを見つめた。
リーナは手に持っていた薬玉で、手早く使い方を説明した。
「簡単じゃないか」
皆は口々に言った。
部屋中にさあっと希望が広がる感じがした。
王宮の体制の変化から一年。
この間ずっと、竜との戦いでは主に敗戦処理ばかりしてきた、安全警備本部の者。ここでこうして、勝利の兆しが見えてきた。こうして光を見いだすことができた。
安全警備本部の者は、王宮の体制の改革を呪い、絶望してきたのだ。
魔術師がらみの犯罪など安全警備本部だけでは対処できない問題はもちろんまだあったが、しかし、少なくとも人喰い竜の事案に関しては安全警備本部だけで対処可能となる。
安全警備本部は、国内外の戦争や警備など、様々な武力に対応する部署だった。
対外的な国家間紛争はより武装した部門が、国内の治安には竜から犯罪、災害などに対応する部門があった。
また事務官や医務官の部門も自前で持つ大所帯だ。各部門の中には、任務ごとに部隊があり、さらに個別の案件に対応するための小部隊があった。
一年前までは、安全警備本部にも魔術師が所属しており、一般隊士も所属の魔術師と綿密な連携の下に任務に当たっていた。
しかし、一年前、大臣がケイマン卿に変わり、クレッカーが魔術管理本部の長官になると、魔術師に関する体制が一新し、各部隊や小部隊それぞれに付いていた魔術師が、皆魔術管理本部の所属となった。
ハーマンは安全警備本部の全てを統べる長官だ。
ハーマン長官はこのクレッカー長官の改革に強く反対した。小部隊で常に共に訓練し任務に当たるからこそ、魔術師と一般隊士は同じ作戦をスピーディーに協力してこなせると思っていたからだった。
もちろんハーマン長官も、クレッカー長官の言う魔術師の適材適所の合理性については、納得していた。
たまに安全警備本部 の小部隊長や部隊長が酒の席で「うちの隊の魔術師はハズレだ」「おまえのとこは実戦系魔術師が来ていいよな」などと愚痴を言い合っているのは知っていたからだった。
そこで、ハーマン長官は安全警備本部の中で、魔術師関連の人事体制の強化を提案した。
安全警備本部に警備魔術師という専門の部門を作ること、それから安全警備本部の人事部門の中に魔術師専門の人事担当員を付けること、そしてすべての安全警備本部所属の魔術師の管理と各任務への適材適所な派遣を約束しようとした。
しかしクレッカー長官は、うんと言わなかった。安全警備本部の魔術師が、ハーマン長官のような非魔術師の配下で居続けることに抵抗があったようだ。また開発された新しい魔術を 広く速やかに周知するためにも、魔術師の管理は一本化すると強く主張した。
結局ケイマン新大臣の後押しもあり、クレッカー長官の案が採用された。
そして、このていたらくである。
そもそも魔術管理本部の内部で揉めごとが収まっていないようであり、そのためか竜一つ、災害一つに、魔術師の派遣が滞っていた。
こんなのは失敗だ、とハーマン長官は心の内でうんざりしながら思っていた。
そこで、脱魔術師化、それが安全警備本部の目下の小目標となった。
今回のリーナの竜を殺める薬は安全警備本部にとって非常にありがたいものだった。これで魔術師に頼らずとも人喰い竜に対処できる。
ハーマン長官は満足げに頷いた。
「シャールとリーナ、前から思っていたのだが、おまえたち、安全警備本部の所属になってもらう事はできないだろうか」
ハーマン長官は、はっきりとした物言いで言った。
シャールとリーナは突然の申し出に驚いた。
「それは、どういうことでしょうか?」
「安全警備本部の者として、この薬を作ってもらいたい。もちろん経費なども安全警備本部が出せる」
ハーマン長官はまっすぐな眼差しでシャールを見た。そして深く頭を下げた。
シャールは思案した。
シャールはしばらく黙って考えていたが、やがて重々しく口を開いた。
「ハーマン長官、私たちにはもったいない申し出ですが、ちょっと難しいと思います。私たちは竜に対処する薬を作りましたが、同時にリーナは私たちの村の立派な薬師です。私たちは村も守っていかなければならないのです」
ハーマン長官は一瞬残念そうな顔をしたが、すぐに
「そうか、それはそうだな。だが、別にうち専属ってわけじゃなくてもいいんだ。うちの所属で、例えば一月に半分だけでもやってくれれば。半分だけでも安全警備本部はおまえたちを歓迎するぞ。もう残り半分は、おまえの村を何とかしろ」
と前向きな提案をした。
シャールはもう一度考えてから、
「それなら、まあ」
と同意した。
「そうか、やってくれるか、助かるぞ!」
ハーマン長官は笑顔になった。
シャールは頭を下げながら「はい」と言った。
リーナは少し困ったなと思った。
話に聞く限り、安全警備本部と魔術管理本部は、仲が良くない。
エドワードと敵対することになるのかしら、とリーナは少し心配した。
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