45. クレッカーの決意 〜間違っているのは魔術師を取り巻く環境だ〜
クレッカー長官は、うなされて目を覚ました。まだ真夜中だった。クレッカー長官は汗でびしょびしょになっていた。
クレッカー長官は枕元の酒に手を伸ばした。クレッカー長官は酒を飲み干し、
「これっぽっちで酔えるかよ。」
と吐き捨てるように言った。
医者は依存症に警戒して、毎日の酒の量を厳しくクレッカー長官に言い含めていたのだった。
クレッカー長官はもっと欲しい気持ちを抑え、酒を押しやった。
分かっている。またあの夢だ。昔の、ハルトの夢だ。
あの件だ。初めて自分が人死に関わった日。
数年前のその日、若いジェイ・クレッカーは辺境の地方の大地主の屋敷を取り囲んでいた。
この地方は王都から遠いので目が十分に届かず、力をだいぶつけたここの地主は、ここ数年税をごまかしてきていた。
王都から何度勧告があっても、地主がのらりくらりと中途半端にしか応じないため、いいかげん王都の財務関係者から文句が出て、安全警備隊が派遣されることになった。
派遣された小部隊にはジェイ・クレッカーと、同僚のハルト・ミズリーが、部隊付きの魔術師として同行していた。
安全警備本部の者が屋敷を取り囲んでも、地主は屋敷から出てこようとはしなかった。
地主の屋敷には、多くの地元の荒くれ者たちがたむろっていて、
「おいおい、うちの主人は税金ちゃんと正当に納めてるって言ってるぜ」
「遠くからご苦労なことだね。村から出て行けよ」
「そんな少人数で何ができるんだ。死にてーのか?」
と口々に安全警備の隊士を罵った。
安全警備の部隊長は隊士たちの突入を命じた。
そして隊士たちが地主に雇われた荒くれ者たちと交戦している間に、クレッカーとハルトには地主の身柄を確保するよう命じた。
「これ、絶対地主に雇われてるモグリの魔術師とかいるよな」
クレッカーは命令の血なまぐささに怯んでいた。
「そうだよジェイ、こんなの無茶だよ。だって俺たち草食系魔術師だよ!? 部隊長に言おう」
ハルトも脅えた目をしていた。
「だよな」
クレッカーもため息をついた。
「俺たち、魔術師相手の戦闘なんてほとんどやってきてないもん。苦手だよ、正攻法じゃ無理だ」
ハルトは首を横に振っりながら言った。
クレッカーもハルトも肉体系ではない。
いくらモグリの魔術師がきちんとした魔術を学んでいないと言っても、クレッカーもハルトも戦闘訓練を積んだ魔術師には勝てる気がしなかった。特にハルトはクレッカーより若く、光を操るのが得意なだけの魔術師だった。
クレッカーはひどく不満だった。
クレッカーもハルトも、安全警備のこの部隊には、魔術師枠の空席を埋めるように、たまたま配属されただけだった。
その頃、この国の魔術管理本部は魔術師の教育と研究だけに特化していた。専門教育を学んだ魔術師は、王都のさまざまな部署に振り分けられるシステムになっていた。
魔術師は得意不得意など関係なく、欠員のある部署に半自動的に配属され、理由がなければそこからは配属部署が変わることはなかった。
クレッカーは、安全警備のように普段から多少の武力が必要な部署に、自分たちのような非武闘派が配属されることは、間違いでしかないと思っていた。
ハルトの文句も止まることがなかった。
「地主もさ、抵抗するってことは、抵抗して勝てる気でいるってことだろ? 絶対いるよね、強いヤツが」
「ああ、本当、こういう現場、戦闘好きなヤツに代わって欲しいな」
とクレッカーもうんざりしながら言った。
「せめて筋トレ好きとか、プロテイン飲んでるとか、普段から鍛えてるヤツに、代わって欲しいよ」
ハルトはため息をついた。
しかし、もう他の隊士たちはあちこちで地主に雇われた荒くれ者たちと衝突していた他の隊士たちが突入した以上、クレッカーもハルトも行かないわけにはいかなかった。
「気合いを入れるぞ。俺たちもやらなければならない」
クレッカーは自分を奮い立たせるように言った。ハルトも顔を引き締めた。
他の隊士たちに道を作ってもらうようにして、屋敷の中に入っていったクレッカーとハルトは、すぐさま魔術師風情の男に出会った。
「お、ラッキー。弱そう」
とその男が言った。
クレッカーとハルトはぎょっとして身構えた。
「俺は正式にゃ魔術学んでねーけど、剣が得意なんだぜ。悪いがこれ以上中に入ってくるなら、死んでもらう」
確かにその男は異様な空気を纏っていた。
その男が剣を振りかぶった。瞬時に男から魔力が噴き出る感じがして、魔力がその男の剣を包み込んだ。
クレッカーにはすぐに分かった。精度は良くないが、剣には触れたら高温で焼き切れるような魔力がこもっている。こっちを殺す気だ。
「雑魚さんよぉ!」
男が叫んだ。
慌ててクレッカーは魔力塊を放出し、男の剣の軌道を変えると、掻い潜って避けた。
「ははは、中央の坊ちゃん魔術師めが! 圧がねえよ」
男は情け容赦なく剣を振りかざした。
ハルトは古典的な魔術の呪文を唱えた。光の魔力を具現化する魔術だった。
ハルトは大小さまざまな、大量の鬼火を出した。
大量の鬼火たちは、男に向かって鋭い炎を吹き出したり、ふらふらしていたかと思うと急に男に向かって突進したり、男に触れたかと思うと急に温度を上げたり、光を放ったり、めいめいが不規則に男を襲いにかかった。
男はニヤリと笑うと素早い剣さばきで、大量の鬼火たちを瞬く間に斬り伏せてしまった。
「おい、まともな攻撃してこいよ。鬼火なんて子供騙し過ぎるだろう」
男がイライラした声を出したとき、鬼火の隙に放ったクレッカーの魔力塊が男の腕に当たった。血が、ばっと飛び散った。
「おっと」
だが男は怯まなかった。
「そうそう、そういうのだよ」
と自分の傷口を舐めてニヤニヤする。むしろ男は楽しんでいた。
次の瞬間、ハルトの魔力の大蛇のような光の縄が男に襲いかかった。
ハルトの光の大蛇は、運よく男の片足に巻き付いて拘束するとともに、大蛇が噛みつくように、急に閃光を発して爆ぜた。
と同時に、クレッカーはもう一発魔力を打ち込んだ。
「下手くそで、時間かかり過ぎだ」
男は片手で剣を振るい光の拘束を切り刻むと、湧き出た火の魔力で、爆ぜる瞬間の光の大蛇の頭を一打ちした。
爆ぜた光は男に多数の切り傷をつけたが、ほとんど男の魔力で打ち消されていたので、男にとってはかすり傷のようなものだった。
そして、男はもう片方の手で小さな無数の魔力塊を出し、クレッカーの魔力にぶつけて霧散させた。
そして間髪いれずに剣を返して、引き抜き様にハルトを斬り伏せた。
同時に圧倒的な量の魔力がクレッカーの目の前で弾けた。クレッカーは右肩に激痛が走ったかと思うと、右肩より向こうの感覚が一瞬で無くなった。
そして、ぬるぬる生温かいものが額をダラダラと流れてくるのを感じた。
「ハ、ハルト、だいじょうぶか?」
クレッカーは肩で息をしながらハルトに話しかけた。
しかし返事はなかった。
「ハルト!?」
もう一度呼んだが返事はなかった。
ハルトはクレッカーの横で打ち伏せられていた。
「うまく当たったな。感覚ばっちりだぜ」
男はニヤリと笑った。
クレッカーはだめだと思った。ズキズキと頭が痛みだし、大量出血で立ちくらみがした。これまで、か。
クレッカーは左手を頭の上にかざし、姿を隠す魔術を使った。
クレッカーは命からがら屋敷を抜け出した。
地主を引き摺り出すどころかハルトの命さえ置き去りにして、とにかく無駄死にを避けるために逃げた。
それは部隊の作戦の失敗を意味した。
外へ退避すると隊士たちが気付き、「だいじょうぶかっ」と大声で駆け寄ってきた。
遠のく意識の中で、打ち伏せられたハルトの姿だけが脳裏に残った。
強力な無力感とともに、クレッカーはその場に泥のように崩れ落ちた。
あの日以来、クレッカーは、なぜハルトが死ななければならなかったのか、ずっと自問自答していた。
分かっているのは、絶対的な力不足。
だが、そんな弱き者がなぜ戦場に出なければならない?
直属の安全警備本部の部隊長は、ひとまずクレッカーの生還を喜び、ここまでの任務を労ったが、案の定、ハルトの死が誰の責任かというところまでは言及しなかった。
部隊長にとっては当たり前だった。未熟な者でも与えられた仕事は一生懸命やること。直属の部隊長はその精神のもと、ハルトとクレッカーがこの任務に当たることを疑問視しなかったし、逆に二人が精一杯やった上での失敗を非難しなかった。
だが、クレッカーには強く思うことがあった。間違っているのは、この魔術師を取り巻く環境だ。魔術師の適性を無視した任務が不幸を招くのだ。
クレッカーは、魔術管理本部の在り方を変えたいと強く思った。
クレッカーは魔術師の管理を一本化することを望んだ。すべての魔術師の所属を魔術管理本部に還す。そして、任務ごとに王都の各部署に派遣できるようにする。
今の、部署付き魔術師の時のように迅速な対応はできなくなるが、魔術師の得意不得意に振り回されることはなくなる。
魔術管理本部への要請ごとに魔術師を派遣すれば、魔術管理本部の権限が強くなり、魔術師の地位も上がる。
クレッカーは不慣れな世界に足を踏み入れることにした。長官になってこの魔術師を取り巻く体制を変える。
クレッカーは決心した。
だが王都の各部署は猛反対するだろう。
魔術管理本部の権限が強まり、魔術師の地位が上がれば、今までのような魔術師の便利遣いができなくなる。
各部署反対の変革を、一魔術師にすぎないクレッカーが提案しても、無視されて終わりだ。
そこでクレッカーは賛同者を注意深く探した。
ようやく一人、委ねるに値する人物が現れた。
アンドリュー・ケイマン侯爵は自分が大臣になれるなら、魔術師の管理を一本化する魔術管理本部の体制つくりに協力する、と言った。
クレッカーは了承した。
そして今、ケイマン侯爵は大臣になり、クレッカーは晴れて魔術師をすべて管理する魔術管理本部を作ることができた。
クレッカーは長官になり、さらなる魔術師の地位の向上や働きやすさを目指して力を注いでいる。
新しい有用な魔術を開発する。すべて魔術師はそれをすぐに学ぶチャンスを得られる。そして魔術師たちは各部署と連携しながら自らの得意な任務に就く。それがクレッカー長官の願い。
今ここで止まるわけにはいかない。クレッカー長官は気持ちを落ち着かせ、決意を新たにした。そう、多少の犠牲があっても。
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