30. 奇妙な病 〜兄は魔術師から妹を護りたい〜
エドワードはリーナの薬を調合する部屋で、相変わらずぐだぐだと暇を持て余していた。
リーナは捕ってきたネズミの血を調べるのに夢中で忙しかったが、あまりにエドワードが暇そうなので話し相手にはなっていた。
“身分さえなかったら俺を男として見てくれるのかよ”
あの日のエドワードの言葉が思い出される。
でも、とりあえず、考えたくない。そんな風に考えたことはないし。
リーナはとりあえず、無かったことにして、エドワードと接していた。
「ねえ、カレンは魔術管理本部に出かけて行ったって聞いたわよ。ちゃんとあなたの仕事終わったんじゃないの?」
「終わった。今回も無事終わってよかったよ」
「そうね。にしても、手紙、とんでもない内容だったみたいね」
エドワードの目が一瞬鋭く光った。が、すぐにそっぽを向いた。
「そうらしいね。リーナはカレンに会ったのか?」
「私は直接会ってないわ、お兄様が」
とリーナは答えた。
「そうか」
エドワードは少しほっとした。
カレンの夫が亡くなった話を直接聞くのは、聞いた方も辛いはずだから。
「でも、エドワードたちがカレンに伝えに来てくれて良かったと思うわ」
リーナが意外にも温かい眼差しで言った。
「は? 何でだ」
エドワードはぎょっとした。
「だって、カレンはずっとダミアンの安否を気にしてたのよ。今回は悲しいことだったけど、カレンも知れて良かったんじゃないかしら」
リーナはしんみりと言った。
「そーか? 知らない方が幸せだったりとかはないのか?」
エドワードは聞いた。
「え? 私なら、夫が死んだことを知らずに待つより知りたいかな。次に進めるもの」
リーナの口から”夫”という言葉が出たので、エドワードは一瞬どきっとした。
しかしリーナは何も気づかず、
「ねえ? なんでダミアンはカレンに少しも連絡よこさなかったのかしら。魔術なんて、いくらでも伝える方法があるんじゃないの?」
「あー。潜伏してるときはできるだけ魔術使わないんだ。魔力は同業者に感知されるからな」
エドワードはめんどくさそうに説明した。
「あら、そうなの……」
「あと、やっぱ傍受のリスクがあるからな。余程じゃないと、魔術で伝言を送ることはないな。大事なことほど直に、ってのが基本」
「そうなんだ。知らなかった。私ったら、ダミアンのこと大分薄情だと思ってたわ」
リーナが申し訳なさそうに言った。
「おい、死んだやつのことあんま悪くいうなよ。そいつは、たぶん、よっぽど慎重になってたんだと思うぜ」
エドワードはそう言いながら、ダミアンの潜伏先を思い出した。
そう、だからこそ、ロベルトと俺をしてもなかなか居場所が掴めず本当に苦労した。
「そっか。にしても、エドワードって、本当に魔術師さんなのね……」
リーナが少し感心したように言った。
「は? 俺、一応ちゃんとやってんだけど」
「だって今回は郵便屋さんみたいなお仕事だったし」
「おい! 竜から助けてやったろ!」
エドワードが声を上げた。
「あ、そっか。その節はありがとう」
「本当に感謝してんのかよ。じゃ、お礼にキスでも」
エドワードが真面目な顔で言うので、言うので、リーナは赤くなった。しかし、リーナは無視することにした。
そう、俺はあのとき、竜からリーナを助けられて良かった。あのとき、リーナに出会えてよかった。だから、今、俺はリーナのそばにいられる。
エドワードはリーナの顔を見つめながら思った。
リーナはその視線にもじもじした。
「ん?」とエドワードは思った。
リーナの「もじもじ」がなんだかいつもと違う雰囲気だったからだ。エドワードはそれくらいはリーナのことがわかるようになってきていた。
やはり、口を開いたリーナは意外なことを言った。
リーナは、本当は今日、ずっと聞きたかったことを聞いた。
今日、聞きたかったこと。
「ねえ、エドワードは、これまで他にどんな仕事をこなしてきたの?」
エドワードは、(ちっ) と思いながら、(こいつはまた面倒な質問だ) と思った。
「言えねーな」
「守秘義務?」
リーナは残念そうに聞いた。
「ま、そんなもんかなー」
エドワードは心の中で、(リーナに言えるかよ) と思いながら 適当に答えた。
「そっか」
リーナは少し困った顔をした。
エドワードは、この部屋にいるときはいつも頭から追い払っていることを思い出して、ため息をついた。
リーナ、俺はいつだっておまえを押し倒したいって思ってる。
いつだって。今だって。
だけど、俺は本当は人を何人か殺してる。
このことを思い出すとリーナのそばにいてはいけないのではと思う。
だけど、こうして、俺はリーナのそばにいたい。
だから、今こうしている時間は、自分が人殺しなことは出来るだけ考えないようにしている。
リーナ、俺は、おまえに人殺しがバレるのが怖い。
俺が人殺しと知っておまえが離れて行くんじゃないかと思うから。
俺は、どうしたら、と毎夜思っている。
そして、隠したままこうしてずっときている。俺は最低な人間なんだ。
その時、突然少しリーナが口調を変えた。先程の質問で要領を得なかったので、質問を変えるつもりだった。
躊躇いがちに口を開いた。
「あの、ちょっと、聞いてもいい?」
「なんだよ、リーナ。急に」
エドワードはまた面倒な質問か?と思ったが、リーナが何か改まっている様子を感じとり、なんとなく気の毒になって、腕を伸ばしてリーナの頭を優しく撫でた。
「言ってみ?」
リーナはエドワードの優しい目を見て、少し勇気が出た。
「あの、何か王都とかで妙な病は流行ってないかな? 致死性の」
エドワードは、本当に寝耳に水な質問だったので、思わず、
「は?」
と聞き返した。
「は? えっと、妙な病って言ったか?」
「うん」
リーナは頷いた。
エドワードは
「何かあったっけか?」
と宙を仰いで思い出そうとした。
そのとき、エドワードの脳裏にある瀕死の男の様子がまざまざと思い出された。
数ヶ月前、安宿の暗い一室だった。
エドワードがロベルトと訪れた時、その男はベッドに仰向けに寝ていたが、意識はもうなく、目がくぼみ、足先が痙攣していた。
ヒューヒューという苦しそうな呼吸音が耳についた。
ベッド脇には水差しと食べかけのオートミールが置いてあった。
奇妙なことに水差しは10本近くあり、全て空だった。
その後、ロベルトとエドワードには特に何もすることはなかった。ただ横に立っていたら、しばらくしてその男は死んだ。
「あー、そういや、流行り病かは分からんが、少し奇妙な様子で死んだ人は見た」
エドワードは答えた。
「どんな症状ですか?」
リーナは嫌な予感を胸に恐る恐る尋ねた。
「んー、俺医師じゃねーから分かんないけど。ベッドに寝たきりで、目が窪んで、呼吸が荒くて、そのまま死んだ」
とエドワードは答えた。
「似ている」とリーナは心の中で思った。
悪い予感は当たった。急に動悸が激しくなった。
「いつ? どこで見たの?」
リーナは震える声で聞いた。
「仕事で」
「仕事で?」
ああ、やっぱり、とリーナは思った。
リーナはエドワードの言葉に目眩がした。
エドワードは仕事でと言った。やはり、あの女の人は、ロベルトやエドワードに関係している人なのかもしれない。
あの女の人はたぶん魔術をかけられている。魔術管理本部に命を狙われているのかもしれない。
そう、ダミアンのように。
リーナは青ざめた。
じゃあ、ロベルトとエドワードは、何者?
「ってゆか、どーした、リーナ。顔が真っ青だ」
エドワードはリーナの異変に気づいた。
ガタッと席を立ち、リーナの肩を抱いて手を取った。
「大丈夫か? 手が冷たい。ちょっと休むか?」
エドワードはリーナを抱きかかえようとした。
「あ、エドワード、ちょっとここで休めばだいじょうぶだから」
「ばか。部屋に送ってやる」
エドワードはリーナを抱きかかえた。
リーナは恥ずかしかったが、まだ頭がくらくらしていたので抵抗できなかった。
エドワードはリーナの部屋に急いだ。
その時、偶然シャールがやってきた。
そしてリーナとエドワードの様子を見て、血相を変えて駆けて来た。
「おい、どうした、リーナ!? エドワード、何かしたのか!?」
「は? まだ何もしてねーし。気分悪そうだから部屋に送ってくとこ」
「は? まだって何だ!」
とシャールはエドワードを睨んだ。
「お兄様、ごめんなさい、だいじょうぶです。ちょっと気分が悪くなっただけ。ありがとう、エドワード」
リーナはエドワードの腕から降りようとした。
「だいじょうぶじゃないだろ。このまま連れてってやるから」
エドワードがリーナを抱きかかえたまま行こうとした。
シャールはエドワードの肩を掴んた。
「エドワード、すみません。だいじょうぶです。ここからは私が」
と言って、エドワードからリーナを引き剥がした。
エドワードは一瞬戸惑ったが、何も言わずに身を引いた。
シャール。ずいぶん強引だなとエドワードは思った。
シャールはエドワードに軽く会釈すると、リーナを抱きかかえて部屋に連れて行った。
その様子を、少し離れたところで、言い争いの声に気づいて顔を出したロベルトが、呆れた顔で眺めていた。
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