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チートゲームにさよなら

「はぁ……」

 陸斗は何度目か分からない溜息をついた。

 あの日以来、実花に何度か連絡を取っているのだが、なかなか連絡がつかない。否、全く連絡が出来ないというわけではなくて、今までよりも返信の速度が明らかに遅い。無視をされているのではないかと、端末が故障でもしているのではないかと思ったあたりで、やっとそっけない返事がくるのだった。そんな状況が、もう一週間続いている。

 何かやってしまったのだろか、嫌われてしまったのだろうか、そんな不安が頭の中をめぐる。

 原因があるとしたら、あの大学時代の先輩という男と出会ったあの日だが、思い当たることはあの男から無理やり実花を連れ出したという事だけ。だがしかし、それに関しては実花にお礼を言われている。かなでからも、あの男は実花にひどい事をした、と言われているし、連れ出したことがいけないことだったとは思えないのだが。

 今まで、だれか一人の女性をこんなに特別に思ったことなどないから、どうしたら良いのかが分からないのが現状だ。初めて出来た大切な人だから、傷つけたくないし、大事にしたいのに、から回ってしまう。過去に自分に寄ってきた女性達には本当に興味がなかったから、ここまで悩んだことなんてなかった。何においても初めてで、圧倒的に経験値が足りない。

「はぁ……」

「おーい、何度目の溜息だよ、それ」

 突然かけられた声に顔を上げれば、やれやれといった表情の矢嶋がいた。

「何でお前がここにいるんだよ」

「ん? それでなくとも深夜で人の少ないオフィス。斜め前の席からそう何度も溜息をつかれちゃ、気が散るってもんよ」

 ほれほれ、と周りを見るようなジェスチャーをされて、促されるがままに辺りを見渡せば、確かにこの付近でまだ残っているのは矢嶋と陸斗の二人だけだった。そんなに遅くまで仕事をしていたつもりはないのに、知らないうちに時間が経っていたようだ。

「仕事関係の悩み?」

「いや。仕事はきちんとこなしているよ」

 知っているだろ、と付け加えれば「そうだな」と彼は笑った。同期で部課も同じとなれば、自然と互いの進捗状況は目に入る。連続していた会議も落ち着いているし、大きな案件も今の所はない。普段通りの穏やかな業務状況だ。

「じゃ、女関係か」

 間違いない、と、まるで名探偵のようにこちらを指さした矢嶋に、思わず陸斗は目を見開いた。

「……別に、そんなんじゃ」

「いいや、それに決まってる。しかも相手は、多分この前コンビニでお前が連れ出した子だろ?」

 にやにやと、犯人を追い詰めたかのように自信ありげに笑う矢嶋が憎らしい。そういえば、この前のコンビニの時、矢嶋も一緒にいたんだった。

「……そうとも限らないだろ」

「いや? お前が仕事関係以外で女に興味を持つなんてめったにない事だからな。しかもあんな人混みをかき分けてまで連れ出したんだ。ただの正義の味方気取りってわけでもないだろうさ」

「……」

「それに、もう一つ。今週の頭くらいから、やたらとスマートフォンを気にしているだろ」

 ぐうの音もでなかった。普段、あんなにおちゃらけているのに、こんなにも人の事を見ていたのか。驚きを通り越して尊敬までしてしまいそうだ。

「……まぁ、話したくないならいいけどさ。でも、話してみるだけでスッキリするかもしれねぇよ?」

 ぐっと真剣な表情で、矢嶋は言った。全く、そこで急に真面目なトーンになるのはズルいだろう。正直、誰かに話すつもりはなかったのだけれど、相談するとしたら、相手は矢嶋しか思い当たらない。それに、女性との交友関係は陸斗よりも矢嶋の方が圧倒的に広い。そっち方面の悩みは、彼の方が経験値が高いということも事実であろう。

「……帰る準備しておく」

「おっけ。隣駅の居酒屋でいいか」

「あぁ」

 お前のおごりな、と悪戯っ子のように笑う矢嶋。こういうところがあるから憎めない。仕方ねぇな、と文句を言いながら、陸斗はパソコンの電源を落とした。


*****


 がやがやとした居酒屋。二人掛けの小さなテーブルに、大きなジョッキが二つ。枝豆に焼き鳥をつまみにしながら「で?」と矢嶋は聞いてきた。

「振られたわけ?」

「振られてはない! ……と、思う」

 そもそも、振られる振られない以前の問題で、告白すらしていないのだ。その当たり前の事実に改めて直面すれば、なんだか独り相撲をとっているような気がしてきた。

 うなだれてしまった陸斗を興味深そうに眺めながら、枝豆をつまんで矢嶋は口を開いた。

「え、じゃあなんでそんなに落ち込んでいるわけ? 実はその子に彼氏がいたとか」

「いや、そういうんじゃない」

「あ、この前のコンビニの時、連れ出したのがまずかったとか」

「それは……、ありえるかもしれないけど、多分ない」

「なんだそりゃ」

 過去に彼女に対して酷いことをしていた男であり、彼女も困っていたし後からお礼も言われたことを話せば「確かにそれは原因じゃなさそうだな」と矢嶋も不思議そうな顔をした。

「……なぁ、矢嶋」

「うん?」

「好きな子が、自分を好きじゃないのかも、って思ったら、どうする」

 陸斗の懸念事項は、要するにそこだった。

 陸斗自身は実花の事が好きだけれど、実花は別に陸斗の事が好きじゃないかもしれない。今までは、彼女も陸斗の事を好ましく思ってくれているのではないかと思える節があったのだけれど、今回の一件でそれが分からなくなってしまった。好かれているかも、から、好かれていないかも、嫌われてしまっているかも、へ、彼女に対する分析評価が移り変わっていく。

 至極真面目に相談をした陸斗に対して、矢嶋はきょとんとした表情を浮かべ、ぽろりと枝豆をこぼした。

「え……、は?」

「あのさ、人が真面目に相談しようと思って――」

「いやいやいや、何言ってるんだよお前。っはー、これだからイケメンは!」

 やってられねぇよ、と投げやりに言ったかと思えば、彼はぐいっとジョッキをあおった。そこからダンと音を立てて机に置き、がっと陸斗の方へ身を乗り出した。

「そんなの! 全員が迷ってんだよばーーか!」

「は……?」

「好きな人が自分を好きじゃないかもしれない? そんなの恋愛においてのスタートラインだ馬鹿野郎! 相手が自分を好きな状態で恋愛を始められるのなんてな、一部のモテてるやつだけだよこの野郎!」

 おじさん生もう一つ! と怒鳴ったかと思えば、ふーふーと息を整えている。その権幕に、陸斗は後ろが背もたれであることも忘れて思わず後ずさってしまう。

「いいか? 所詮は他人同士なんだから、相手の気持ちなんて、そんなのは全く分からねぇよ。それでも、好きだから、諦められねぇから、好きになってもらえるように頑張るんだろうよ。最初から相手が自分を好きだ? それは何ていうチートゲームだよ!」

 全く、と言いながら、新しく運ばれてきたジョッキをさらにあおった。普段よりも物言いが激しくなっているのは、きっと酔っているからなのだろうが、その勢いづいた言葉が、今の陸斗には刺さった。

「……そういう、ものか」

「当たり前だよ。むしろ、それを知らずによく今まで生きてきたよな」

 はぁ、と溜息をつく矢嶋。言葉は厳しいが、そこに呆れの色はあれど、馬鹿にするような響きはなかった。

「最近、何だか人間らしい表情をするようになったからさ。良かったなって思ってたんだよ、俺は。スマートフォンを見て、たまに表情が緩んでいるの、お前気づいていたか? いい人にでも出会ったんだろうなって、思ってたんだ、勝手にな」

「……そんなに分かりやすかったか?」

「いや? 気付いているのは俺くらいだろうよ。なんてったって同期だからな。ちゃあんと見てるぜ?」

 普段通りのにやにやとした表情に戻った矢嶋は、からかうようにそう言った。

「だからまぁ、当たって砕けるなら砕ければ良いんじゃねぇか? その時は、骨くらい拾ってやるよ」

「……砕けるつもりはねぇよ」

「そうかよ」

 気安い言葉の応酬ではあったが、矢嶋の言葉は陸斗の胸に深く刺さった。きっと、陸斗にここまでの事をはっきり言えるのは、矢嶋くらいのものだろう。人との間に壁を作りやすい陸斗に、めげずに何度も声をかけてくれた彼。そんな彼の存在が、悔しいながらも、非常にありがたかった。



「とりあえず、まっすぐ気持ちをぶつけてこいよ。それで駄目なら、次の作戦を練れば良い。黙って考えていても、時間は過ぎて行くんだぜ?」

 矢嶋の言葉の通りに動くのも癪だが、今回ばかりは彼の言う通りだろう。また、返信がこなかったら、そっけないものだったら、どうしよう。そんな不安が頭をよぎるけれど、このまま考え込んでいても仕方がない。

 さっさと連絡をとっちまえ、と言う彼の言葉が、翌日を迎えた今でもなお聞こえるようだ。今日は幸い休日だ。朝起きてすぐに、連絡をとるべくメッセージアプリを立ち上げる。


「次は、いつ会えるかな。話したいことがあるんだ」

 




 

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