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苦く飛び散るジンジャーエール

 最初から分かっていた。物心ついた時から、ずっとそうだったから。今更どうだっていうんだ。

 幼い頃、本だけは沢山買い与えられていた。どんなおとぎ話も、かっこいい王子様と結ばれるのは、美しいお姫様。それを読んでは、いつかは私も、なんて夢を見ていた時代もあった。

 しかし現実は残酷で、運命の相手が用意されているのは、主役となれる人物だけ。所詮端役でしかない、脇役の町娘には運命の相手なんて、最初から用意されていない。


*****


 不快感でゆっくりと意識が浮上する。どうやらあれから帰って来てそのまま眠っていたようだ。玄関から寝室までの廊下に、点々とカバンや上着が投げ捨てられている。

「頭いた……」

 あんな奴と再会してしまったからだろう、頭は痛いし、べったりと嫌な汗をかいている。会ったのは何年ぶりだろうか。あの事件があってから避けていたし、卒業後の集まりにも全員が来させなかったから、大体五、六年ぶりだろう。

 三宅耕二。大学時代のサークルの先輩で、学年としては三つ上だが、中退や留年を繰り返していたせいで、年齢としては十も上だ。そして、実花と「恋人関係になりそう」だった人。

 あの時はまだ若かったから、と笑い話にすることすら難しい。あの顔を思い出しただけで、ぞわりと鳥肌が立つ。

 折角、一条さんと楽しかったのに。

 会社に忘れ物をしていたのは事実だけれど、別に、今日急いで戻らなくても良かった。自分のデスクに忘れただけだし、明日の出勤時に回収するので十分だ。それなのに、まるでどうしても戻らないといけないかのように言ったのは、ひとえに、陸斗との楽しい時間をもう少しだけ終わらせたくなかったからだ。

 それなのに。

 端役、と言い捨てた三宅がフラッシュバックする。外見だけはまともに装い、それにまんまと騙された過去。あの下卑た笑いが彼の本質だと、なぜ気が付けなかったのだろうか。君だけだよ、と囁いた言葉は嘘に塗り固められていると、どうして。

「あぁぁぁぁ」

 枕に顔をうずめてうなる。かなでに連絡をとろうかと思うが、きっと彼女の事だ。三宅と遭遇したと言ったら、相手のオフィスまで殴りに行くかもしれない。しかし彼の事を相談できるといえば、彼女しかいない。どうしよう、とカバンに入れたままのスマートフォンを取り出せば、メッセージの通知が入っていた。

「一条さんだ……」

 大丈夫? 具合が悪そうだったから。

 実花を心配するようなメッセージ。鏡を見ていないから分からないが、きっとあの時はひどい顔をしていたはずだ。それで、心配して連絡をくれたのだろう。再会した時に、一人でなくて良かったと思うと同時に、あんな場面を陸斗に見せてしまったという激しい後悔に襲われる。

「だいじょうぶ、です、と」

 本当は全然大丈夫なんかじゃない。しかし、それを言うと心配をかけてしまうし、彼との関係も話さなくてはならなくなるだろう。それは実花にとってどうしても避けたい事だった。

 メッセージが届いたのを見届け、ぐるりと横になる。目を閉じれば、あの消し去ってしまいたい過去が蘇ってきてしまいそうだ。早く忘れたいのに、記憶というのは厄介だ。起きていても忘れられないならば、いっそ夢の世界逃げ込んでしまおうと、枕に顔をうずめた。


*****


 いじめられていたわけではない。むしろ、幼い頃から男女問わず友達は多いほうだったと思う。ただ、深く狭くというよりも、広く浅くという交友関係だった。

 最初にそれが起きたのは、小学五年生の頃。休み時間、毎日ドッジボールに誘ってくれる男の子がいた。グループ決めの時もいつも一緒で、遠足だって同じ班。他の女の子にはあまり自分から話しかけないのに、実花にだけは声を掛けてくれた。小学校高学年、初恋、だなんて言葉が似合う、恋愛話に興味深々のお年頃。臨海学校で「きっと実花の事が好きなんだよ」なんてクラスメイトの女子たちに言われ、少し意識したりして。実花も彼のことを好ましく思っていたし、きっとあれが初恋だったのだろう。五年生が終わる日、実花は彼にそっと呼び出された。もしかして、なんて胸が高鳴って、ドキドキしながら向かった校舎裏。告げられたのは「お前の友達を、呼び出して欲しい」という、一言だった。要は、実花といつも一緒に登下校をしている、大人しい友人のことが好きだったのだ。グループ決めも、遊びに誘うのも、実花を呼べばその友人も来てくれるという幼い照れ隠しだった。結局、私はショックを受けながらも、それを友人に伝えないという思考は働かず、彼は彼女へ告白することに成功したのだった。

 次は、中学二年生の時。初めて自分から好きな人が出来た。所属する部活の先輩だった。ずっと好きで、先輩が自主練に参加するからと言って自分も早起きをして、同じ委員会にも所属した。その当時、一番仲の良かった友人は、実花の話を聞いてずっと応援してくれていた。私立の中学校へ進んだ友人とは、学校は違ったけれど、メールや電話で、嬉しかったことも、悩んでいることも互いに打ち明けた。彼女も通っている塾に好きな人がいると教えてくれて、一緒に頑張ろうね、なんて言いあった。しばらくして、先輩が誰かと付き合い始めたという噂が部内に流れ始めた。非常に可愛らしい子で、先輩がぞっこんだったらしい。伝える前に失恋しちゃったな、とわんわん泣いた。しばらくして、友人に「実は彼氏が出来たの」と見せられたのは、好きだった先輩と友人との仲良さげなツーショットだった。言えなかった。その人が、私の好きな人だったんだよ、なんて。

 その頃から、もう恋なんていいやと諦めはじめた。

 高校に入学し、恋愛はしばらくしないつもりだった。恋愛感情は抱かないぞ、と決意しているからか、さばさばとした性格にやたらと男子は寄ってきた。ラーメンに行こうぜと誘われて、部活帰りに夕飯を食べることもあった。かといって、女子の友人がいないわけでもなかった。要は、中性的な性格だったのかもしれない。不思議なことに、気付けば私を介してカップルになっている子達が出始めた。「実花のおかげだよ」と言われるけれど、何かをしてあげたつもりはない。私と一緒にいれば異性と仲良くなれる、なんて迷惑な噂まで流れ始めた。元々私と仲が良かった人達だけでなく、それを目当てに寄ってくる人たちまで現れた。私を魔法使いかなにかと勘違いしているのだろうか。一人になりたいと思ったこともあったけれど、そちら目当ての人たちは放っておいてくれなかった。

 この頃から、どうやら私は脇役なのだと思い始めた。

 私がそばにいるだけで、周囲は幸せになっていく。「運命の人と出会えたの!」と喜々として報告してきたかと思えば、もう用済みだとでも言うかのように離れていく。私は開運グッズでもなんでもないんだぞと、声を張り上げてやれば良かった。名脇役だと、自分で自分を褒めたたえたいような気分だった。

 大学生になった。自分が脇役だと割り切ると、少し気持ちが楽だった。一年生の四月に、映画研究部に入部した。元々映画が好きだったし、見学に行った時に同じ学科の女性の先輩がいて安心したというのも理由のひとつだった。そして、そこでかなでと出会った。笑顔が素敵で、きらきらと輝いて見えた。新入生歓迎コンパでたまたま席が隣になった実花に、学部も学科も違うのに沢山声をかけてくれて、仲が良くなるまであっという間だった。

 サークル以外では、理系ということで、学科には女子が極端に少ない。自然と男子の友人が増えて、授業や実験を一緒に取り組むようになった。そしてその子達は決まって「女の子を紹介してくれよ」と実花に言うのだった。この頃は流石に耐性が付いていたから「いつかね」と笑って流せるようになった。

 そして五月、就職活動が早めに終わった四年生が、卒業記念作品を作ろうと部室に顔を出し始めた。その中の一人が、三宅だった。

 屈託のない笑顔で「一年生かー、若いな! おじさんだけどよろしくな」と挨拶をしてくれた。年齢が十も上ということで最初はひるんだけれど、大学とはそんなものなのかもしれない、と受け入れた。最初は警戒をしていたけれど、部内の担当係が実花と同じということで、丁寧に色々と教えてくれた。そんな姿に、年齢だけで差別をするのは失礼かもしれないと思い出した。映画研究部には初めて触る機材も多く、複雑な手順に困っていれば「大丈夫大丈夫。最初はみんなそんなもんだって」と言ってくれた。ミスをして他の先輩に怒られれば「話くらい聞くぞ」とご飯にも連れて行ってくれた。しかも話し上手で、彼と過ごす時間はとても楽しかった。

 恋愛はもうしない、と思っていながらも、新しい環境で優しく接してくれる年上の人。突然連絡が来たかと思えば「実花ちゃんだけ特別ね」と前から実花が行きたいと話していたカフェに連れて行ってくれた事もあった。今から考えれば、年上だからこそ若い女の子がその気になるような方法を熟知していたのだろう。しかし、そんな三宅に、高校を卒業したばかりの実花は簡単にときめいてしまったのだった。

 どうしよう、と思った。相談するにも誰に相談したら良いか分からず、一番仲の良かったかなでに相談をした。きゃあきゃあと騒ぎ立てるタイプではないと、数か月一緒に過ごして理解はしていたけれど、「まぁ、特別扱いはされているよね」というどこか冷めたような客観的な意見に拍子抜けしたことはよく覚えている。

「あんまり良い噂は聞かないけど……、まぁ噂は噂だし」

 実花がそれで良いなら良いんじゃない、と彼女は言った。今までの恋愛遍歴の事も彼女に打ち明けたけれど、別に同情するでも驚くでもなく、興味なさげに「タイミングってあるからねぇ」と言われてしまった。美しくて可愛い、学科を越えて評判の、今年のミスコンに推薦されているような、いわゆる「主役」になり得る彼女のことだ。きっと分からないのだろうと、相談する相手を間違えたかもしれないと、その当時は思った。しかし、要は彼女は「紹介される」側であり、彼女には彼女で辛いことがあるのだと、今ならば分かる。

 季節は流れて、三宅には相変わらず特別扱いをされた状態で、秋を迎えた。大学祭で放映する映画の編集に、連日夜遅くまで部室にこもっていた。授業が終われば作業をして、先輩たちに誘われ安い居酒屋やラーメン屋で夕食をすまし、そしてまた作業に戻る。かなでは直接的には編集作業班ではなかったのだけれど、実花の友人だからと一緒に残って手伝ってくれていた。頃合いを見ては「実花、帰るよ」と、作業はまだ残っているにも関わらず連れ出され、なんなんだと思いながらも「明日も一限でしょ」と言われれば返す言葉もなかった。しかし、「俺が送るよ」と声を掛けてくれた三宅に「結構です」と言われた時は、流石に駅で喧嘩をした。何で、どうしてこんなことするの、と。かなでが三宅を好きだから邪魔をするのか、とも言った。それを聞くや否や、彼女は何かを言いたげに口をもごもごさせてから「もういい」とそのままホームへと消えていった。

 大学祭の上映は大成功だった。そのまま打ち上げになだれ込み、みんなでお疲れ様を言いあった。かなでとは、あれから上手く話せなかった。飲み会の帰り道、「送るよ」と言ってくれた三宅に従い、そのまま二次会へと向かう部員の集団を抜けて駅へと向かった。飲み会帰りの人でにぎわう駅前のロータリー。十一月の冷たい風が頬を撫でる中で、実花は三宅に「好きだ」と言われた。心臓がばくばくして、実花自身はお酒を飲んでいないのに、顔が熱かった。

「実花ちゃんだけが特別なんだ。年は離れているけど、どうかな」

 ずっと特別扱いをされていれば、もしかして、と勘違いしてしまうのはおかしくない。それが勘違いでは無かったと分かった時のこの喜びが、分かるだろうか。ずっと脇役で、引き立てばかりだった自分を、特別だと言ってくれる存在。やっと自分が主役になれる相手とめぐりあえたのだと、そう思った。

 真っ赤になっている実花を見て彼は微笑んで、「返事は今度。素面の時に聞かせてほしいからさ。考えておいて」とだけ残して、ホームへと消えていった。そんな返事なんてとっくに決まっているようなものだったけれど、そう言われてしまえば、実花は頷くしかほかなかった。

 それからは制作が佳境に入り、部室内には二年生以上の作業が完璧に分かっている人しか出入りできなくなった。事実上の戦力外を告げられてしまった一年生だったが、実際先輩方のサポートがないとまだ不安なところが多いし、追加機材でより狭くなった部室内では邪魔になってしまうのは火をみるより明らかだ。それならばと、同期の親睦を深めようと食事会が開催された。

 食事会と言っても、場所は普段よく使う居酒屋。実花を含めて同期は四人で、四人掛けの席に通されて、ソフトドリンクと居酒屋飯を楽しんでいた。そこで久しぶりに実花はかなでと向かい合った。気まずさから、出来るだけ離れた席に座ろうと思っていたのだけれど、同期の男の子達に先に座られてしまい、残った席がそこしかなかった。後から聞いた話だが、実花とかなでがぎくしゃくしていることに気づいた彼らが、わざわざ心配をして気を使ってくれたのだった。

 サシではなく複数人との会話であれば、いくらかは会話も弾む。気が付けば終電近くまで話し込んでいて、そろそろお開きにしようかという時に、暖簾を挟んで隣の席から聞き覚えのある声がした。

「え、そんなことしたんスか」

「まぁ、ちょろかったんだけどよ。ひょいひょい顔を赤くさせやがって、本当に雑魚。でも本命の方が固いんだよなー」

 ガハハと下卑た笑い声が聞こえる。大きな声で騒いでいる奴は角度的によく見えないが、困ったように相槌を打っているのは、確か部活の三年生の先輩だ。聴こえてきた声に、こちらの席には途端に緊張が走る。実花とかなでの座っている席は通路側だから隙間からしか見えないが、きっと暖簾側に座っている男の子たちは隣に座っているのが誰なのかばっちり見てしまったのだろう。固くなった表情は、まるで見てはいけないものを見てしまったかのようだった。

「ちょっと飲みすぎですって。冗談キツイですよ」

「そうですよ、あんなに可愛がっていたじゃないですか」

「あぁ? あんなの、ただの端役よ。友達の彼氏って言えば断られないかと思ったんだけどよぉ。なかなかガードかてぇの」

「いい加減にしてくださいよ、三宅さん。酔いすぎですし、酔っていても言って良い事と悪いことがありますから」

 三宅さん。

 その言葉に、実花の肩はぴくりと揺れた。先程から相槌を打っているのは、たまに聞こえてくる会話や、隙間から見える横顔から部活の三年生二人であることは間違いがない。うちの部活御用達の居酒屋だ。作業終わりに飲みに来たとしてもおかしくはない。そしてその文脈で考えると、三宅という苗字は部内に一人しかいない。

 背筋に何か冷たいものが走る。信じたくない、でも、論理的に考えれば、今そこで会話をしているのは、先日実花に告白をしてきた彼しかいないわけで。そしてその発した「端役」というのが誰を意味しているのか、悲しいかな、即座に理解出来てしまった。男の子達の伺うような視線も、実花に集まった。その時だった。

「っ、おい、斎藤!」

 かなでの隣に座っていた男の子が声を上げる。俯いてしまっていた顔を上げれば、かなでがジョッキ片手に男の子を押しのけて、暖簾をめくり上げていた。

「っふざけんじゃねぇ!」

 かなでのものとは思えない大声と共に、ジョッキに並々と入っていたジンジャーエールを三宅の頭の上へとぶちまける。ザバァッという音が聞こえてくる程に勢いよくひっくり返されたジョッキ。中身は全て三宅の頭へかかり、それを見届けたかと思えばダンッとそのままジョッキをテーブルに叩きつけた。

「ふざけんなっ! アンタに実花の何が分かる! このクソ野郎!」

 大声で言い放ったかと思えば、しばらく何が起こったのか分からないとでも言うように放心していた三宅も立ち上がった。

「ッテメェ、何しやがる!」

「はぁ? そっちこそ何好き勝手言ってんのよ! 実花が端役だ? ふざけんな!」

「うっるせぇ! 端役を端役って言ってなにが悪いんだ。こんな別に可愛くもないただの女、テメェと近づくためのダシくらいしか近づくメリットもねぇよ」

「はぁ? アンタみたいなやつ、こっちから願い下げよ。アンタみたいなクズ野郎に、実花はもったいないわ」

「言わせておけばこのクソアマ……! テメェは顔だけは良いんだから黙って股を開けば……」

 その時だった。パシンという乾いた音が響いたと思えば、自分の右手がじんじんと熱くなっていた。ぎゃあぎゃあとうるさかった店内が、シンと静まる。

「……私のことは、私が馬鹿だったので何をいっても構いません。でも、かなでを侮辱するのはやめてください」

 こんなにひどく落ち着いて冷たい声が出たのは、人生で初めてかもしれない。でも、気が付いときには言葉が溢れていた。

 私の一言で、一瞬全員冷静になったのだろう。三宅と一緒に来ていた先輩二人が、いまだ喚く彼を無理やり外に連れ出して、私達の同期二人が、店員に騒いですまないと謝っていた。

 それをまるで他人事のように、終わってしまって映画のエンドロールのように、ただひたすらぼーっと眺めていた。

 それから、三宅の悪名は部内に瞬く間に広まった。どこから調べてきたのかは分からないが、中退したと言っていた大学も、自主的な中退ではなく飲酒や対人関係で問題を起こしたがゆえのものだった。彼はそれ以降部活に顔を出すこともなく、ひっそりと卒業をしていったと人づてに聞いた。

 要するに、騙されていたのだった。優しい仮面に、甘い嘘に、幻想を見せられていたのだった。やっと運命の人に出会えたのかもしれない、と淡い期待を抱いたのが馬鹿だった。端役はずっと端役。それを痛感した。

 ただ、失ったものばかりではなかった。あの後、かなでと二人で話しをして、何があったのかを互いに全部ぶちまけた。

 かなでは気が付いていたのだ。実花に近づきながらも、自分に嫌な視線を送ってくる三宅を、要注意人物だと今までの経験で感じていたらしい。ただその感覚的なものを伝えるには、まだ仲が良くなかったし、言葉が巧ではなかった。それでなくとも、今度こそは、と笑う友人に「嫌な感じがするから離れたほうが良い」なんて言いづらいことこの上ない。実際、この同期会の前日に、三宅から自宅へ遊びに来ないかと連絡があったらしい。友人の彼氏なんだから何を警戒する必要があるんだと、電話口で言われたそうだ。かなでいわく、「行くわけないでしょ? 寝言は寝てから言って下さい、ってぶち切ってやったわよ」だそうだ。

 実花は、気まずくなってしまったと思っていたかなでが、自分を大切に思っていてくれたことに、微かな感動を覚えた。あの時、実花の代わりに怒ってくれて、ジンジャーエールをかけてくれて、嬉しかったのだ。

 それ以降は、実花とかなでは出会った頃よりもずっと仲が良くなった。口論することもあれど、互いに言いたい事はきちんと言うと決めたからか、大きく揉めることもなかった。実花は、かなでが確かに「主役」になり得る人物だということを認めていたけれど、彼女はそれを鼻にかけるそぶりすらなく、一緒にいてとても楽だった。だから、偶然就職先が同じ場所になった時は、すごく嬉しかったんだ。


*****


 ピピピ、ピピピ、というアラーム音でゆっくりと意識が浮上する。オートでかけていたアラームが、今日もまた規則正しく実花を起こしてくれた。

「最悪だ……」

 やはりというかなんというか、走馬灯のような夢を見てしまったせいで疲労がひどい。昨日はあのまま眠ってしまったし、シャワーでもあびてしゃんとしなければ。どんなに嫌な事があろうと、今日も仕事なのだ。

 かなでには、今度一緒にご飯へ行く時にでも話そう。三宅は、部内で居場所がなくなったこと、卒業制作に最後まで関われなかったこと、それら全ての原因が実花とかなでにあるとでもいうかのように、卒業後も二人の愚痴を吹聴して回っているそうだから。公衆の面前で、十も年下の女の子にジンジャーエールをかけられたことも、相当根に持っているみたいだし。全く、自分に非があるという事に気が付いていないからタチが悪い。

 昨日のような嫌味を、実花だけでなく、かなでも言われる可能性は十分にある。彼がたまたまあのオフィスビルに現れたのか、今後もまた現れる可能性があるのかは分からないけれど。

「はぁ……。とりあえず、シャワー、だね」

 シャワーを浴びることを考えれば、弁当をつくる時間はなさそうだ。普段ならば前日にやっておく下準備も一切していない。今日くらいは、手を抜いてどこかで買ってしまおう。

 今日はもう、会いませんように。

 小さく祈って、床に散らばった衣服を拾い上げた。

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