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デザートにはティラミスを

 あの怒濤の一日からはや数日。定時を少し過ぎて、コンビニでも行ってこようと席を立てば、実花のもとには一件のメッセージが届いた。

 この前は本当にありがとう。今度ぜひお礼をさせてください。良ければ、またご飯でもどうかな。

 陸斗から届いたメッセージは普段よりも簡潔で、おや、と少し不思議に思ったが「会議が続いて少し後になってしまうかもしれないけれど」と、すぐさま送られてきた文章で納得した。

「ぜひ、行きたいです、と」

 エレベーターに乗りながら、ぽちぽちと返信をする。

 でも、忙しいだろうしなぁ。

 それでなくとも母親の入院ということで、長男としては慌ただしく働いていただろう。あの時は非常時だったし、実花とて好きであそこまで付き合ったのだ。それなのに、お礼と言ってわざわざ時間を作ってもらうのは申し訳ない。お礼と言うならば、ああやって久々に大勢で食卓を囲んだあの瞬間で十分なのに。

 食事には行きたいけれど負担にはなりたくない。そんなニュアンスをどうやって伝えようかと思案し、ゆっくりとメッセージを打っていく。

「でも忙しいだろうし気にしないでください、って、わっ」

 送信し終わった所で、二つのメッセージに既読がつく。てっきり忙しくてすぐに見ないと思っていたからゆっくりと返信していたのだが、なんとか二つ目を送ってから既読がついたことに安心する。

「え……」

 ヴヴッという小さなバイブ音とともに新しく表示されたメッセージを見るなり、実花は思わず小さな声を上げてしまう。驚きのあまり、エレベーターを降りるときに、並んでいた人と肩がぶつかってしまった。

「あっ、すみません」

 特になにも言われなかったことをいいことに、顔を上げずにそう言って足早にビルの出口へと向かう。だってきっと今の私は緩んだ顔をしてしまっているから。

 俺が一緒に行きたいから、行かせて。

 それは遠慮した実花を気遣っての言葉だったのだろうが、実花の心臓を跳ねさせるには十分だった。そこから続けざまに送られてくる「一緒に食べるの、俺も楽しいし」という言葉に、緩んだ頬はなかなか締まらない。

 なんだこれ。

 スマートフォンとお財布を持った両手で、化粧が崩れることもいとわず頬を押さえてしまう。彼はきっと忙しい合間に打っているのだろう、細切れに短い文章がぱらぱらと送られてくる。それらを見るたび頬が熱くて。どうしよう。

 いや、実際にはどうすることも出来ないし、突然の出来事に脳内がオーバーヒートしている実花が出来ることいえば、コンビニで買おうと思っていたコーヒーをホットからアイスに変更する程度なのだけれど。それにしたって、こんな、勘違いしそうになることを突然やるのはやめてほしい。

 ふと、エレベーターで陸斗に呼び止められた後の、かなでの言葉がふいに蘇る。

 少なくとも、興味をもってもらえたってことでしょ。

 確かに、あれから色々あって食事に行くようになって、緊急事態といえど実家にも行った。全く興味を持たれていないとはさすがの実花も思わないが、それがそっち方面のベクトルに由来しているとは限らない。

 勘違いしちゃ、だめだよ。

 短いながらも一緒に過ごしてきて、実花の中で陸斗の存在が大きくなっているのは自覚していた。家族思いで、仕事にも一生懸命。美味しそうにご飯を食べて、時折見せる年相応の笑顔に胸は高鳴る。それが一体何を意味しているのか、気が付いていないわけではないけれど、この感情に名前を付けてしまうのは、怖い。 

 今まで生きてきたなかで経験したことを、忘れたわけじゃない。ひとつひとつは別に大したことではないけれど、何度も積み重ねればじわじわと心を蝕んでいく。

 あぁ、物語の主役になれる人は限られていて、私はそうではないのだと。

 傷つかないように幾重にも張った予防線。気が付いた時には、一番外側のそれらよりも少し内側に入りこんで笑っていた彼。別にそれ自体は嫌ではなくて、むしろ新鮮なドキドキは心を震わせる。

 まだ、大丈夫だよね。

 まだ近づいても大丈夫、心を許しても大丈夫、そう自分に言い聞かせる。いざとなったら撤退出来る様に、退路を残しておくことは忘れずに。

 あんまり返信しないと変に思われちゃうよね。

 予防線を張っていたとしても、失礼をするのは良くない。感情の名前は置いておいたとしても、実花が彼を好ましく感じていて、彼と友好関係を築きたいという気持ちには変わりはないのだから。

 コンビニに向かう途中、なにか良い香りが鼻をくすぐった。通りにあるファミリーレストランの換気扇がそこの路地にあるのだろう。その香りに、そうだ、とふとある提案を思いつく。これならば、忙しい陸斗の負担を少しでも減らせるかもしれない。

「今度は、私がオススメのお店に行きませんか?」

 普段は陸斗に連れて行ってもらってばかりだったから、今度は自分がお店を探してみよう。香りにつられて丁度脳内に浮かんだのは、いつだかかなでと一緒に食べた熱々のプレート。最近行っていないし、何だか食べたくなってきた。

 バイブ音と共に表示されたのは、予想通りの「お礼なのに申し訳ない」という意味合いの文章だった。「最近行っていないので、一緒に行ってもらえると嬉しいです」と返して何度かやり取りをすれば、結論として、実花がオススメするお店に行くということになった。

 一緒に食事に行くことくらい、友人関係でも十分あるから。

 メッセージアプリを落としてから、誰に対してか分からない言い訳をして画面を暗くする。

 そういえばあのお店の名前はなんだっただろう。外観やメニューは鮮明に思い出せるのに、名前がなかなか出てこない。インパクトのある名前だった気がするのだけれど……。

 まぁ、明日かなでに聞いてみれば良いか。

「なんとか峠は越したの!」と仕事の山場が越えたらしいかなでに呼び出され、明日は終業後に飲みに行く約束をしていた。その時にでも彼女へ聞けば良いやと、実花はコンビニへと向かう足をはやめた。


*****


 翌日、かなでに呼び出されたのは会社からいくつか離れた駅だった。黙って付いていけば、到着したのは見慣れないイタリアンバル。普段呼び出される居酒屋よりもこじゃれていて、珍しいな、と思う。

「ここのアンチョビポテトが食べたくて仕方ないのよ」

 実花の心を見透かしたかのように、かなでは席につくなり口を開いた。

「ガーリックが効いた料理も食べたいのに、次の日も朝から仕事だと思うと食べられなくて。やっと、事後処理が終わったの。まぁ、小さな事は残ってるけど大したことじゃないし、それに今日は金曜日で明日は休み!」

 食べるわよー! と手を高く挙げたかと思えば、かなではどんどんと注文をしていく。その姿に苦笑いをしながらも、久々のかなでとの食事はずっと楽しみだったのだ。勢いに負けないように、実花はドリンクメニューに手を伸ばした。



「そういえばさ、あのお店って何ていうところだっけ」

「あのお店?」

 アンチョビポテトに牡蠣のアヒージョ。マルゲリータにペペロンチーノ、ローストビーフ。女子二人で食べるとは思えないような量の料理を前に、実花はふと聞こうと思っていたことを思い出した。

「前にかなでがハンバーグを食べに連れていってくれたところ」

 以前、「今日は肉よ」と終業後に呼び出されたのは、かなでが独り暮らしをしている最寄り駅の路地裏にある、小さなハンバーグ屋さんだった。

 普段ならば気にもとめないような小さな佇まいで、木製の重たいドアを開ければ、途端にハンバーグの良い匂いが漂ってきたことを覚えている。

 ふむ、と少し考えたかと思えば、かなではローストビーフをぱくりと口に運ぶ。むぐむぐと噛みながら、どうやら思い出したようで、ごくりと飲み込んでから口を開いた。

「あぁ、肉の森小屋」

「……そんな名前だったっけ」

「そうよ。変な名前だなぁって気になって、それで実花を誘ったんだもん」

「え? 行ったことないお店だったの!?」

「だって一人で行って怪しいお店だったら嫌じゃない」

 いけしゃあしゃあと笑いながら述べるかなでに何も言えなくなる。そういえば彼女はこういう人だった。

「でも急にどうしたのよ。また行きたくなった?」

 今度はそこに行こうか、なんて、レモンサワーに沈んでいたラズベリーを器用にストローで掬いながら彼女は言った。

「あ、うん。でもそうじゃなくて。実は――」



「はぁ!? えっ、なに? いつの間にそんな事になってたわけ?」

「ちょ、かなで、声が大きい」

 突然声を荒げたかなでに、チラチラと店員が視線を投げ掛けてくる。陸斗の実家の話は伏せて、何度か食事に行ったことや今度また行くことを伝えれば彼女は相当驚いたようだ。店員に実花が曖昧な会釈を返せば、彼女はわなわなと震えていた。

「なんでそんな面白そうな事になってるのに何も言わなかったのよ……」

 まるでジョッキのような勢いで細身のグラスに入ったレモンサワーを飲めば、彼女は幾分か落ち着きを取り戻したようだ。

「だって、かなで忙しそうだったし。それに、トントン拍子で進んじゃって」

 最初はかなでに相談しようかと思ったのだ。ただ、彼女が忙しそうだったから気が引けてしまっただけで。 それに、あっという間に話が進んでしまって、気が付けばここまで来ていた。

「ふぅん。まぁ、実花が楽しそうなら良いんだけどさ」

 にやにやと面白そうな顔をされるかと思えば、かなでの表情は穏やかだった。

「それにしても一条さんねぇ……」

「……なによ」

「いや? 意外だなぁとは思ったけど、ちゃんとチャンスを掴んだようでなにより」

 くるくるとフォークでペペロンチーノを巻きながら彼女はつぶやいた。

「え? いや、別にそういうわけじゃ……。友人というか、一緒にご飯を食べる仲というか」

「話を聞いている限りそれだけじゃない気もするけど。ま、仲が良いのは何より。気をつけなさいねって言いたいところだけど、あまり気を張りすぎないようにね」

 気を張りすぎると美味しいものも美味しくなくなるでしょうよ、という言葉に、実花は曖昧にうなずくことしかできなかった。

 かなでは大学時代からの友人で、大学時代に、そしてそれより昔に実花に何があったのかも知っている。知っていて、なお、それをきちんと怒ってくれた、唯一の人物だ。だからきっと、実花が臆病になっているところまでお見通しなのだろう。

「もし何かあったら、また話を聞いてくれる、かな」

「当たり前でしょ? 何年友達やってると思ってんのよ」

 過去を振り返っても、その手の話題に関しては特に実花は話下手になってしまうし、そもそも聞いていて気持ちの良い話ではないだろう。それにも関わらず、毎回親身に、そして時に厳しく叱咤激励してくれる彼女がありがたい。

 美味しいラーメンとセットでね、と豪快に笑った彼女は、いつの間にか新しく運ばれてきていたウーロンハイをぐっと飲み干した。

 それで少し重たい話はひと段落し、しばらく二人で和気あいあいと飲み食いをしていた。

「……そういえばさ」

「うん?」

 お皿にこんもりと盛られていたはずのアンチョビポテトが残りわずかとなった頃、かなでは何か思い出したように口を開いた。実花がこてんと首を傾げれば、彼女はうーんと少し考える素振りをしてから、かぶりを振る。

「……いや、やっぱ何でもないわ」

「そう?」

 アルコールが回ってふわふわとした頭では、その時のどこか不自然なかなでの様子をあまり気にすることはなかった。すみませーん、とかなでが手を挙げて店員を呼ぶ。もしかしてまだ飲むつもりなのだろうか。容姿に似合わずかなり酒に強い彼女をすごいなぁと思いながら、実花はそろそろデザートが欲しいなぁなんてメニューを見つめていた。

 イタリアンの最後には少しほろ苦いティラミスが食べたいなぁ、なんて思いながら。

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