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第二話「信じれば」 4

4.

 胃の辺りを押えながら、教室の前で待つ。どれだけ練習を重ねようと緊張は付いて回る。

 いよいよクラスの面々との顔合わせだ。

 先生がやってきて、それに続いて教室内へ入った。視線の雨あられを掻い潜り、今すぐにでも逃げ出したいことだろう。

 先生は黒板の中央に如月の名前を書き、自己紹介をするよう催促した。

 ずらりと並ぶ顔から僅かに視線をずらし、その少し上を見ながら声を発する。

 以前のいた街と高校名を言ってから、名前を言おうと画策していたが、初っ端で噛んだ。笑われれば、緊張の一つも取れたことだろう。シンと静まり返る中、終始、肩に力を入れることとなる。

 先生の指示を受けて、最終列の窓際の、教室全体が見渡せる席に座る。机間を移動した際、生徒の顔など見れていない。

 先生の話し声も耳には届かず、首すじの辺りを一滴の冷や汗がなぞった。せめてこれ以上、失敗を犯さないよう、じっと体を固めた。

 先生の挨拶が終わると、男子女子関係なく、何人かが如月の席に集まってきた。

 これには如月も目をぱちくりとさせる。

 部活に入らないかとか、前の街の様子はどうだったかとか、さっき噛んだよねとか、ひっきりなしに言葉が飛んできて、それに一つずつ答えようとした。

「授業が始まるから席に着いた着いた。如月くんだって困っている」

 わたわたとしている如月の、隣の席にいた生徒がそう言う。すると、人だかりは散り散りとなっていった。

 雑踏に紛れて、フーキイーンチョーがフーキイーンチョーが、と今度は愚痴が飛ぶ。

 フーキイーンチョーと呼ばれる女子生徒は、愚痴の元を、キッと睨んで一蹴した。

 その目は青色をしており、他の生徒とは違う。

 女子生徒が如月の方を向くと、肩で切りそろえられた髪をふわりと浮く。海底のように、深い青色が如月の目にも映った。

「私は冨田伊佐美。よろしく」

 白い手を差し出されたので、如月は握手を交わす。

「よろしく、冨田さん」

 授業合間の休み時間には、一人一人と話をすることができた。



 午前の授業が終わり、昼食の時間になると、今度は誰よりも先に冨田が声をかけた。

「授業の方はどう?」

「大丈夫そうです。ついてはいけそう」

 冨田は机の上の弁当を開くこともせず、姿勢正しく如月に体を向ける。

「まあ私が聞くようなことではないんだけどね。隣になったのも何かの縁、困ったことがあったらぜひ頼りにしてほしい」

 フーキイーンチョーが転校生を誑かしている、とどこからか飛んできた囃し立てに、瞬時に反応しては教室全体を鋭く睨んだ。

 それからため息を吐く冨田に、照明は苦笑する。

「見ての通り、今年から風紀委員会の会長を任されていてね。活動は校内の見回りや持ち物検査など、平たく言えば学校の犬。だから、皆バカにしてくる」

「バカにしているわけじゃ、無いとは思いますけど」

「からかわれるのが私一人なら構わないんだけど……」

 冨田はそう言うと、如月の視線の先に気付く。

「もし、迷惑じゃなければ一緒に食事をしてもいい?」

「こちらこそ。一人じゃちょっと心細かったから、ありがたいです」

 机を合わせて、冨田は辰巳の隣に座った。

「弁当とか持参しているのかな」

「はい。学食とか購買もあるって聞きましたけど、一応は」

「200円だけ常備しておけば、うどんそばパンで昼はどうにかなるよ。私も今日はお弁とっううっ?」

 語尾が吊り上り、なにかと思えば生徒が一人、弁当を取り出す冨田に抱きついた。髪の長い女子生徒だ。その隣には一人の男子生徒が付き添うように立っている。

 冨田は慌てていたが、抱きついてきた人物の顔を確認して、安堵の息を吐く。

女子生徒の方は、運動部か文化部か初見では区別できない中肉中背である。ポニーテールを揺らして、ぐいぐいと頬ずりしていた。

「いさみー、はらへったー」

「早弁してたのはどこのだれ」

「めぐんでくだちー」

 分かった分かったかた、と冨田が小動物をなだめるように応じると、すぐに近くの椅子を引っ張ってくる。

「ありあり。テンコーセーくんも、なにか恵んでくれるとありがたやー」

 椅子に座って前のめりになりながら、女子生徒は如月に話しかける。

 仲睦まじい様子の傍観者となっていたものだから、如月は慌てて目を逸らす。

 逸らした先には付き添っていた男子生徒がいた。足を肩幅に開いて立ち続け、長身を活かして、じっと如月のことを見下ろしていた。

 値踏みするかのような眼差しに、呼吸を忘れる。

 目が合うなり、男子生徒は一息を吐いて、何事もなかったかのように女子生徒の襟を掴んだ。

「止せって。困ってるだろ」

「ぐえー」

 女子生徒に向けられた目も、鋭いものだった。そういう目付きのようだ。

 照明はぽりぽりと頬を掻く。

「えっと」

「船山渡。こっちが安部宮子。まあ、このクラスだけでも四十人はいる。名前は後からで構わないから、せめて顔だけでも覚えておいてくれ、キサラギくん」

「フナヤマくんにアベさん」

「で私が冨田」

「うん。えっと、じゃあ改めて。如月満です。これからよろしく」

 船山と安部の二人も加わり、弁当を開ける。

 食事に手をつける前に、如月は尋ねた。

「三人とも、仲いいみたいだけど、昔からの知り合いだったりするんですか」

 返答の代わりに安部の手が、如月の弁当へ伸びる。狙いは生姜焼きの肉であった。

バイトの度に、焼肉屋で貰っている肉は、こうして弁当に入れてくることにしていた。取られて困るようなことも無いので、つつっと弁当ごと前に出すと、先に船山のチョップが安部の頭を撃つ。

 質問には船山が答えた。

「俺とコイツは家が近所で小学校から、伊佐美とは中学からだな。中学からで言えば、他にも顔なじみは多い」

 クラスの中だけでも、と付け加えて、離れた場所で食事をしている男女何人かを指差す。

 如月は指を追ってその顔ぶれを見ていく。気が付いて手を振ってくれた人には軽く会釈をして、それから冨田と向かい合う。

 青い瞳は周りと比べて、ひときわ異彩を放つ。

「? どうしたの……ああ、私のこれか」

「お前のそれだろ」「それだねー」と、冨田の言葉に二人が続いた。

 目下を指先でつつき、ため息交じりに言う。

「クォーターなんだ。母がスペインと日本人のハーフ」

「きれーな目で顔も整っていておまけにスタイルもいいから、中学のときはモテモテだったよねー。いまはそんなでもないけど」

「俺も振られた。今思えばなんで好きになったのかって感じだが、まぁ物珍しかったんだろうな。廊下歩くたびにきゃーきゃー言われていてよ」

「それは言い過ぎ。私はパンダか」

 もう慣れたとでも言うかのように、冨田は苦笑してみせた。

 今度は二人に目を向けて話題を変える。

「冨田さんは風紀委員って聞いたけど、二人も? あ、なんか聞いてばかりですいません」

「別に構わんよ。俺ら二人は風紀委員じゃなくて生徒会役員だ」

「ういうーい。なぞの権力を持つ生徒会でーす」

「謎の」

「うん。なぞの。ごめんうそ、そんな権力ない。あればいいなーって。かいちょーになれば学祭である程度、横暴は効くんだけど」

「いやいや、融通でしょ融通。勝手は風紀委員が取り締まります」

「いさみんおうぼーぶーぶー」

 安部は頬を膨らませてパック牛乳に口をつけ、ずるると勢いよく飲んだ。

 具合が良い三人組であった。

「ところで如月くん、ご飯は食べないの?」

 冨田の忠告に、急いで箸を持つ。

「そのお肉って、あそこ。駅前の焼き肉屋のお肉?」

 なにやら話をしている船山と安部を余所に、今度は冨田が問う。

「ん? そうですけど、よく分かりますね」

「その匂い、好きなんだよね」

「元々貰いものなので、よかったらどうぞ。これからお世話になるだろうし」

「いいの? じゃあ遠慮なく」

 箸を伸ばし、一口分だけ貰っていった。

 小さな口に入れて、目を閉じ、静かに咀嚼する。

 品のある食事の様子から如月は目が離せなくなっており、胸の内で一人頷く。

「やっぱりおいしいね。うん、ごちそうさま」

 音も無く嚥下し、一言漏らす。満足したようだ。

 横から安部の手が伸びてきて、また船山が阻止したところで如月も食事に集中した。

 代わりに貰った塩気の効いたトマトが、口いっぱいに広がる。



 一日の授業が終わり、教室で一人、如月は本を読んで待っていた。

 冨田が風紀委員の集会から戻るまで、しばらく時間がかかるようで、そのあとは校内の案内と部活動の見学に付き添う約束をした。

 これから休日以外毎日のように顔を合わせるのだから変に断るのも無粋に思い、了承したのだが、口の中が乾く。

 冨田の容姿は綺麗であった。綺麗な上に品があり、気づかいもできる。女性慣れしていない如月に、意識をするなと言う方が無理だ。

 最後に教室を出る前に挨拶をしてくれた生徒も、三人の女子生徒であった。

 活字から目を離し、緋色の教室内を見渡して気を紛らわす。

 いやに静かな空間が、視界から思考を乖離させた。

 少しの間。ほんの少しの間であった。学校という、教室という場所からその身を退いていたため、学生であることを忘れてしまいそうになっていた。今こうして、机に座っていることで、以前は幽霊であったのでは、と考えてしまう。

 ――幽霊であるべきだった、とも考える。

 ――あの日の電車に乗って。

「如月くん、ごめん。いつもはこんなに長くないんだけど」

 その声に振り向いて、地に足をつけて立ち上がった。

 落ち着きを取り戻す。如月の目には、冨田の姿が映し出されていた。

 青い瞳も影の中では色褪せる。身体の線も影との境が曖昧になる。

「それじゃ、行こう。どこから行こうか」

「一応、校内は見て回ったことがあるから、部活動の案内だけ、お願いします」

「分かった。じゃあ今日は文化部の活動を見に行こう」

 歩き出す冨田のあとに、ついていく。



 二人は吹奏楽部、美術部、写真部、パソコン部、囲碁将棋部、と順に見て回った。日はどんどんと傾いていき、西の山に差し掛かっている。

「天文部もあったんだけどね。五、六年くらい前に無くなっちゃったみたい」

 囲碁将棋部の活動していた第二校舎の部屋から、二人の教室がある第一校舎へ移動している最中、物憂げな表情で冨田は口にする。

「好きなんですか、天文」

「私? 私はあんまり。星を見るのは好きだけど」

 そう言って一番星の方を向いた後、後ろ歩きで如月の方を向く。

「星って言えば、知ってる? 南十字が日本からでも見られるってこと」

「北半球にいるのに見えるんですか」

「流石にここからは無理。石垣島や宮古島、先端諸島からだけど」

「それでも随分とその、遠いですね」

 階段に差し掛かり、綺麗に回って前を向き昇っていく。軽やかにステップを踏み、踊り場から如月を見下ろした。

「信じれば、南十字でまた会える」

 語呂良いよね、と付け加えてはにかむ。

 如月は、足を階段に乗せたところで止まった。

「それは誰かの詩?」

「私の、好きな人の口癖だったよ。七夕伝説や月のうさぎの小話、青色はぐれ星や五つの準惑星の知識まで、色んなことを語って聞かせてくれた人。って、こんな話、どうでもいいよね」

「そこで切られたら、逆に気になりますね」

「はは、如月くんから何か恥ずかしい話を聞けたのなら、言ってもいいかも」

 如月も踊り場に上がった。冗談は得意ではないが「俺は幽霊です。友人にはトイレの花子さんがいる」と言った。

 言ったような気がした――そう思ってしまいたいくらい、目の前の、女性の様子は一転する。ぴたりと銅像のように固まり、視線が鋭いものとなる。

「ねえ、幽霊ってどういうこと」

 ばっと突然、動き間合いを詰めてきて、如月は壁に追いやられる。その体は、ほぼ密着し、見上げる瞳に釘付けとなった。

 丸く青かったはずの瞳孔が、猫のものと同じように徐々に「I」の形となり、色が抜け月のような白さが残る。夕日に当てられてもいないのに、眼球の端から赤みを帯びていく。

「え、いや冗談ですよ。気に障ったのなら、すいません」

 急いで謝罪をするが、離れる様子はない。

「でもさ如月くん。キミがこの町に来たのってひと月くらい前だよね」

「そう、だけど」

 如月の両腕は掴まれ、背中と同じように壁へ押し付けられる。それは女性の、ましてや華奢な冨田の腕からは想像もできないほどの力であった。女性独特の鼻をくすぐる香りや押し付けられる豊かな胸部を気にする余裕はない。

 冨田は、腕っぷしの強い大工にも負けないであろう力で抑えつけながら、囁くように息を混ぜながら言った。

「その時からなんだよね。丁度、時期が合う」

「なに、一体、なにが」

「人がいなくなり始めてるのって」

「は……?」

「キミのこと、知っている人は知っている。悪い意味で時の人だから、少し調べれば分かってしまう。多くの人がうわさし、同情するだろう。私もする。でも、それとこれとは話が別」

 如月は唾をのみこんだ。縫われたかのように、口が閉じてしまった。

 冨田は如月の秘密を知っていた。冨田の言う通り、ネットで検索したり、新聞を読んだりすれば、あらかた見当は付く。

 そしてそれは、如月が転校してきた根本となる要因だ。

 けれど冨田の言うことは、整合性のないものだと如月は認識する。

 人がいなくなったとは、どういうことか。


「もしかして、キミは、本当に――」


 尋問は続くかのように思われた。

 上の階から話し声と足音が聞こえてきて、勢いよく身体を離す。

 如月は壁に背を預け、小刻みに震える足でその場に立ち続けた。

 その様子を青色に戻った目で一瞥してから、冨田は上から来る人たちに挨拶をする。

「お疲れ様です。鳥羽先生、生徒会長」

 ウバと呼ばれたスーツの男は、清潔感のある短い髪を掻きながら降りてくる。

「普段から品行方正でも、校内での不純異性交遊は見逃せん」

「そんなんじゃありませんよ。転校生に校内を案内していただけです。ね、如月くん」

 先ほどまでとは違い、笑顔で振りむいてきたものだから、如月は思わず目を逸らす。人に隠しておかないといけない姿であったことが、今の立振る舞いからも分かる。足の震えを必死にこらえ、現れた二人が離れて行かないことを願った。

「烏羽先生の方こそ、こんな時間まで女子生徒となにをしていたんでしょうか」

「大人をからかうんじゃない。さっきまで生徒会の数人と一緒に、来月に行う生徒総会での確認事項を――」

「如月さん?」

 鳥羽の後ろにいた生徒が顔を出した。冨田に生徒会長と呼ばれた女子生徒だ。

「はい……あ、田中、さん?」

「やっぱり。そうです田中です。また会えてうれしいです」

 胸の前で手を合わせ、にこりと笑顔を見せる。

「はあ、どうも」

 以前に図書館で出会った田中だった。メガネをかけていないためか、少し幼く見える。

「お久しぶりです。今日から授業を受けたんでしょうか? 授業の方はどうでした?」

「えっと、ぼちぼちです」

 口から言葉が紡がれる度に、一歩一歩と詰め寄られ、先ほどの冨田に押さえつけられていた時と同じように壁と背中がキスをする。

 一度、顔を合わせたきりなので、やけに親しげな態度には動揺を隠せない。

「ぼちぼちでしたか。なにか分からないことがあったらいつでも頼りにしてくださいね。私ももうすぐ卒業ですが、この学校を好きになってもらえるよう尽力いたしますので」

「頼りにさせてもらいます」

「それと気になったことなんですけど、如月さんは今、伊佐美さんの案内で校内を巡回していた、ということでよろしかったでしょうか」

「そう、なりますね」

「ついこの間、頼ってくださいと言ったばかりで、了承もしてくださったのに、なんだかちょっぴり悲しいです」

「あ、なんか、ごめんなさい」

 了承した覚えはないが押しに押され、つい目を逸らした先には、冨田が腰に手を当て呆れた様子で立っている。烏羽も蚊帳の外で、ため息を吐いていた。

「田中先輩。近いです」

「すいません、すいません。メガネが無いと顔もよく見えないものですから」

 両手を前に持ってきて、距離を取って事なきを得る。

「なんだか先輩と呼ばれたのは久しい気がします。良いですね、先輩という響きも」

「生徒会長。烏羽先生が困っています」

「そうでしたそうでした。先生、待たせてしまい申し訳ありません」

「それはいいんだが、相変わらず大人しいのか、やかましいのか、分からんやつだな」

「話すのも、聞くのも、好きなだけです」

 烏羽と田中が階段を下りて行き、再び踊り場には二人だけとなる。

 如月は恐る恐る冨田の顔を覗く。

 影で見えづらいが、その目は青色を取り戻していた。

「そうだよね。キミにも今この時の生活がある。普通に友だちを作って、話をして、遊んで、笑って、そういうモノがキミにはある。キミも紛れもない被害者の一人なんだから」

 冨田は目を伏せ、それから頭を下げる。

「ごめんなさい、勝手な真似をして。それと、都合のいいようなことだけど、さっきの事は忘れてもらえると、助かると言うか……」

 自己完結したようで、謝られても如月にはさっぱりだった。わけを聞こうにも聞けず、怒ることすらできない。

 しかし、不明瞭な体験は以前にも覚えがある。

 田中と会い、一呼吸置けたからか、冷静でいられた。

「冨田さんにとって、俺は害を成す存在かもしれない、ってことなんですね」

「それはその……憶測でしかないから、あまり気にしないで。その様子だと本当に自覚もなにもないみたいだから」

「いいんです。一度は人の目から逃げてきたんですから、今度はちゃんと向かい合うべきなんだって、思います。冨田さんにも信じてもらえるよう、なんとかやってみます」

 具体的な案はまだ出てこないが、啖呵を切る。

 教室に戻り、鞄を手にした時、ひらりと一枚の紙が床に落ちた。如月が拾い上げると、そこには「電」「車」「事」「故」「ウ」「ラ」「む」と新聞か何かの記事から切り抜かれた文字が、張り付けられていた。



 如月の父が運転していた電車が大勢の客を連れて脱線事故を起こしたのは、今から半年ほど前のことだった。

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