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第二話「信じれば」 3

3.

 如月が焼肉屋に顔を出すと、皿洗いを任される。それくらいならと如月も二つ返事ですぐに取り掛かった。

 途中、蛍光灯の光を返す皿に手が止まりそうになりながらも、冷たい水で眠気も飛ばして洗面台の前に立つ。

「おつかれー。ごめんね、まだ正式に雇っていないのに」

 気が付けば、閉店の時間だ。

 如月も最後の一枚の皿を洗い終えて、蘭の方に向き直る。

 蘭もバンダナを取って一息吐く。

「おつかれさまです」

「なんか、あれですね」

 うんっと頷いて腕を組んでみせた。

胸が出っ張り、如月は目のやり場に困ったので冷えた手を揉みながら聞き返す。

「あれって?」

「はい。わたしたち同い年じゃないですか。それなのになんで敬語なんでしょう」

「そう、ですね」

「はい敬語。ブー。ダメです。1ペナです」

 指をさすものだから、如月は苦い顔をする。

「罰があるんで……あるのか。そういうキミだって敬語だろ」

「私は淑女なのでセーフです」

 腕を解いては左右に広げる。

「淑女て」

 如月の視線は、やはり強調される胸部ではなく、その少し上へと誘導させられた。蘭の後ろには無骨な顔と、振り下される直前の拳があった。

 その頭頂部を叩いたのは、蘭の父親だ。鈍い音に続いて、「あいたっ」と小さく悲鳴を上げる蘭を余所に、如月の前に立つ。

「今日はありがとうな」

 如月の返事を待つことなく、小包を押し付け、すぐに立ち去った。

「あ、ありがとうございます」

 如月は咄嗟に大きな背中へ向かって礼を言い、それから頭を押さえる蘭の様子を伺う。

「大丈夫か?」

「いったいんですよねー。口じゃなくて手を出してくるなんてひどいと思いません? もっと話し合いプリーズ」

「バカやってんな、ってことか」

「ただでさえ口数少ないのに……って如月くんも私のことバカだと思ったんですね! ひどい! お肉ボッシュー!」

 涙目で手を伸ばす蘭だが、小包は上へと持ち上げられ、届きはしなかった。

「まあそれはどうでもいいから、他に片付けは無いか?」

「どうでも……うん。もう後は、電気を消して退散するだけです。お客さんがあまり来ませんでしたし、それに如月くんのおかげで、ぱっぱと片付けることができましたので」

 二人も店を後にして、外へ出た。

 夜風が頬を撫でるように吹き、肉の焼ける臭いを攫っていく。

 如月は空と、それから散りばめられた星々を仰ぎ見る。もう本数もない電車の道を行く音に、耳を傾けて駅の方へと視線を向ける。

「よかったら、お父さんに送らせましょうか? それとも私が送りましょうか?」

 店前の道にある電灯を頼りに、影の中にいる蘭の姿を眼で捉えた。その顔に涙はない。

「それは悪いよ。それに夜道にも慣れておきたいから」

「バイト続ける気マンマンですね! シフト票作っておくので明日にでも来てくれればお渡ししますので! しますので!」

 蘭は如月に近づいて、ぐっと胸の前で両拳を握りしめた。

「ぐいぐい来ないでほしい」

「ええ!? ご、ごめんなさい」

「いや、近い」

「ああ、ごめんなさいっ。臭いますよね」

 蘭は距離を取ってから、裾を摘まんで臭いを嗅ぐ。

 ぺろりと服がめくれてへそ丸出しなので、如月は余所を向いて言った。

「……あのさ、聞いてほしいんだけど」

 如月はそこで口を閉じた。先にある暗い夜道を見て、背すじを震わせる。

 鏡の中に囚われたことを話そうとしていた。

 しかし、人に話していいことなのか、なにかよからぬことに巻き込んでしまうのではないか、とそんな疑念が喉を締めた。

 稀有なものでも見つけたかのような視線を蘭から向けられ、我に返る。

 へそも、そこを伝う汗も、もう服に隠れた。

「お給金は、弾んでくれるとありがたい」

「まっかせなさーい。うちはそこいらのバイトよりもいいですよ。お父さんが趣味で開いているので、お客さんにもバイトさんにも、サービス精神旺盛なんです」

「そうか。いろいろ至らない点もあるだろうが、指導してもらえると助かる」

「はいっ、こちらこそよろしくお願いします」

 如月は小包を手に、夜道へと歩き出す。

「また明日ー」

 辺りに人影が無いとは言えども暗い夜道、自然と早足になった。

 肉が入っているらしい小包を手にぶら下げ、犬の吠える夜道を歩いて、また家に戻る。

 玄関の灯りに、小さく息を吐いた。

 父は帰りを待っていたようだった。

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