第二話「信じれば」 1
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鏡の中と言っても、左右が反転しているとか、おぞましいものが這いずり回っているとか、そんなことはない。
如月は手洗い台に手を突いて、ぽかんと鏡に映る自分の顔を見ていた。口を半開きにして、いかにもな間抜け面をしている。
鏡の中から腕が出てくるだけなら、すっ飛んで逃げるくらいの反応はできただろう。
如月は鏡に手を触れる。
しかし、何の反応も得られない。声は聞こえないし、波も立たない。
そもそも、鏡の中とは一体なんであるのか、皆目見当もつかない。
辺りを見渡す。
窓の外が白い光に包まれていること以外は、トイレに来た時と変わっていない。
先ほどまで外はまばゆいオレンジ色に染まっていた。
白昼夢の可能性は消える。あまりに現実味を帯び過ぎている。
しばらく、足が震えて身動きが取れなかった。
鏡を見ることも避け、頭を抱えて座り込む。
どれくらいの時間が経過したのか。ケータイを見ても画面は消えていて、今が何時何分であるのかも確認できない。
外の光は、気が狂ってしまいそうになるほど白いままだ。
如月はおもむろに立ち上がって、鏡に話しかけた。ふと、思いついたのだ。
「おい。そろそろ出してくれ。お前はちょっとと言ったはずだ。自分の発言にくらい責任を持て」
鏡に入る前になにがあったのか。
鏡に入る前に聞いた声があった。頼みの綱はそれしかない。
その声の主に鏡の中に入れられたのは、間違いない。
声は裏返るが出しきる。鏡を叩きもした。
「おい、おい! 出せよ! そこにいるんだろ!」
自然とその声は荒くなり、手には汗が滲んでいく。
叩いて叩いて、ようやく反応が得られたときには、安堵の息を吐いた。
「まてまてまて、なにやってる。割るつもりじゃないだろうな」
鏡は揺らぎ、薄らと人影が写り出した。
安堵の息を吐くと同時に、如月は膝を立て、足を引く。目は丸くなっており、威勢もどこかへ行ってしまった。
「ったく、戻れなくなったらどうするつもりだ。キサマは一生そこで暮らしていたいのか」
また鏡の中から手が伸びてくる。白く細い、女性と思しき手だ。
握り、開き、また握り開かれるその手は、捕まれと言わんばかりである。
びくつきながら、如月も手を差し出す。手首を掴まれ、先ほどと同じように引っ張られ、鏡を通って元の場所へと戻ることができた。




