第七話「キサラギ」 1
1.
誰かが名前を呼んだ。
「如月君はどう思う?」
ある授業でグループワークが行われた。実績のある野球部に所属し、クラス委員を任されていたためか、男女問わずクラスメイトに話しかけられる。品行方正で、勉強もそこそこ出来た。角の立たない気さくな立ち振る舞いは教員側からの評価も高い。
如月は話しかけてきた生徒を見る。
隣にいる生徒の顔には靄がかかっている。目を細めても人相が分からない。
「ああ。俺は――」
記憶の通りにしゃべるだけだった。なんてことのない無難な意見。誰もが思いつきそうなことを言っても、「さすがだなぁ」「いいねそれ」と褒められる。世辞であれ、空虚に感じたことなどなく、いつものように恥ずかしそうに愛想笑いをする。
キンッとバッドがボールを打つ音がすれば、教室から移動してグラウンドに立った。どこを守っているのかも分からず飛んできたボールを取り、ピッチャーに投げる。ピッチャーとは中学生のころから一緒に野球をしている。気の知れた仲で、よくクラスの中で誰が一番可愛いか、どの漫画の続きが気になるか、など他愛の無い話を部室でした。
ボトルの水をぐいと飲み、顔を下げれば自宅の食卓についている。
母が対面に座り、カレーだかシチューだか分からないがとにかく手作りの料理を口に運んだ。
「今日スーパーでね。昔の友だちにあって、なんか昔担任だった先生と結婚したんだって聞いてもうびっくりよ」
「うん」
「聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
「あなた、だんだん父さんに似てきたね。すこし心配だわ」
その会話はよく覚えていた。覚えがあるほど印象深い内容だからではなく、その次の日に電車の脱線事故があったからだ。
母の顔からは笑顔が失せ、鬼の首でも撮りに来るかのように多くの人間が家に押しかけてくるようになった。家を出ればフラッシュをたかれ、学校へ行ってもいままでのように話しかけられるようなことはなかった。教室は気まずい雰囲気に包まれ、教員からはカウンセリングを勧められる。
部活動も自粛し、そのうちに学校へも行かなくなった。父と二人きりになり、逃げるようにして転居を決めた。脅迫状や恨みつらみの書かれた手紙の中には、友人からの手紙もあったが、封は開けないまま、別れの言葉も告げず、フヨーダイに向かう。
迷惑がかかるからと、自分に言い聞かせてはいたが、実のところそうでもない。記者の質問攻めや怨念の籠った手紙や、いなくなった母に摩耗され、挙句友人にまで罵られてはどうにかなってしまいそうだった。
一緒に電車に乗った父は肩をすぼめ、電車に揺られる。
「私は小説家でもなければ、詩人でもない。シャレの一つも言えない、ただ鉄の箱を動かしていたバカな人間だ。それでも真面目に生きてきたつもりだ。母さんもそうだった」
屈強とまでは言えないが、長時間労働に耐えてきた身体は見た目以上にしっかりと芯が通っている。土木と事務を兼業するのだと言っていた。
逃げるならもっと遠くの土地にすればいい、とは言えなかった。
愛するものが――から始まる詩を、国語の授業かなにかの本で読んだのを、思い出す。
父は端からその気だったのだ。




