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第六話「爪痕をなぞって」 3

3.

 満天の星を背に、赤い瞳が光を放つ!

 研ぎ澄まされた爪先は風を切り、木を払い、天狗の肉にまで達する。連続して放たれる手刀は天狗の足を後退させ、空への逃亡を強制させた。

 天狗は樹頭に乗って、迫る脅威――富田に備える。小屋に戻る道中で襲撃されたのだが、その容姿と力に覚えはなった。目は輝きを増し、俊敏な動きで赤い軌跡を残す。団扇一振りでは払えないほどの勢いで、爪をとがらせ襲い掛かってきていた。

 天狗の視界から赤い双眸が消える。木枝の折れる音を聞いて、すぐさま別の樹頭へと跳んだ。見れば、元居た樹頭が綺麗に切り落とされている。

 空に飛び出した富田は、三度羽ばたいて高度を調整すると、天狗の前に立つ。

「地に伏す前に、捉えた人間をどこにやったか、話してほしい」

 天狗の面を睨みつけた。口を開けば鋭利な牙が光る。

 天狗は傷ついた羽を畳み、背筋を伸ばした。

「随分と自信に満ち満ちているではないか。ころころと心変わり、漫然とした行いを続けるのであれば、さらったものたちの居場所を教えることなど出来ない。それに力を取り戻したところを見るに、また人を襲ったのではないのか」

「血だけじゃない。アナタがぼろぼろに負かした人から、貰ったんだよ。申し訳ないけど、教える気が無いなら腕ずくで行かせてもらう」

 富田が木を蹴るのと同時に、天狗も団扇で風を起こした。

 何度も団扇を振るが、風を諸共せず接近する。

 天狗は後退を余儀なくされた。ただ飛ぼうにも簡単に追いつかれてしまう。

 団扇を裏返し、今度は真下へと振る。

 巨大な竜巻が発生して、天狗自身を飲み込む。富田は一瞬怯んで見せたが、間髪入れず竜巻に飛び込んだ。爪をとがらせ、一突き。

 冨田は突き刺したものに目を見開く。腕は見事に、天狗の着ていた羽織を貫通していた。本体を探す間もなく、頭部に衝撃が襲い掛かる。

 脳が揺さぶられ、蹴られたのだと気づいた時には木々の中を落ちていた。羽を広げて体勢を立て直し、天狗の追撃を待てば、木の葉の擦れる音が耳を掠める。

静かに辺りが風で渦巻き、生きているかのようにうごめく葉っぱや木々に囲まれながら、天狗の声が降ってくる。

「あの男は生きていたのか。ふはは。では先にやつから仕留めるとしよう」

 地に足を付け、辺りを見回しても影すら見当たらない。周囲の風はうねりを上げて吹き荒れ、暴風となる。

 如月は離れた場所で横たわっている。天狗から逃げることなど、不可能な状態だ。

 冨田は風に視界を遮られ、上手く羽を伸ばせない。下手に飛び立とうとすれば、木にぶつかるのが関の山だ。

 天狗の姿が見えない今、もはや躊躇している余裕などない。ぼろぼろの如月の姿を思い出し、爪を立てる。そして、自らの太ももを切り裂いた。

 焼けるような痛みに歯を食いしばる。

 体を捻って、回転。宙返り、四方八方に血が飛散させた。

 噴き出る血と付着した血は風に乗り、凝固し、塊り、鋭い槍となった。

 血の槍が木々をなぎ倒し、道を作る。すかさず富田は前方に飛び出した。目を開き、倒れた木を足場にして、風を借りながら駆ける。

 一歩一歩、叩いたような破裂音を鳴らせば、視界右上に天狗の影を発見した。

 木の枝で足を止めている。そのわき腹に刺さる、血の槍を握りしめながら。

「吸血鬼ィ……!」

 天狗と目が合う。

 富田は足にふんばりを効かせて、溜めを作る。バネのように縮んだ足から血が噴き出ても構わず、天狗に照準を合わせた。

 足場の木を真っ二つに折り、天狗に手を伸ばす。動けずにいた天狗の首根っこを掴んで、空に出た。

 宙での天狗の蹴り上げを躱して、覆いかぶさりながら腕を引き絞る。

「私は私の行いを許さない。だから、誰にも代わりなんてさせない。彼女のことも受け入れる。ちぐはぐな私には、ぴったりなんだなってよく分かったよ」

決意に満ちた突きは今度こそ、体を貫く。

「答えを得たか。私を退けた褒美だ。南へ飛べば小さな小屋がある。そこでさらった者たちは眠っている。さあ行くがいい」

 天狗の黒い羽が宙に散らばり、身体諸共落ちていった。



 富田は小屋を見つけると、星空から地上へと降り立つ。扉も明かりもない小屋の入り口に立ち、横になっている数人を見つける。

 数人だけだった。それも小柄で若く、中には学生服を着ている者たちもいる。

 怪訝な顔になった。天狗の趣味にとやかく言うつもりはないが、さらわれている人間が皆女性で、かつ学生だけだということには疑念抱かざるを得ない。富田の知る駅員や、他にも老婆や子どもも攫われているはずだった。

 よだれを垂らして寝ている生徒会長を見つけ、次に隣で眠る人に目を奪われる。

 いざ前にすると足がすくんだ。決意を口にしても、出来るのは逃げないことだけ。

「ん……?」

 蘭が目を覚ました。眠たげに目をこすりながら、身体を起こした。外傷には見られず、ただ本当に眠っていただけだと分かる。

 入口で棒立ちになっていた富田に気づくのは時間の問題だった。

「伊佐美、その格好」

 富田の身体は吸血鬼のままで、目は赤く、羽根も垂れ下がっている。血を吸ったため、吸血鬼でいる時間が長い。

「これは、その、なんというか」

 牙の伸びる口を手でふさいで、たじろいだ。

 蘭はゆっくりと立ち上がり、歩みを進めた。

「助けに来てくれたんだよね。ありがとう。というか、足、すごい血が出てるよっ。傷口ふさがないと」

 膝から崩れ落ち、口をふさいだまま嗚咽を漏らした。体を丸めて、土下座でもするように「ごめんなさい、ごめんなさい」とつぶやく。

 蘭も膝を付いて、富田の前に正座した。

「謝らなくていいんだよ。伊佐美は苦しかったんだよね」

「私が、蘭の母を奪ったようなものだから、だから」

「うん。分かった。じゃあ、私も謝らせて。あの夜、あなたを怖がってしまってごめんなさい。お母さんから吸血鬼さんの話は聞いていたのに、馬鹿だよね」

 富田は顔を上げる。

「襲われて背中に爪を立てられたのだから、怖がるのも当然だ」そう口に出そうとした。

 体を抱きしめられ、言葉を失った。口をぱくぱくと開け、赤い瞳に涙を溜める。

 蘭は富田の背中に手を回し、羽ごと身体を包んだ。

「伊佐美は真面目だから、お相子ならいいでしょ? はい。これでおしまい。もう絶対、離さないから」

 富田も、震えながら手を背中に回す。温もりに身体を埋もれさせ、優しくけれど力強く抱き寄せる。

 はるか遠くの空から、一条の光が流れ落ちた――。

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