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第五話「人をさらう者」 4

4.

 蘭の家までの道のりは長い。富田が去ってから、互いに無言であったのもある。

 家につき、如月は踵を返す。

「伊佐美のこと、知ってたんだね」

 一拍置いて如月は振り向いた。

「同じクラスなんだ。あと、彼女が吸血鬼であることも聞いてる」

「そうなんだ。仲、良いんだね。私も中学の頃は結構、仲良かったんだけどね」

 蘭は少し震えた声を出す。笑っているつもりのようで、実際はひどい表情だ。蘭の父が付けていた玄関の先の明かりが、ばちばちと羽虫を弾く。

「ケンカでもしたのか? まぁ富田さんは真面目っぽいからなぁ」

「私が悪いの。お母さんが亡くなった日の夜、伊佐美のこと拒絶しちゃったから。伊佐美のあの姿に怖がっちゃったから」

 涙は流さないものの、つりあがる口端が苦悶を見せる。自分の体を抱き、手を肩と背中に回した。古傷をなぞるように何度もさする。

「前に見てもらった傷跡なんだけど、伊佐美がつけたものなんだ。お母さんの血を吸っているところを見たから、襲われちゃったんだ」

「待って。いま、血を吸われたって」

「そりゃ吸血鬼なんだもん。誰かの血を吸わなきゃ、生きていけないよ。それが偶然、病室で寝ていたお母さんだったってだけ。だから悪くないの……悪くない。悪いのは、あの子の本当の姿を怖がってしまった、私なんだっ」

 だんだんと語気が強まっていく。自分の声の大きさで、我に返る。

 如月は目と口を閉じ、息を止めて聞いていた。

「ごめんなさい……」

「それは言うなって、前にも言った」

 蘭はうつむいてそれっきりだ。如月はその間、知る限りで二人のことを考える。

「人でないものを見たら、誰でも怖がる。そんなことは別に気にすることじゃないだろ。というか、むしろよく許せたな。その、母親を、されて」

「……笑ってたの」

「笑って……?」

「嬉しそうな顔してた。だから、お母さんは血を吸ってもらったんだって、そう思うの」

 如月の眼がこれでもかと見開く。ただ数歩歩けば届く距離にいる蘭が、一瞬で遠い場所にいるような錯覚に陥る。家の屋根の影が境になって、間を別つ。

 少なくとも如月の母は、潔白で清廉な、あの病院の一室のような最後ではなかった。



 戸は開いていた。家の中に明かりの一つもない。玄関には靴が脱ぎ捨てられていて、廊下には酒瓶が並ぶ。何本かは倒れていて、中に残っていた酒が滴っていた。

 順々に明かりをつけていけば、今に一人の男が寝ている。片方の頬は殴られたのか赤く腫れ、缶を強く握りつぶして寝ている。灰皿は床に転がり、画面のひび割れたテレビが騒がしい。

 灰皿を元の場所に戻し、脱ぎ捨てられたツナギは洗濯機に投げ込む。

 蹴破られた襖を引いて、毛布を引っ張り出し、シャツ一枚の男にかける。身動き一つなく、まるで息絶えたかのような男だ。

 むしろ息絶えていた方が楽なのだろうか、と頭の片隅に浮かんだ、一抹の思慮を、歯を食いしばって噛み潰す。耳鳴りが消えたのは二階の自室に着いたときだ。何もない部屋に身体を放れば、柔らかな布団が受け止めてくれる。

 乾いた喉に、まだ感触の残る首も、どうするわけにもいかず、寝返りを打ってLEDの電球に代えたばかりの白光を眺めた。

 花がなにか話している。それも無視して、頭の中を空にするイメージで息を吐きだす。

 どんどん沈んでいく身体に合わせて、意識も薄れていった。



 ――踏切が鳴るのを聞く。小さな手にある温もりを握りしめた。目の前を何度も何度も電車が通りすぎ、だんだんと辺りが白んでいく。きっと隣には――。



 ドロのように眠ったのは、初めての経験だった。長い夢を見ていたが、目覚めた場所が何もない自室だと把握したと同時に忘れる。

 やけに色の濃い日差しに違和感を覚えて、時刻を確認すれば午後の三時。

 反射的に起き上がり、そして固まった。

「とりあえず言い訳だろう」

 寝ていた布団から声がする。スマフォの中で花が呆れた顔をしていた。

「なんで起こしてくれなかった」

「私はお前の目覚ましじゃねぇ。よく知らんがお前、なにかに疑われてるんだろ? 昨日の今日で、そいつと顔合わせ無いのはまずいんじゃないのか」

「あぁ、そうだ。電話、は知らないし、あぁもう」

「学校行きゃ会えるだろうよ」

 すぐに身支度をして階段を下り、誰もいない居間を横目に家を飛び出す。

 通学路を足早に行く。たまにすれ違う学生の中にはクラスメイトもいたが、何人目かで開き直り、何食わぬ顔で脇を抜けるようになった。

 糸杉の並木坂から見える太陽が傾き、淡く黄ばんできた。如月はどう話をつけようかと悩みながら視界の隅に捉えたのは、坂の上にいる生徒会長の田中だった。

 田中は如月を見つけるなり手を振って、駆け足で降りてきた。

 何をしにきたのだろうと、問えば生徒会長だからと答えるに違いなかった。厄介ごとを抱える転校生の世話をするように、言われていたに違いない。無断欠席をすれば、学校から誰かしら確認を取りに行くよう命じられる。それが今回、生徒会長に任された。

 降りてくる田中を直視せず、その向こうの学校を見ながらとりあえず足だけは止めないようにする。田中をあしらうのは、面と向かい合ったときに考えればいい。

 まだ田中の顔が判然としない距離にいたときだ。田中の前に、黒い塊が静かに落ちた。

からからりと乾いた音を鳴らし、着地した黒い塊は大きく左右に広がった。

 黒色は羽だった。鷹や鷲とは比べ物にならないほど大きく、烏よりも黒い羽は三度羽ばたくと、上空へと飛び去る。

 流れるような出来事に、如月は足を進めたまま、見ているしかなかった。辺りには誰もおらず、その場で目撃したのは如月一人だけだ。

 人さらいだと、遅れて理解した時、足を止めることができた。

 田中がいなくなっている。連れ去られたのだ。

 田中のいた場所まで駆け上がり、黒い羽の飛んで行った方を見る。山の方へ飛んで行ったかと思えば、すぐに高度を下げ、木々の陰に隠れてしまった。

 姿を隠すまで目に焼き付ける。急いで坂を上り、学校の中へ飛び込んだ。普段なら走らない廊下も蹴飛ばして、富田を探した。

 すぐに下駄箱前の会談で出くわしたのは、富田も急いでいたためだった。階段を降りきり、険しい顔で如月の前に立つ。

「屋上から見ていたよ。きみは下手に動かないで、あとは任せて」

「いや俺も行きます」

「なんでっ?」

「散々疑われたんだから、犯人の顔くらい拝ませてもらってもいいと思うけど」

「……悪かったよ。好きにして。まだ人目も多いから、私も走って追うしかないし」

 二人で校舎を出た。富田の足は速いもので、以前如月に見せた素早さほどではないにしろ、帰宅部では差が広がるばかり。今しがた登ってきた坂を下れば、さすがに太腿や脹脛が悲鳴を上げる。乳酸が脚部を駆け巡りもう足が動かなくなったところで、富田の背中に追いついた。

 富田は坂が緩やかになっていたところで、止まっている。

 如月が肩越しに見つけたのは、胸に手を置き、仁王立つ蘭だった。

「なにを、しに」

 富田は狼狽え、視線を泳がせた。如月が後ろにいることにも気づかず、後ずさる。

 その姿を蘭はじっと見据え、大きく息を吸い込んだ。

「伊佐美に謝りにきたの」

 自らを奮い立たせるかのように、声を張る。やはり如月のことなど見えていないかのように、富田に集中して発する声に力を込めた。

「私がアナタにおびえてしまったこと、謝らせて」

「謝るだって? そんなことする必要ない。当然のことだ。恐怖して当たり前なんだよ。私は吸血鬼で、人を襲う化け物なんだ」

「違うよ。伊佐美は伊佐美だよ。」

「ふざけるなぁ! 私は吸血鬼だ! お前の母親を殺した吸血鬼なんだよ! もっとうらめよ! 憎んでいいんだよ!」

 叫び声が山の方へと消えていった。

 周囲を気にかけない怒号に、如月は焦る。慌てて人の目を確認するが、他に人影は見当たらない。

 妙な感覚だった。それもつい先ほど味わったものだ。下校時刻で学生はおろか、さらに車の一台も見かけていないことに気づけば、空から声が降ってくる。

「勘が冴えているな。そう、団扇とはかくあるべきなのだ」

 蘭の背後に黒い塊が落ちてきた。陰から伸びた日本の腕が、口と身体を押さえつける。

 抵抗していた蘭だったが、まるで眠るかのように目を閉じて大人しくなった。

 黒い塊がその羽を広げると、和装の人が現れる。真っ赤な鼻の長い面を被り高下駄を履き、修験者の法衣を纏っていた。

「天狗……?」

 如月のつぶやきに、堂々と頷く。

「その通り。私はこの山に住む天狗の一人。わけあって、人をさらわせてもらっている」

 天狗は蘭を脇に抱えながら、低い声で答えた。何事もなくそのまま飛び立とうとする。

 黙って見逃すはずもなく、先に飛び出したのは富田だった。だが天狗が巨大な羽を一度羽ばたくだけで、強風が巻き起こり、元の場所まで押し戻される。

「待てっ、くそっ。絶対に許さないっ。その子に手を出して、ただで済むと思うなよ!」

「吸血鬼の餓鬼が吠えよる。一体全体、なにがどう済まないと言うんだ」

 天狗は宙で羽ばたき、地面に這いつくばる富田を見下ろす。

 富田の背中から服を突き破って羽が飛び出した。瞳は青く染まり、爪牙が伸びる。

「よく聞け吸血鬼。お前に何ができる。人を襲い血を吸い、あまつさえ殺めてきたお前がいまさら我ら妖怪の行いを戒めようなどと片腹痛い」

 空から降る言葉を聞けば、勢いよく張ったはずの羽が、見る見るうちに脱力していく。

「それは、私がやらなくちゃ」

「ならば私が代行しよう。好き放題暴れていた者よりも、そうでない者の方が皆納得するだろう。力でねじ伏せるというのなら尚のこと。では、私は私で使命を果たさせてもらう」

 先ほどと同じ南の方角へと、一直線に天狗は飛んでいった。

 富田は元の姿に戻り、ぺたりと膝を付いたきり動かない。

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