第五話「人をさらう者」 3
3.
登校時に出くわしたのは、船山だった。校門でばったりと鉢合わせるのは初めてのことだった。背が高い分、威圧されがちで如月は反応に送れる。
特に話すこともなく、肩を並べて校舎へ向かう。もう新聞も貼られることがなくなった下駄箱を通り過ぎ、教室について、やはり軽く声をかけあってそれぞれの椅子に座る。
如月は胸を落ち着かせ、朝の準備を終える。スマフォを片手に本を読んで、教師の到着を待った。妙な感覚だが、特別悪い気もしなかった。
昼休み。たまには気分を変えて、校内探索を思いつく。花に見せるのも、やぶさかではなかった。
「ちょっと待て。止まれ。天文部なくなったのか? バカデカイ天球儀も、自作のプラネタリウムも、星見のための望遠鏡も全部なくなってるんだが」
人気のない廊下を歩いていると、スマフォの画面に映った花が口を丸く開けた。空き教室の横を通っているところだった。
戸の開いた教室内を確認する。机と椅子が教室の端に寄せられているくらいで、現在使用されているような痕跡はない。
「数年前になくなったって聞いてはいるけど」
「そうなのか。廃棄されたか誰かが持ってたか。どちらにせよ私にくれてもよかっただろ」
「そう言われても。俺も、まだこの学校にきてから日が浅いし」
「お前、転校してきたのか?」
「言ってなかったっけ」
「初耳だな。まぁそうか。なるほどな。お前の親父もあの調子だし、深入りはせんよ。それよりさっさと次へ行け。どれ、教師どもの顔を見てやるから職員室に行ってみろ」
「勘弁してくれ」
言われたとおりにはせず、上へ上へと昇っていく。屋上という場所には如月も行った試しがなかったので、そこを目指す。
柄の悪い生徒が溜まっていたら、一目散に逃げようといった考えも杞憂に過ぎず、一つの扉が行く手を阻む。冗談半分で取っ手を握れば、ぐるりと回り、いともたやすく扉は開いた。
風に押され少し重い扉を押して、屋上に出た。
万が一のために設置された柵越しに、山や街を一望できる。
「天文部は夜間の活動が多かった。よくここで皆と星を見たもんだ」
花がつぶやくのを他所に、如月は目前の人物に目を奪われた。
白い肌に青い瞳。日光の直射による美貌には、妖艶さも垣間見える。
如月が一言放つよりも、手を離した扉が閉まるよりも早く、たった一人の先客であった富田が距離を詰めた。
「いい天気だね。如月くん」
いきなり跳んできた富田にぎょっとした。思わず、数歩下がる。
「お、おう。どうも」
「こんなところでなにしてるの? 一応、許可なく屋上への立ち入りは禁止されてるけど」
「鍵は開いてましたけど」
「え、あっ、そうなの。ごめん……」
富田は如月から離れ、恥ずかしそうに眼を伏せた。
如月は肩の力を抜く。警戒はまだ続いているようだった。
「暇つぶしにまた校内を見て回ってたんだけど。富田さんこそ、こんなところで何をしてたんですか」
「私? 私はちょっと、考えごと」
今度は歩いて、屋上の隅の柵に寄る。短く切りそろえられた髪が風で乱れた。富田は気にすることなく、薄目で景色を眺める。
「人が、またいなくなってる。今度は駅員さんだった。たまに話をしていた人だったから、気づけたのだけれど」
「待って。俺はやってない」
「分かってる。でも、だとしたら、一体誰がこんなこと……前は老婆に、子どもが一人。対象も、その目的も全くの不明瞭で、もう手の施しようがない」
「この町を守っているって、李さんから聞いてます。この町が少し変わっていることも知ってますが、だったらなぜ、富田さんが? 富田さんは吸血鬼だと、言ってましたよね」
少し硬い口調であった。
その容姿は妖艶であれど紛れもなく人である。李もそうだが、人に紛れて生活しているものたちもいるわけだ。
「吸血鬼は夜の王様みたいなものだから、勝手に暴れる化け物どもを取り締まっても別に不思議じゃないよね? 一応、古株だし、そういうことしていかないと」
「そういえば、クォータって。あれはつまり、吸血鬼と人間のクォータっていう」
「人でもあるから、やってるわけ」
人を襲っては血を吸っていた、と李が言っていたことを思い出す。追求しようとしたが、丸まった背中を見て口を閉じた。
「他にもあるんだけどね」
富田のつぶやきは聞こえなかったフリをする。
如月は先に屋上を後にした。
日が沈み、夜になるとバイト先の焼き肉屋から出立する。いつもより少し早く閉店したが、事情を知っている客は何も言わずに帰っていった。
目指すは病院。総合病院で、李が薬を貰いに行ったところだ。
以前、李と話をした公園を通りすぎる。公園には誰もいない。
「どうかしたの」
隣を歩く蘭が訪ねた。
如月は先にある病院に視線を移す。
「いや。それより花とか、持ってこなくてもよかったのか」
「さすがに他の人が使ってる病室に置いていくわけにもいかないし。部屋の前までいって、手を合わせるだけだから。ごめんね、付き合わせちゃって」
「気にするなって。大した手間でもないだろ」
「ほら、中間考査とか」
「いいって一日くらい」
まだ眩しい光を放つ病院に入っていく。受付で話を済ませた蘭が戻ってきて、そのまま部屋まで案内される。
「最近退院したみたいで、今は誰も使ってないんだって」
入り組んだ院内を慣れた足で進む。階段を上り、個室の並ぶ階まで来た。
廊下は二人の足音だけで満たされる。階段から一番遠い個室の前で、蘭が足を止めた。
「ここだよ」
すぐに目を瞑り、手を合わせる。如月もそれに合わせた。
間をおいて、扉に手をかけた。
しかし、開けることなく、するりと手が落ちる。
「どうした? 入らないのか?」
「うん。やっぱ、いっかなって」
「折角来たんだから見ていくくらい……いや、悪い。無神経すぎた」
「ううん。そうじゃないの。母さんは最後まで綺麗だったから。そうじゃないの。でも、うん。そうだね。せっかく入れるんだから、入って、見ていくべきだよね」
手が取っ手に伸びる。スライド式の扉は力の弱い人でも開けられるようになっていて、音もなく横に動いた。個室の中にはベッドやテレビの他にも、風呂や洗面所も完備されている。扉と対面するのは窓で、病院外に見える町の景色が足りない開放感を補う。
家具の木目と、白い布は心を落ち着けるものだが、明かりのついていない部屋では確認できない。だからか、如月の鼓動は早まるばかりだ。
蘭もまた扉から手を放さず、硬直する。扉を開けた個室の奥で、カーテンがはためく。窓が開け放たれていて、そこから吹く風がカーテンを揺らしていた。
月の光と、廊下の明かりが、窓辺に立つ者を映し出す。
血のように赤い眼が、二人を縛り付けた。赤い瞳が閉じられたその一瞬の内に、如月は首根っこを掴まれ、個室の壁に叩きつけられる。
如月は身をよじるが、首を絞められ、次第に動くことすらままならなくなる。
「なんでキミが、彼女と、ここに……!」
首を絞められながら聞こえた声には、覚えがあった。ただ血が止まりかけて、思考どころではない。目が飛び出そうである。
「伊佐美……?」
その名前を口にしたのは蘭だった。赤い眼の持ち主が跳んできた時の勢いに押され、廊下に弾き出されたが、正気は保っていた。
足に力が入らず、両腕で身体を支えながらも、赤い瞳の持ち主、富田伊佐美の眼を見た。
「伊佐美お願いっ、その人を離して」
富田は如月の首から手を放し、蘭を一瞥する。牙を見せるがすぐに口を閉じて、低くかがむと窓まで跳躍した。
「待って! 私っ、私! アナタに……」
蘭が言い終わる前に、富田は個室から姿を消した。
いつも明るくふるまう蘭の顔に影が差すのを、如月はむせながら視界に収めた。せき込み、整えていくうちに、だんだんと胸が楽になる。もつれた事情を前にして、余分なものを吐き出せたかのようであった。




