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第五話「人をさらう者」 2

2.

 店の中を駆け回るのにも慣れてくる。厨房で足を滑らすことも、皿を落とすこともなくなり、給料に見合う働きっぷりを見せるが到底、蘭とその父の阿吽の呼吸にはかなわない。

 邪魔にはならず、客にも蘭にも小さいながらも気を配り、せっせと働き数時間が経つ。椅子に座って疲労感に没入していた。

 こくりこくりと船をこぎ始める如月に、そっと近づく影が一つ。その手には冷や水の入ったコップがぶらさがる。

 近づくなり首に添えた。

 そんなことをされれば眠気は一瞬で吹き飛ぶ。如月は背筋を伸ばして、何度も瞬きしながら犯人を見つける。

「お疲れさま。こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうぞ?」

 蘭がコップを差し出した。

「あぁ。ありがとう。寝てた。うん」

 それを受け取り、口につける。乾いた喉をひんやりとした水がぶつかった。

「最近なにかあった?」

「なにか……?」

「あぁごめんごめん。良いこと、なにかあった?」

「なんでまた、藪から棒に」

「最近がんばってるなぁって思って。ほら、常連さんがなに注文するか、いつのまにか覚えてたり」

「それは、常連なんだから当たり前だろう」

「お父さんの肩揉んだり、まかない作ってくれたり」

「それは世話になりっぱなしだから」

「顔あかーい」

 体を寄せてくるものだから、如月は横へ横へと倒れていく。横っ腹に机がめり込むが、やわらかい凹凸な体がくっつくよりはマシだった。

 やけに機嫌のいい蘭から逃げるように、席を立つ。

「じゃあ、俺はこれで」

「えー。もっとお話しようよ。学校どう? たのしい?」

「なんなの。なんか変だぞ」

「へ、変ではないっ。じゃあ家まで送るから。ほらもう外暗いし、危ないでしょ。お姉さんに任せなさい」

「変だぞ」

 蘭の様子がおかしいのは言動から分かる。

 飢えた狼のようだ。じりじりと詰められ、壁に追いやられてしまう。

「もうすぐ命日なんだ、母親の」

 店の奥から蘭の父が出てくる。一通り片づけを終えたようで、そのまま手近な椅子に腰を下ろした。

「墓参り。そいつに付き合ってやってくれないか」

 蘭はなんとも言えない顔をして、如月から離れる。

「俺が、なぜ?」

「毎年二人で行っていたんだ。だが去年から俺の足も悪い。それにいつまでも病院の世話になるわけにもいけないからな」

「ちょっと、話の流れがいまいち読めないんですが」

「蘭。言ってないのか」

 父の言葉にもにょもにょと口を動かした。

「だから、送ってく時に話そっかなーって思ってたところなんですー」

 話辛いことではある。

 そっぽを向く蘭を見て、如月の肩の力が抜けた。

「いいよ。着いていく」

「断ってくれてもいいんだよ。私一人でも行けるし」

 大きな声で「それはダメだ」と、父の静止入る。

「真夜中だぞ。なにかあったらどうするんだ」

「だったらお父さんついてきてよ」

「それもダメだ。お前こそ、もういいだろう。わざわざ同じ時間、同じ場所に拘らなくても母さんならお前をずっと見ていてくれてる」

「うぅ~~~っ」

 口数の多い蘭の父を、如月は遠くから物珍しそうに眺めていた。

 話を聞くに、真夜中の病院についていくということは把握できる。理由もおおよそ理解はした。難しいことではない。

 バイトを終え、一人夜道を行く。

 電柱の明かりを頼りに足を進めていく。車はほとんど通らない道だ。

 足音だけの静けさを破り、スマフォが鳴った。いつ設定したのかも忘れていた着信音だ。

 ポケットから取り出し画面を見る。着信画面には、おかっぱの少女が一人立つ。

「よお。お疲れかい」

 子振袖をはためかせ、陽気な花だ。

 花の存在は無事に電子ないに維持されていた。たとえ電源を落とそうとも、黒い画面を背に浮かび上がる。

「なにか用?」

「たのしそうに話をしていたからな。なぁ? お前あの女に気があるのか?」

「は? いや……どういう。幽霊のくせにそういう話が好きなのか」

「幽霊差別やめろよな」

 花の視線が、如月から外れる。

 スマートフォンの明かりと対面するのは、星の散りばめられた夜空。如月も釣られて空を見上げて、足を止めた。

「大曲線が見える」

「大曲線?」

「北斗七星は分かるだろ? あれは大熊座のケツの部分なんだが、その大熊座のケツから橙の星へ、橙から白の星へとつながる曲線を、誰が呼んだか春の大曲線なんて言う」

「星が好きなのか?」

「天文部だったんだ、生前はな」

 如月は以前に、富田から天文部の話を聞いていた。

 廃部になったとは言えず、そのまま耳を貸す。

「橙がアークトゥルス、白がスピカ、もう一つズレた位置にある黄がデネボラだ。それらを結んだのが春の大三角。色褪せないものだな」

 花は今にも跳び出さんばかりの勢いで空を指さし、興奮を声に乗せた。その目は星のようにきらきらと光っている。

「スピカは聞いたことある。おとめ座だっけ」

「そうだそうだ。星は、宇宙からの贈り物だ。何千、何万、何億光年先から、きっともう爆ぜてなくなってしまっている星も含めて、こうやって光を届けてくれる。例えば星と星とを結んで別の星を観測、例えば旅の道しるべ、例えば占い、そうやってみんな、星から何かを貰ってきた」

「なんだか、壮大な話だな」

「当たり前だ。宇宙は広いんだ」

 饒舌の花に当てられ、如月も天を眺める。星座というものに疎いが、花の言っていた大曲線を目で追ってみる。おそらくそれらしい橙色の零等星と白色の一等星を見つけた。

 北斗七星から結んで、大きな弓が出来る。ただそれだけにとどまらず、その先に光り輝く星々を見つけた。アークトゥルスやスピカと比べると光力に劣るが、曲線がさらに伸びて見える。

「大曲線ってのは、スピカで止まってるのか?」

「ん? いいや、スピカから伸ばすと別の星座にぶつかる」

「スピカから伸びるあの星は、なんて言うんだ」

「アルゴラブが一番近いな。あの台形の星座、からす座も含めて大曲線なんだ」

「からす座……そうは、見えないな」

「ははっ。違いない」

 如月は、足を止めていたことに気づく。スマフォの画面に映し出された時計を見て、急ぎ足で家を目指した。

 家には父がいて、また缶を片手に机に伏していた。

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