第五話「人をさらう者」 1
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夜も更けたころ、戸が開いた。
二階で布団も敷かず横になっているとよく聞こえる。ぴしゃりと戸を閉め、どかどかと床を踏み鳴らしていた。如月の父は今日も荒れていた。
この後はいつものように見もしないテレビを点け、眠るまで酒を飲むだろう。想像に難くない。
如月満は、父親のそれが本性なのかもよく分からない。日に日に増える空き缶の量を見て、きっと自分と同じような目にはあっているのだと、それでやさぐれているのだと思うほかない。
朝には水の入ったコップを、父の横に置く。
父がまだ目覚めないうちに家を出た。
廊下を歩いていると、生徒会長の田中と出くわす。
軽く会釈をして通り過ぎようとする如月の肩を、田中が掴んで止めた。
「こんにちは如月くんどうして逃げようとするんです?」
「逃げようとは、してませんよ。どうかしたんですか、二年の教室まできて」
言い淀んだのを隠すように、言葉を紡ぐ。田中も田中で特に追及するようなこともせず、如月の正面に立った。
「烏羽先生探してるんですよねー。どこかで見かけませんでしたかね」
「さあ。見ては無いですけど。お昼だし、職員室でご飯でも食べてるんじゃないんですか」
「んーいなかったんですよねぇ。どこ行ったんでしょう。というかひどいと思いません? 自分から呼び出しといて雲隠れするなんて。先生、いつもこんな感じなんですよね」
「はは。仲いいんですね。じゃあ、俺はこれで」
踵を返すがまた捕まれる。
どうにも逃がさないようで、にんまり笑みを浮かべて、整った顔を近づけた。
「お昼、一緒にどうですか?」
田中に流されるまま、後をついていく。着いた先は図書室で、中にはほかに誰もいない。
机に着くなり、田中がランチマットを広げる。
「いいんですか」
出入り口のマナーの張り紙に目をやる。食事禁止、おしゃべり禁止、窃盗禁止と赤文字で書かれていた。そもそも生徒会の用意したものでもある。
「先生が来ないのが悪いんです。時間もないですし、昼食をさっさと済ませましょう」
如月は離れた席に座る。
コンビニで買っておいたおにぎりを二つ取り出して、かじりついた。海苔の破ける音がよく聞こえる。
「なにかあったんです? 一人でとぼとぼ歩いて」
田中は箸を止めずに聞いた。
「あったというか、少し落ち着いたからというか。て、なんでですか」
「なんでって。いつも富田さんとかといっしょにいるのに変だなって」
「いつも一緒じゃないですよ。え? 見にきてるんですか?」
「転校生くんに気配りくらいできますし。これでも生徒会長ですし。皆に頼れるこの学校のリーダーの一人なんですし」
胸を張って、いかにもな先輩風を吹かせる。
言いぶりからして、如月の事情についてある程度知っているようだった。
如月は窓の外に目を向ける。
「烏羽先生、本当に来るんですか。探しに行った方がいいんじゃ」
「図書室集合にはなっているので、そのうちひょっこり現れるでしょう。こうして話をしていればそのうちに、あっ」
田中の声に釣られて、図書室に視線を戻した。
出入り口から体格の良い男性教師が、鹿威しのように何度か頭を下げて近づいてくる。烏羽だ。如月の正面の席に着く。
「悪い悪い。ちょっと私用で外に出ていてな」
「ご飯でも買いに行ってたんですか? 行ってもらえれば分けてあげましたのに」
「ははは……っと、如月も昼飯か。うまそうだな」
烏羽は気さくに話しかける。
教師、それも如月のクラスの日本史を担当する教師なのだから、名前を知っていて当たり前ではある。
如月は会釈をして、それから水筒の水をあおる。口の中の物を無理やり流し込んだ。
「席を外した方がいいですか?」
「なに、大した話じゃない。少しだけ田中を借してくれ」
「はあ。どうぞ」
如月をよそに、二人が向かい合う。
二人が話し合っていたのは、生徒の登下校の時間を早めるといったもので、確かに如月がいても問題のない内容だった。
猿目で二人の様子を見ていると、やはり仲睦まじいものがある。恋人、とまではいかないが親戚のような、ほぐれた口調と表情を見せる。
烏羽が立ち去ってから、尋ねてみた。
「私と先生? 別に親戚でもなんでもないんですけど。私が小学生のとき、ちょうどこの近くの山の中で遭難したことがあったんですよ。知ってます? ここの山、結構入り組んでいて子どもなんか入っちゃいけないんですけどね」
「らしいというか。なんというか」
「河童や天狗が出るなんて言われてたらそりゃ探しに行きますよねぇ。で、警察やヘリが総出で探している中で、ボランティアとして参加して見つけてくれたのが烏羽先生なんですー」
わかりやすく、子どものように頭を掻いて照れた。




