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第四話「月下の統率」 3

3.

 赤い双眸で互いに睨み合う。深い赤は狼人間のもの、鮮やかな赤は富田のものだ。二人の間には風の一つもない。

 先に声を発したのは富田だった。

「李さん。薬はどうしたの」

 人の名前だった。狼人間の名前を呼ぶが、低く唸るばかりだ。

 富田は顎を上げ、満月を見て、それからまた狼人間に視線を戻す。

「あぁっ、もう。手は抜けないからね」

 富田が飛ぶ。地を蹴り、自分の背丈の三倍はある高さに身体を放り、ぐるんぐるんと曲芸よろしく身体を回した。

 ゆったりとした動きだ。狼人間も見ているだけではなく、羽虫を払うかのように太い腕を振るう。まともに食らえば全身の骨が粉々に砕けるほどの腕力だ。

 狼人間の腕は富田を捉えた――が、そのまま吹き飛ぶのかと思いきや、弾かれて巨躯のバランスが崩れる。すかさず富田の身体から鋭い一撃が放たれた。

 富田から放たれる一振りの手刀が、狼人間の首を凹ませる。

 狼人間は二歩三歩と後ずさり、堪える。片膝をつき一睨みしてから、今度は狼人間の方から仕掛ける。潰れた喉からは声が出ず、爪牙をむき出しにして突撃。その軸は宙で翼を羽ばたかせる富田からずれ、如月に向いていた。風切り、接近する。

 浮世離れした月光した光景に、如月の意識は外にあった。月光の下にいる富田に見惚れてもいたため、迫る爪牙の対応に遅れる。

 まずいと思うよりも早く、足がもつれて尻もちをついてしまう。もはや敵は目の前。草を握りしめ、それでも目だけは見開く。

 爪牙が届くよりも早く、富田は獲物を狙うトンビを思わせるかのように急下降する。弧を描いて接近し、狼人間の腹を蹴り上げる。

「ふんッ……!」

 体格の差は歴然であったが、狼人間の巨体はいとも容易く宙を舞った。

「如月くん。早く逃げて」

 富田はそれだけ告げて、林の奥に蹴飛ばした狼人間を追って飛んで行った。

 如月はしばらくぽかんと口を開けていたが、二人の後を追う。月光から離れて暗闇の中を進み、林を抜けた。

 坂道の道路に対峙する二人を見つける。肩で呼吸をする狼人間とは打って変わって、富田には余裕が見られ、如月にいち早く気付く。

「李さん。聞こえてるかな。彼は、人さらいの犯人じゃない。彼は人間なんだ」

 注意を引くように語り掛けた。

 狼人間の目からはぎらつきが失せている。

 疲弊して平静を取り戻しつつあった。

「俺は、俺は、守りたいだけなんだ。この町を。だから」

「この件は私に任せてほしい。アナタに罪を着せたくはないし、これは私の使命でもある。古くよりこの地に住まう吸血鬼の子として」

「なぜだ。なぜそんなにも肩入れするっ。あれは、あれからは臭いが、死臭が、して、たまらないんだ。くそくそっあああああああがあああああああああ」

 狼人間の咆哮が辺りを震わす。

 如月の身体は動いた。その足に迷いはない。一直線に突き進むは、狼人間の眼前だ。膝を突き、小さな頭部を抱える狼人間の前に立つ。

「なにやって……!」

 背後からの富田の声には振り向かず、如月は黙って狼人間を見つめていた。

「理由があるんだろう。なら、気のすむまでやればいい。俺とアンタで根競べだ」

 毛深い指の間で赤い目が光る。アスファルトの地面にひびが入るほど、指を足を突き立て如月の眼前で雄たけびを上げた。

 巨椀が天高く振りかぶられる。その影にすっぽりと覆われ、直視するのにも耐えきれず目を瞑る他ない。

 だがいつまでも振り待っても振り下ろされることはなかった。

 目を開ければ、狼人間が大の字になって倒れている。

 その向こうには富田がいて、渋い顔で腰に手を当てていた。



 闘争を終えた三人は場所を移す。ゆっくりと話ができるようにと、富田が病院に隣接する公園を選んだ。

 富田と如月は同じベンチに座り、夜も更け、物静かな公園で缶ジュースを開けた。狼人間の李は薬をもらいに行くと言い残し病院へ行き、この場にはいない。

「李さん、あぁ、さっきの人はここフヨウダイ出身で、今はIT企業に勤めている社会人。見て分かっただろうけど狼人間でもある」

 缶をゆらゆらと振り、話しかけているというよりも思い出しているといった喋り方だ。

「見ては、分からないというか、理解が。うん……まぁ、うん」

「で私は吸血鬼。500年くらい前に密航してきたイギリス産吸血鬼の末裔なんだけど……」

「なんだけど」

「……なんだけど、今はそんなことどうでもよくて。キミはなに……なんなの? なんで襲われてるの? なんでわざわざ目の前に出てきたの?」

 ずいと如月に顔を寄せた。

 目には赤味の欠片もなく、海を思わせる静かな青が光る。

 如月はその整った顔立ちから目をそらした。

「ごめん……」

「本当に。本当に、人さらい、してないんだよね?」

「というか人さらい、ってぜんぜん耳にしませんけど。普通、起きていたらもっと騒ぎになってませんか」

「騒ぎになっていないのは、人さらいと同時に記憶からも薄れていき消えてしまっているから。なんでこんなことになってるのか見当もつかなくて、あぁもうっ」

 缶をあおり、思い切り立ち上がる。背中から羽でも飛び出しそうな勢いだ。

「ちょっと席外すよ」

 そう言って離れた木陰に向かって歩いて行った。

 交代するように、公園内に入ってきたのは李だった。人の姿に戻っており、着ていたスーツも新調されている。

 お互いに軽く頭を下げた。李は空いていた如月の隣に腰を下ろす。

「悪かった。君には怖い思いをさせてしまったね……」

「こちらこそ紛らわしいらしくて。なんて言えば、いいんでしょうか」

「いやいいんだ。早とちりだったんだ。僕は鼻がいいから臭いに敏感で血の臭いとか色々とかぎ分けるのも簡単なんだけど、別にそんなの珍しい話じゃないしね」

 自身の服を持ち上げて臭いを嗅ぐ如月に、李は笑う。

「満月を見るとひどく興奮状態になってしまうんだ。兄が興奮状態を抑える薬を作ってくれているんだけど丁度切らしていて、いや申し訳ない」

「富田さんが助けてくれましたから。そういえば富田さんとお知り合いなんですよね」

 富田が歩いて行った木陰の方を見る。遠くからでは、暗くて人の姿も確認できない。

「彼女は以前から、僕たちみたいな化け物が好き勝手に暴れないよう管理してくれているんだ。助かっているよ。小さいころはやんちゃで青いマントなんかしちゃっててね。人を襲っては血を吸っていたんだけど、今はもうそんなこともなくなって、っとこれはオフレコでお願いね」

 李が笑い交じりで話す。

 さきほど暴れていた狼人間とは思えないほど、気さくな人であった。

 如月は一つ、李に提案する。学校のトイレまでついてきてほしい旨を伝えると、最初は不思議そうな顔をされたが、引き受けてもらえた。

「謝罪の意味も含めてね。彼女ばかりに尻を拭いてもらうわけにもいかないし」

 李はまた笑ってみせた。

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