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第三話「奉仕」 3

3.

 如月は誰もいない図書室を訪れる。窓越しにぼやけた町内放送が聞こえ、部活動の掛け声がそれをかき消す。

 夕暮れも時の明りが影とくっきりと分かれていて、そこを行き来する。てっきり卒業生名簿を管理しているものだと思っていた。

 トイレの鏡の中の人物について、手がかりを得ようとしていたが、とんだ無駄足だ。

 窓から外を眺め、自分の家の方を見る。

「もっと必死に……彼女みたいに……ってどうすりゃいいんだ」

 思えば何もしてこなかった。バイトもなにも初めてで、言われてきたこととそれから外見を気にかけて勉強だけはしてきていた。

おかげで転校先でも勉強についてはいけているのだが、一旦、躓くともう駄目だ。

 一人ぼやいていると時間だけが過ぎていく。カチリと時計の音がしたかと思えば、時刻は五時を差しており、帰宅しようとする。

 コンコンと今度は別の音が鳴る。乾いた音の方を見れば、鋭い目つきの船山が本棚に寄りかかっていた。

「何か探しているのか?」

「あ、あぁ。この学校の伝説を探しているんですけど」

 虚を突いて現れた船山に驚いたがすぐに平静を取り戻す。

「都市伝説か? だから昼間、安部に聴こうとしてたのか。いやあいつだけは止めておけよマジで」

「肝に銘じておきます……」

「ついてこいよ。お前の言う探し物なら見つかるかもしれん」

 薄ら笑う船山を見て、普段からそのような目つきなのだろうと、如月は思った。

 階段を下りて廊下を行き、着いたところは校舎の中でも端の端にある一室だった。室名札は外されていて、外から室内の様子は暗くてよく見えない。

 船山が先に扉を開けた。それに続く。

 二人横に並ぶのがやっとの、取って付けられたかのような一室には、ダンボールがいくつも置かれていた。疎らに積み上げられ、そこら中には紙が散乱している。

「これは、新聞?」

 足元の紙を拾い上げ、眼前に持ってきてようやく分かった。

「学校新聞だ。ここにあるモノ全部な。物好きしか見ねぇから、寂れた部屋に保管してあるんだ」

「ここにあるもの、全部」

「今朝の新聞にも載っていただろ。都市伝説のこと知りたいなら新聞見るのが一番だ」

 船山は自分の背丈ほど積まれたダンボールのある部屋の奥まで歩く。

「で、なにが知りたいんだったか」

「……青マント、それからトイレの鏡のことでちょっと気になってて。青マントの方は一度、図書室の新聞で見たんだけど鏡の方は、話には聞いていて」

「誰から聞いた?」

「田中先輩、でいいのかな。生徒会長やってるみたいなんですけど」

「そうなのか。如月は意外と交友関係広く持つタイプなのか?」

「偶然会ったんです。学校見学に来た時に」

 船山は既に探し始めていて、ここじゃないそこじゃないとダンボールを漁り、見つけるなり如月の方へ放り投げた。

 全部で三つほどだ。如月は外に出てその内容を追う。

 トイレで女子学生に襲われた体験談が二つと、それから鏡の中に入った体験談が一つだけ書かれていた。鏡の中に入る寸前に、女子学生の姿を見たという一件は如月の体験と酷似していた。

 声が聞こえて、数分もすれば鏡の中から出してもらえる。

「どうだ。なにか為になったか」

 船山が新聞を覗いてくる。

 如月は礼を言い、新聞の保管室を後にした。まだわずかに明るい廊下を、昇降口目指して歩く。ゆったりと後ろからついてくる足音は、船山のものだ。

「なにか、したいことでもあるのか」

 船山のそれは独り言のようであった。

「それはどういう」

「眼がマジだったぞ。まるで、自分が体験したみたいに」

「そんな、まさか」

「別に隠すことじゃない。都市伝説は実際に起きるんだよ。ずっと昔から言われてる」

 昼間とは打って変わって、後ろから聞こえてくる声には圧がある。

「そんなまさか、ありえない」

「俺もこの学校で見るまでは信じてなかったさ。あいつ、宮子の言ってることだってマジになって聞いたことは一度だってなかった」

「見たって、一体、何を」

「いやなに、俺には何もできなかったからよ。せめてあいつだけでも、っと」

 先に人影を見つけて、ぴたりと足を止めた。

 烏羽だ。二人に気付くと、張り詰めた空気を破るかのように歩み寄る。

「なぁ二人とも、田中を見なかったか。生徒会長の田中」

「見てないっすけど。さっきは図書室にもいなかったっすね」

「そうか。まぁいいか。二人に頼みたいんだが」

「もう帰るんで遠慮しときます」

「むぅ……気をつけて帰れよ。近頃、物騒だからな」

 烏羽は校舎の中へ戻っていった。

 特に話をすることなく、二人は校門で別れた。

 如月は坂を下る途中、何度か振り返る。けれど、そこには誰もいない。船山の発言が気になって校門まで戻ったが、無駄足だった。

 学校からはまだ野球部の喧騒が聞こえ、孤独感を強くする。

 夕闇の中、ぽつりと立っていた如月は、今一度、校舎の方へと足を向けた。

 忍び足で入っていき、トイレへ向かう前に新聞の保管室へ寄った。

「ん……?」

 保管室の扉は開かない。

 鍵がかかっていた。



 学校見学へ来た時に利用したトイレを目指す。

 外灯を頼りに、如月は素早い足取りで進んだ。部活動の喧騒も止み、世の中から隔離されたかのような空間が出来上がる。

 震える足をぐっと叩き、入っていく。電気をつけても、タイルが照り返す異様な明りが目の毒であった。

 手洗い場の鏡の前に行き、誰もいないはずの自分の後ろを見続けた。鳥肌が立っても、足が震えて動けなくとも止めない。

「いるのか……?」

 如月が恐る恐る口にすれば、しばらくして返事がきた。

 聞いたことのある、こもったような声だった。

「あのとキのヤつか。なにしにキタ」

 姿は見えないが確かに聞こえる。

 如月は辺りを見回してから、自分自身と話すように鏡と向き合う。

「キミのことを知りたくなった」

「なに言ってンだおまえ」

「キミがなんなのか、誰なのか知りたい。名前でも、好きな物でもなんでもいい。教えてほしいんだ」

「かえレかエれ。話す気はない」

「いくらでも鏡の中に入れてくれてもいい。だから、どうか」

「お前マるでシ人だな」

「し、にん?」

「あぁ。水を求メル、干からびたガエルミたイダ」

 心臓が跳ねた。

「なにをソんなに、焦っていル?」

 言葉が胸中を抉る。鏡に映る自分がしゃべっているかのようであった。

 間を置かずに、バチンと強烈な音が響いた。そして辺りは暗くなる。

 トイレの蛍光灯が割れたのだ。

 如月が寒気を感じ、辺りを見回す。トイレの奥、暗闇の先には、誰もいないはずだった。

 空いている個室の中から、ぼんやりと白光りする指が、一本二本三本と見せびらかすように伸びて扉にかかっていく。遠目からでもよくわかるほど、爪は真っ赤であった。

 叫べず、動けず、金縛りにでもあったかのようで、如月はただ立ち尽くす。その間にも指はまた一本と増えていく。

 ぐるぐると考えが巡り、肝が冷え、臓物が持ち上がる感覚に吐き気を催した。そこで思考は完全に停止する。顎は痙攣し、足は小刻みに震えた。だらだらと全身から汗を垂れ流し、けれど目は離せずにいる。

 また一本と指が増え、十本揃うまでどれほどの時間が経ったのか、定かではない。

 それからぬっと現れたのは、おかっぱ頭の白い肌の、それから白目の無い、まるでそこだけ繰り抜かれたかのような黒一色の目で――。

 ぐいと体が引かれ、息が止まったかと思えば空中を浮遊し、次に背中を強く打ち付けた。体を反ってせき込む。

 涙目でなんとか体を反転させると、白い指は消えていた。

「おい。平気か」

 頭上から声がする。

 反射的にそちらを見る。そこには背の低い、小振袖の女子がいた。

「しかしなんでまた……うわっこっちにきた」

 少女は如月を一瞥すると、トイレの鏡の方を向き直る。

 鏡には少女の姿、ではなく先ほど如月が一瞬だけ姿を確認した、輪郭のはっきりとしないおかっぱの人間がいる。

「ねぇアナタ。さっきここに、ヒトがいた気がするんだけど、どこに行ったか知らない?」

 おかっぱの人間が、歯の無い口を大きく開いて、鏡越しに尋ねた。

「いいや。私は何も見ていないが」

「おかしいわね」

「それよりどうした花子。お前が顔を出すなんて何年、いや何十年ぶりか」

 少女の問いに答えることなく、去っていく。

 如月は、ようやく息を吐いた。うなる心臓を呼吸で整える。

 一部始終を見ていてもさっぱりであったが、とりあえず、今は鏡の中にいることだけを理解した。少女と一度、入れ替わりで来たことのある場所だ。

 少女が如月を見下ろす。

「行ったぞ」

「あ、あぁ。ありがとう」

「騒がれても面倒だしな。アイツが眠るまで、まぁしばらくここにいろ」

 言われたとおりに、腰を落ち着けることにした。

 どうせ腰が抜けて立てはしない。

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