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第三話「奉仕」 2

2.

 物憂げな表情の生徒や楽しそうに友と談笑する生徒の中に紛れて坂を上り、校門を抜ける。駅前からバスは出ているが、如月のように運動部に所属しない生徒は、運動のために坂を上ることが多い。

 昇降口先の廊下では、生徒たちが集まって道を塞ぎ、賑わっている。如月もちらりと集まりを覗き、壁の高い位置に新聞が一枚、掲示されていることを確認した。

「ほら、一年生のみんな、道塞いじゃ迷惑だから教室に戻ってください。早く」

 横から現れたのは風紀委員三名で、如月のクラスの冨田伊佐美がいた。

 冨田の言った通り、集まっているのは一年生が多い。中にちらほら二、三年の生徒が混じっている程度だ。

 注意を受けた生徒たちはすぐに散って廊下を後にし、一人、如月が残る形となった。

「おはよう、如月くん」

 挨拶をされ、身体が強張る。

 如月は冨田の青色の眼を見ながら口を開いた。

「おはようございます。朝から大変ですね」

 冨田は残り二人の風紀委員に目配せし、この場から離れさせてから、また如月の方を向く。ふんすっと鼻を鳴らし、不機嫌を態度で示した。

「まったくだよ。うちの新聞部は困る」

「新聞部。そういえば、この間は――」

 冨田の眼が一瞬だけ鋭く光る。

 息が詰まり、咳払いをしてから続けた。蛇に睨まれたカエルだが、もとより赤い眼の話をするつもりは毛頭ない。

「――部活動見学。あのときは、新聞部を見学し損ねました」

「うーん。それなんだけどね。うちの新聞部は顧問がいなくて部室も持っていない。メンバーも不明だから紹介のしようがないんだよ」

「部活、なんでしょうかそれは」

「活動も不定期で、新聞を発行しては学校のどこかに貼り付けるんだよね。校舎裏だったり、職員室前だったり、どこかのクラス内だったり」

冨田は小さく「天文部は潰れるのになんでこの意味不明な部活が残っているのやら」と愚痴を吐く。それから続けて言った。

「先生方に取り締まってもらうよう言っても、生徒の自主性を重んじる、の一点張り。なのに、生徒たちのいざこざは風紀委員が取り締まるように言うもんだから、こうして仕事する始末」

「それは、冨田さんを信用しているからなのでは」

「労ってくれるのはもうキミくらいしかいないよ」

 風紀委員としての活動に疲れているようで、如月は苦笑いを浮かべる。

「この新聞。俺は見ても?」

「さすがに見る行為まで取り締まりはしないよ。でも如月くん。キミは見ない方がいいかもしれない。中には時事問題を取り上げているものもあるから。その、ね」

「いや見ます。というか見てみたい」

 図書館で田中と出会った時に過去のものであるが一度、目にしているものだ。便所の鏡について手がかりになることが書かれているかもしれないわけである。

 壁に近づいて記事を読む。途中、指で字を追わずにはいられなかった。

「……大丈夫?」

 冨田が背中から声をかけた。

 如月は軽く頷き、小さくまとめられた都市伝説に関する記事まで読んだ。指で追っていたのは、如月の父が起こした電車の脱線事故の記事である。

 重症者二十数名、死者十数名、時期や時刻、運転難所である急なカーブでの速度超過といった事故の原因まできちんと載っている。ただ既出の情報である車掌、運転士、鉄道会社の名が省かれていた。

 横に冨田は立って、小さい声で周りに聞こえないよう喋った。

「今回の新聞は、悪意がある。先生方に申告したけど、もう目にしていた生徒が何人かいてね。取っ払ったら、逆に怪しまれるということで、そのままにしてある」

「何度も見てきたものだから、慣れています。それにもし悪意があったとしても、これを作ることで気が紛れるなら、それに越したことはないです」

「……そっか。無理はしないことだよ」

「ありがとう。あと一つ気になる記事があるんですが。この都市伝説の」

 小さな記事を指差して、説明を請う。

 トイレの鏡については書かれていなかったが、狼人間の目撃情報が書かれている。


 ――深夜二時の駅前で狼人間の姿を会社員の男性(28)が目撃――。


 そのように記事は始まっていた。

 冨田は肩から力を抜いて首を横に振る。

「嘘っぱちだよ。嘘っぱち。まず、深夜の二時の駅前に何の用事があるの? それにどこそこの駅前とは明確に書かれていないよ」

「言われてみれば」「でしょ?」「じゃあ」と続き、如月は静かに、恐る恐る尋ねる。

「青マントってやつも、嘘なんでしょうか。あとトイレの鏡についても」

 沈黙の後、冨田はただ真っ直ぐ、新聞の方を向いていた。

「どこで聞いたか知らないけれど青マントもトイレも、ただの嘘。だから嘘として信じていて。他の人と話す分には構わないから」

 それから如月の背中を叩いて、

「さあ如月くんも教室に戻った戻った」

 と元気よく言う。



 昼は冨田、船山、阿部、如月の四人で教室に集まり一緒に弁当をつつく。

 箸を動かしている時、如月はガヤに耳を貸すが、あまり新聞の話題を聞かない。聞いても狼人間の話で、脱線事故の話は聞かない。

 船山と安部も新聞の話を振らずにいる。

 冨田は如月の事情を知っているようだが、他の生徒はどうであるのか。三人の話を聞きながら笑って時折、弁当箱の底を箸でつつく。

 話しが途切れたところで、ふいに蘭の顔を思い出す。少なくとも蘭は知らなかった。

三人に尋ねることにした。

「そういえば船山くんと安部さんは新聞見ました?」

「ああ、昇降口前の」と船山が答える。

「そう昇降口前のやつです。電車の事故と、それから狼人間について書かれている新聞」

「電車のやつって、はぐっ、結構前のやつらよねー。はぐはぐ、なんでいまさら」

「行儀が悪い」

船山は続けた。

「転校してきたから、珍しいんじゃないか? 怪奇新聞って言ってな。うちの新聞部は不定期でああやって新聞を発行するんだ。その記事もまた変わっていて」

 その話は私がした、と冨田が言う。

「なんだ、そうなのか」

「クラスのみんなもその話をしないのはなんでだろうって思って」

「学校の新聞って割には学校の事は書いてなくて真面目な記事だろ? わざわざ話すようなことじゃないと思ってるわけだ」

「オーカミニンゲン、オーカミニンゲンについて、わたくしは話をしたいわけですが」

 安部がずいと前に出ると、他二人は呆れたように息を吐く。

「まあ俺らが話をしないのは、こいつがそっちのマニアだから。話しだしたらキリがない」

「都市伝説マニアっす」

「みんなが話をしないのは、まぁオカルトなんて作り話だからな。狼人間なんているわけがない。それとその手の噂話は聞き飽きてるんだ」

「作り話じゃないしっ。私は実際に目撃してるしっ。UMAはいます、いるんです。しょーこの写真みせてやろーか。おう見せてやろーじゃねーの」

 安部はふーっと犬のように唸り、一人張り切り立ち上がる。

 席を離れようとしたところで如月は尋ねた。

「その、噂話ってどんなものがあるんですか?」

「え、マジ。ナカーマ? うれちー」

「そっか、そうだな。俺らは聞き飽きてるが、転入生には珍しいもんな」

「ならなおさら持ってこなくっちゃ」

「委員会の集まりがあるから、私はそろそろ席を外すよ」

 冨田も席を立ち、二人して教室を出た。

 残ったのは男二人。

 如月は船山の鋭い眼差しで体が強張る。

 やはり、睨まれているような気がしてならない。

「そう露骨に警戒されると傷つく。取って食ったりなんかしねえよ」

「いや、ははは。冨田さん忙しそうですね。今日も朝から新聞前の人だかりを捌いてましたし、もしかして中学校にいたころからあんな感じ?」

「そうだなあ。中学のころから、何かと誰かのためになるようなことを引き受けていたな。いやでも、中一のころはホントひどかったよ。泣かず笑わず怒らずのまさに人形。友だちもいなくて、給食も一人ぽつんと食っていてな。ようやくできた一人の友だちのおかげで、今に至る」

 相槌を止めて如月は尋ねる。

「その友だちは船山くん? それとも安部さん?」

「俺らじゃねえな。そいつは今は他校にいるんだ。ああ、冨田にはこの話してやるなよ」

「難儀な話?」

「まぁ、これだけは触れてやるな。仲は良かったんだ、それこそ人形冨田の性格が変わるほどにはな」

 念を押される。

「冨田のこと好きか?」

 ふいに話が飛んだ。

 脈絡がありそうで無い質問に、水筒に伸ばしていた手が止まったが、すぐに何もなかったかのように水筒を取り、口をつける。

 冷たい水が喉を通る間に考えはしたものの、答えはでない。

 冨田は容姿がよく面倒見もいい。

 元よりほれっぽい性格ではないものの、あの変貌した様子さえ見ていなければ、いずれはそうなっていただろう、ということだけは見当が付いた。

「いい人。でも、綺麗で人望もあって、高嶺の花って感じです。遠くからで十分」

「めずらしいんだ、あいつを異性として好きにならないやつは」

「確かに綺麗ですけど。好きになるかどうかの話は、もっと内面とか」

「まぁ、そうなんだがな。まぁいいさ。そういやなんだっけ、都市伝説の話だっけ?」

 船山は時折、柔和な表情を混ぜながら話をする。

 気さくな男子で、話をしている最中でも何人かの生徒が話しかけてきていた。

 写真やら記事やら大量に抱えた安部が戻ってくるまでは、男子二人の会話は平穏そのものだった。

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