42 驚きの変化
少しだけ崩れた壁は、木々に紛れて目立たない。そもそも古びた建物なので、そんな見た目は仔細な話だ。
礼拝堂は正面、裏が住宅用。ひっそりと孤児院が併設されている。ここは小さな教会だ。貴族用の大きな教会は、そちらの地区に併設している。市民が憩う場所であり――私の今の住処。
ていうか、研修先? ここに住むのは、二週間もない。
現状私は、所在を隠しつつ平民訓練(主に市民訓練)を行いつつ、受け入れ先を探していただいている状態である。
「あら、おかえりなさい」
「おねえちゃん!」
「おかえりなさい、なあ、あった? おいしいのあった?」
裏の門から入って、すぐに声がかかった。
修道女のおばさま、孤児でここに暮している子どもたち。
駆け出すのは三人。私のスカートを引っ張って、買い物かごの中身を見ようとしている。
テル君も大きな荷物を持っているのに、なぜかそちらには近寄らない。というかテル君の「近づくな」オーラが溢れているのかもしれない。ちら、といたずら小僧の一人がテルくんを見た後、急に方向転換してこっちに来た。
「だめ」
ちょっと、バランスを崩しそうになる。子ども三人分の体重、しかも皆元気なのよね。ぴょこぴょこジャンプして、可愛い。
「リンゴ、欲しい」
そんな中、一人がテルくんにテクテク近づいた。じ、と箱を見る。
ぴょこんと、黄金色の髪から同じ色の耳が覗く。
くそう、かわいいいいいい!
「やらねえよ」
テル君は無情にも、その女の子を一瞥拒否。ちょっと無表情気味の獣耳の女の子が、手を伸ばしかけて、む、とその動作をやめた。
残念そうに、その眉を寄せている。
「あとでパイにするから、それまで待ってね」
修道女のおばさまが、そう付け加える。
「ナマでいいのに……」
「ネネルは獣人混じりだから、ナマがいいんだよなー」
「ヤバン~」
ぼそり、と女の子がつぶやいたその言葉に、私にまとわりついた子どもが囃し立てた。ネネルちゃん、ぐ、と眉間に皺が寄る。うわあ、可愛い顔が台無しだ。そのまま耳と尻尾がぶわわわわ、と毛羽立つ。
フー、と怒ってるネコと同じく声が漏れて、若いい顔が戦闘モードに突入する。あああ、その姿さえも可愛い。この子の服はちょっと流行から外れた田舎ドレスの子供用なんだけど、そういうのも似合うなあ。ちょっと大きめだけど、その分動きやすそう。ぐ、と足に力が入っているのが分かる。
「こら、そういう言い方はやめなさい」
修道女のおばさまがたしなめる。強めの声にも、男の子はへこたれない。
「怖くないぞ!」
「ネネルが一番弱いもん! かけっこも遅いもん!」
頷いて笑う。ケラ、とその口が歪んだのが、勿体ない。
皆、可愛いさかりの子どもなのに。
「だめだよ」
私がそう声をだすと、二人は顔を見合わせて、「はぁい」とやる気のない返事をした。
「生のリンゴ、美味しいのに嫌いなの?」
まあ、今日のリンゴは酸っぱいけどさ。
重ねて問う。二人はバツの悪そうな顔をして、私から離れた。
「「……」」
「ねえ、嫌い?」
離れたって逃してやらない。二人の目線に合うように、しゃがみこんで見上げると、むむむ、とその顔が赤面しつつもうつむくと、私は自分の勝ちを確信した。
「「すき」」
二人が声を揃えて言った。まっかっかの顔で、耳まで赤い。
「そう」
私はその様子が、すごく嬉しくて笑う。
「ごめんなさい」
「……ごめん」
「うん」
ちゃんと二人は、ネネルちゃんに頭を下げる。
ネネルちゃんも、フー、でシャー、の可愛い臨戦態勢モードから、落ち着きを取り戻した可愛い通常モードだ。うん可愛い。
二人の肩からは力が抜けて、ほ、と吐息が聞こえた。
満足満足。
私が立ち上がろうとすると、買い物かごが奪われた。
「俺、シスターのお手伝いする!」
「あら、ありがとう」
そう、見守っていたもう一人の男の子が、私の隙を突いたのだ。無念! 私が持っていこうと思ってたのに。
「俺もする!」
「する!」
「二人はまず、泥を落としなさい」
「「はーい」」
そう言いながら、男の子三人組が走る。
お手伝いのご褒美のつまみ食いを狙ってるのかしら? その足取りは軽くて、飛び跳ねるみたいだ。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「うん」
いやいやそんな、こんな可愛い子に突っかかる男の子が悪いのよ! いや、このくらいの年頃は、好きな子程虐めたいんだっけ? ユーフェミア時代の周りの男子共は、嫌いな子を避ける、いじめる、おとしめる、だったけど、市井の子どもは私の前世の小学校男子と一緒かな。うんうん、青春なら仕方ないよね。でもこんなに可愛い女の子をイジメるのは、やっぱりダメだと思うよ。
しゃがんだままの私に近づいたネネルちゃんの頭は間近。だって可愛い黄金色のお耳様がふわ、ふわって目の前で動いている。私はどうしたらいいんだろう、撫でたい。でも耳って繊細な部分だし、動物好きだからって頭なでたら逆に失礼にならないかな。せっかくなら好かれたい。好かれたい!
ぐるぐる考えている間に、ネネルちゃんはニコ、と私に笑って、そのまま離れていった。
後ろ姿もキュートだわー。狸系ではないと思うんだけど、尻尾が長くて先が太めなんだよね、いやあ獣人ていいですな。
「サラお姉ちゃんは、ぼーっとしてシスターを手伝わずタダ飯食べるつもり?」
スタ君が、しゃがみっぱなしの私にそう声をかけて追い越すと、他の二人が横に並んだ。
「働く!」
ふん、と立ち上がる。
私の体だって、飛び跳ねるみたいに軽い。
そう、もう私の体は飛び跳ねることだってできる、走ることも、リンゴの箱を片手で持つことも、なんならリンゴを握りつぶすことも、そろそろできそうだ。
もう少ししたら、木々に飛び乗ってやっほー忍者、とかできそうなのが本気で怖い。そう、ただでさえ日に日に筋肉がついてきて、なんだかマッチョな予感とともに、在りし日の父の姿が瞼の裏にシルエットで、冷や汗が止まらなくなるということを、誰にも知られてはいけないのだ。
私が倒れていたのは一週間前のことなのですけれど、一体どういう原理で一週間程度で筋肉がつくの。ファンタジー怖い。だいたい外見はおとなしく、ちょっと細腕でいかにも運動できなさそうな優女なのがもっと怖い。顔の印象は勝ち気で、意地っ張りそうなんだよね、とは毒舌なスタ君のお言葉です。
「サラさんなのね? よかった、ようやく名前が呼べるわ」
「はい。サラです」
追いついたら、子どもをあやしながらシスターが私を気遣ってくれた。
修道士三人組以外だと、まだまだ緊張する。思わず敬語で返してしまって、失敗に顔をしかめる。シスターはそんな私の手を取ると、よかったわ、と微笑んだ。手にはマメができていて、少し堅い。
サラさん、と名前をつぶやいて、私はそれに頷く。
「私の出家前の服も、よく似合っているわ。古くてごめんなさいね」
「ううん、嬉しい」
ちょっと端がほつれているくらいで、とっても着やすい。リネンっぽい素材でできていて、ちょっと固いけれども丈夫で着やすい。汚れが付いた後も、少々手荒に洗っても大丈夫なのだ。しかもブラウスとか、三着もくれたんだよね、シスター太っ腹! 痩せてるシスターだけど。
ちょうど古着屋に出すところだったから、と少ないお金で交換してくれたのはスカートとベストだ。お互いにいい買い物だった。私のお金は教会からの借金だけどね! 早く返さないと――そして無視してるお金の問題もあるしね。ああ、今度総教会に行ったら、もう一回聞かないと。
「ありがとうございます」
お礼に頭を下げようとして、自然と手を前に重ね――その瞬間、パン、と大きい音が鳴った。
「ほら、ご飯の用意でしょ! シスター・クレア、僕達、どうすればいいですか」
それはスタ君が手を叩いた音で、その視線は厳しい試験管の目だった。
おっと、重ねた手を崩す。
「そうね、小麦のゴミを避けて、野菜を切ってもらえたら嬉しいわ。サラさんは――果物の皮を剥いたことはある?」
前世ではありありのアリ、ですが、もちろん現世でなしなしのナシです。
首を振ると、ヨーイ君が「お……私が教えます」と私の手首をとった。
「とりあえず、ケガしないように気をつけましょう!」
「ご飯、楽しみ」
総勢十数人のご飯を作るのは重労働、そして今日はパイもあり、お肉もありのごちそうの予定らしい。パンモドキはもう一週間分できていて、後はごった煮スープとパイと肉。肉、肉は久しぶりだ!
穏やかな日常は、新しく学ぶことが多くて、私の以前の日常が、どれだけ狭い世界の範囲だったのかを思い知らされる。
総教会にいたままでなく、外の世界に出て、こうやって色んな人と触れ合う度に、大げさだけれど生きてると感じる。
ちょっとだけケガをする度に、生身の体だと少しうれしくなって、そういう様子が危ういのだと試験管役の三人は怒る。
「スタ君、ごめんなさい」
「いえいえ、そのための俺……僕達ですから。
何度も言ってる通り、僕達以外に事情は知らないですし、知ってても気が付きませんよ」
スタ君は他の子どもと一緒に、野菜の下ごしらえをしている。
虫が付いたのもあるらしく、うわぁ、と情けない声が遠くで聞こえた。
「ドリムイ様の仰ったとおり、僕達の視野の狭さというのも認識できました」
ヨーイ君が、へへへ、と笑った。渡された大きな籠には、小型のナイフが入っている。手に取ると、キラリと自分の顔が反射した。
オレンジに近い、茶色の髪に明るい緑の目。
市井の日常に紛れられる理由は、見た目が以前と全然違うからだ。
――あの日、母親が言ったとおり。
私の姿は偽りだった。
「大丈夫ですか?」
ヨーイ君が覗き込む。
「包丁って、どう持つの?」
きっと違うことを聞いたって分かってたけど、気づかないふりをして、問いかけた。
大丈夫、その理由はこの姿も気に入っているからだ。
軽い体に、他の人と紛れる容姿――だからって醜いことはない。
私の容姿について、事情を把握したのは二日前。
総教会の執務室だった。




