35 加護よさよなら有難う
「貴女みたいな醜い人、私は知りません」
絶対超絶天使ミャハミャハアリアたんですら、正義感に溢れてたよ。――方向性は違うけど、真逆で偽善で私の不幸を知らずに大人の階段に使用してましたけれども。
「綺麗なのは容姿だけ。妾を受け入れる器量もなければ、娘の個性を受け入れる度量もない。矮小とは貴女のためにある言葉でしょう。精霊の加護さえなければ、私も貴女なんかを母親とは思いたくありません」
『これが私の子どもなんて、……なんて情けない』
私に向けた言葉と似たそれを返しているだけなのに、母親はふつふつと怒りだした。
ありがとう、予想通り。
見えてはいないだろうけれど、私は首をかしげて大仰に言葉を続けた。
「加護……加護ねえ。
頭を下げでもすれば、もらってあげてもいいのだけれど」
上から目線の、傲慢な態度。
それに、母親が気づかないはずがない。
「お前……おまええええ!」
ヒステリックな母親は、わなわなと空気を震わせる。奥様、奥様と執事の声が弱々しく聞こえた。
母親が放った冷気にふれて、皮膚が震える。
この感覚、覚えてる。
確かな手応えを感じて、私は言葉を続けた。
「煩いわね」
ぴし、と空気に亀裂が入った。
「不思議だわ。――よくそれで、私に説教できるわね」
「加護など、――お前に加護など必要ない! これよりユーフェミアに合った加護を破棄しますっ、泣いて縋っても許さない!」
あ、はーい。
ピリピリと、私の体の中から、抜けていくものがあった。
破片のようなそれらは、私の体を傷つけながら外へ出ていく。
「……っ」
「ユーフェミアさま?」
異常にいち早く気が付いたマーガレットおばさまが、私に近づいた。
消えていく。
私の肉体の奥の奥に、入り込んでいた精霊の力の欠片。
加護の恩恵――その欠片。
なんだ、まだ私の中に居座っていたの。
一気に抜けていくそれは、精霊のちからだ。だから、本当なら魔力のある人しか見えないはずなのに、不思議と、目視で捉えることができた。ここが神聖な場所だから、魔力がない私の目にも見えるのかもしれない。聖堂の精霊だって、見えたもんね。
キラキラと、星の瞬きのように、揺らめいて、母親のところに戻っていく。
これが、母親に失望される度に起こっていたことなんだろう。
私の肉体から、光の欠片が抜けていく度に、体に力が入らなくなっていく。
ゆら、とついに立てなくなって、私はその場にしゃがみこんだ。
ひ、と誰かが悲鳴をのんだ。あちら側にしられてはいけないからと、配慮してくれたんだろう。口を押さえて、こちらを見るその子は、あの時の修道士の一人。テル君って言ったけ?
手をにぎる。感覚がある。大丈夫、前よりひどくない。少しずつでも、鍛錬を重ねていた成果だ。私が頑張った結果だ。
それは同時に、証明でもある。
私の体は加護なしで、回復することができる。
ここから、始めることができる。
近いうちに、歩いて、走って、飛び跳ねて遊ぶ。
傘を持つだけで疲れて、乗馬の授業に苦戦していた私から、変わることができる。
震える指先は、少しずつこわばっていく。昔馴染みの感覚だから、私はマーガレットおばさまに微笑みかけた。
声を張る。
「お母様、今まで有難うございました」
一応お礼は言ってやるぜ。私は大人ですから。
「私、安心して平民になることができます」
――予想外の、その贈り物、ありがたく受け取ります。
私は、ハイド様の婚約者として、多くの行事に同行し、社交の場にこの顔を晒した。
この世界の平民は、識字率は都市部に行けば五割とそこそこ高い。街では劇場や貸本屋やら、はやりを取り入れる服屋もあり、平民でも、金銭的に余裕のある人はそういうところにも通う。下級貴族と上級商人が積極的に婚姻を重ねている昨今だ。当然今回の王家の王子と最上級貴族のダメ娘との婚約破棄と、平民の綺羅星爆誕アリアたんの逆転婚約劇はまたたく間に広まっていることだろう――外見も含めて。
そうなのだ。
私の外見が性格と同じく地味なものだったらよかったのだが、美しい美しい母親似の顔立ちと珍しい水色から灰色の髪、そして紫色の目。バレバレである。
これは庶民の生活を勝ち得ても、王子の古い婚約者と周囲が勘付いてしまう可能性が高い。
『お前、さては婚約破棄された悪役令嬢だな!』
『きゃあああ! 犯罪者がここに、ここにいます!』
なんて拒否られたら生きていけない。
私が平民になる以上は、母親似のこの容姿がほんっとに邪魔――だった。
母親の話では、私はどうやら、母親とは似ても似つかぬ容姿らしい。
それだけでも、十分感謝に値する。
その事をおそらく一族以外は誰も知らない――王家ですら。
これは失望なんかじゃない、希望だ。――希望の光だ。
逃げられる。
あの、暗がりの選択肢から。
そもそも違う容姿になるのだ――スチルとも、何もかも。
引きつる頬に笑顔が浮かんだ。いつの間に駆けつけたのか、私の様子を確認する医者のおじいちゃんが、「感覚はありますか、ユーフェミア嬢、聞こえておりますか」と問いかける。小さく頷き、自分で立ち上がった。がくがく膝が笑うけど、私だって何回もこんな状況になっている経験がある。一度重心を決めれば、少しの力でも立ったままでいられる。問題は立ち上がる時の力だけだ。
「ユーフェミアさん」
母親側にいただろう総司祭様が、いつの間にか私の顔を覗き込む。
「このような機会をいただき、有難うございます」
本当に、断らなくてよかった。
触れるか触れないかで、留め置かれた手が、私の言葉に一度震えた。
嫌味じゃないよ、本当だよ。
唇をかみしめた後、総司祭様は私の望んだ答えをくれた。
「契約は解消されました。貴女に加護はありません」
開放された。
だから、ここからまた一歩、私は始めなきゃいけない。
「私、平民は平民でも、市民になろうと思っております」
農民にはきっと紛れられない。商人ではいられない。街に紛れるのが、私の現実的な逃げ道だろう。
「……つまり?」
「その鍛錬を、できるだけ早くお願い致します」
頭を下げた。
上級貴族にはあるまじきその行為。決心が伝わると良いんだけど。
「お願い致します」
重ねて告げる。頭を下げた私の表情なんて、誰にも見られない。
そしてそのまま、私は意識を失った。




