28 あたたかい手
「私が受けたその行いが、あまりにも分かりやすかったから、他の者達は貴女への扱いに気づきにくかったのかもしれません」
なんでもないことのように、おばさまが言う。
でもそれは。
それは、おばさまが、虐待を受けていたって言うことじゃないのか。
『分かりやすかった』?
こんな穏やかな人が、必死になって、逃げるくらい、酷い虐待だったってこと?
私の現状を、見てすぐ違和感に気がつくくらい、酷かったってこと?
思わずおばさまの手を取った。取っただけで何もできないけど、その痛みが、まだ残っているような、そんな気がしたから。
おばさまは少しびっくりして、でも私の手を握り返してくれた。
節くれだって、シワの多いその手は、とてもあたたかい。
「ドリムイはね、私が生き直すのを手伝ってくれたのよ、だから、と私も安心してしまって――ごめんなさい」
私の体に傷はない。
私への虐待は大概監禁、絶食、放置、無視。直接の危害を加えるものではないからだ。
体力は失われ、加護が弱まれば病気になり、怪我もしたけれど、加護の加護が再び私の体に宿れば、無かったことのように治癒する。
食事だって、一週間与えられなくても生きていける。取り澄まして姿勢を正し、ハイド様に微笑む事ができた。
それが加護だ。――精霊の加護と、対象の家族が受ける恩恵だ。
「傷の残らないやり方で、人を貶めることもできるのだと、リテ様――総司祭様も、ドリムイも……私も、知っていたの。でも、それを貴女に結びつけることが、すぐにはできなかった。
ごめんなさい」
それはそうだろう。
私に近しい人達ですら、気が付かなかった虐待を、どうして気がつくことができるのか。私が話さなければ、更に分からない。
私は、だから。
視界が歪んだ。そんな資格はないと、必死にこらえようとしたけれど、俯いた瞬間に涙が落ちた。
微笑みながら、おばさまは私の顔を覗き込む。
私も失礼にならないよう、顔を上げた。
「あの水受けにあったものは、見慣れたものだったのね」
頷いた。
「錆も、なにもかも、貴女は知って――知って、それを避けたのね」
頷いた。
声に出すことはできなくて、私はただ泣きながら、頷いた。
本当は、ちゃんと言葉にしなければいけないのに。
「ごめんなさい――もっと、早く気づいてあげられたら」
おばさまが、ちゃんと言ってくれたみたいに、言わないといけないのに。
抱きしめたおば様の、その手は温かい。
頬に流れ落ちる涙が、おばさまの手にも落ちて、申し訳ない。
小さく首を振ると、おばさまは顔をしかめた。
「だい、じょうぶ、です」
言葉は詰まりがちで、震えている。
おばさまは、私の手を強く握り直した。
「ユーフェミアさま
私が貴女を陥れたことに変わりはありません。
ですから、今回のこと、簡単に私を許さないでください」
ぐずぐずと泣く私の背中をおばさまはあいている片手でなでた。
どういうことだろう、私がぼんやりと見返すのを、おばさまも見つめ返す。
「でも、お……マーガレットさまは、私を気遣ってその選択をされたのでしょう?」
おそらくおばさまは私の現状に予想が立っていたんだろう。
私が強固に現状を伝えなかったことについても、自分自身に虐待の経験があるから分かっていた。
だからこそ、虐待されているからこそ、知り得ている事実を重ねて、罠を仕掛けたわけだ。
あー、恥ずかしい。
視野が狭い。
一人で不幸に入り浸って、出てこれなかったらどうするつもりだ。
ズビズビと鼻をすすりながら、私はこの後の一人反省会の開催を決心した。
二人ベッドで横並びに座って、向かい合う。その人の瞳はとても実直で、見慣れない私は戸惑ってしまう。
「ええ、そうね。私は貴女の為を思って罠を仕掛けました。ですけれどやったことは、貴女を傷つけた方と同じことよ。その行為は簡単に許されるものではありません。
――それに、想定外の事態もあったようですし」
そう言って、おばさまはトレイを見つめる。ちょっと寄せられた眉に、皺が深く刻まれる。ドリムイさんみたいな、顰め面は、柔和な顔のおばさまに似合わない。苦悩に眇められる目は、琥珀色でとてもきれい。――そういえば、目の色って、年齢とともに変わるのかな? さっき変わったって言ってたけど……そんな事、初めて聞いた。
「想定外、ですか」
ふわふわと、泣いた後で考えがうまくまとまらないまま、言葉を返す。思考があっちへきたり、こっちへ来たりとせわしない。
我慢できるものを、我慢できず激昂した自分が情けない。
「ええ。戒めねばなりません……意図を把握しないまま、悪意を重ねた者がいたようです」
悪ノリしてイタズラ仕掛けたお馬鹿さんがいたってこと? あー。
「それでも……事態が好転したことに、感謝いたします」
おばさまがいなければ、母親との直接対面は避けられなかっただろう。




