10 さよなら私の従者たち
静かな部屋の片隅で、もぐもぐと私は口を動かすことに集中していた。
あの後、夜になって、窓から月光が降り注いでいる。小さく遠くに、フクロウみたいな鳥の鳴く声が聞こえる。
足音はどこからも聞こえない。私の部屋は端にあって、暖房も当たり前のように切ってある。
以前なら、ここに私のメイドであった、クランシーがいるのだけれど――断罪が終わり、私の従者はすべて任を解かれた、んだって。外で口の軽いメイドさんがお話していましたよ。
『――だから、無駄だと申しましたのに』
ああやって、声をかけたクランシー。最後に声を聞けてよかった。聞こえてないかもしれないけど、ありがとうって言えてよかった。
本当なら、コラッドにもちゃんと伝えたかったけど、まあ全部の願いをかなえられるほど、現実は甘くないもんね。オッケーオーライ。あっちはそんなに気にしてないし、私だけの問題だし。
メイドのクランシーには、とってもかわいい、そして勇ましい従兄弟がいるのである。
その従兄弟、コラッドは可愛い顔をしてるんだけど、『マカリ』ではモブですらもない。残念。あのいい性格はぜひともアリアちゃんとの分岐がほしいところ。絡めば天然×天然の妙技で読めないシナリオに一喜一憂できる自信がある。
川に入って魚と山賊釣ってくるような、おちゃめな子だったからなー。
私に懐いてくれていたような気もする。苦しい修行から、傷だらけで帰ってきてくれたもの。――でも、野生が服着てひなたぼっこが大好きですと宣言するような天然が主だった性格だから、きっとすぐに別の主人を向けられて、「あ、今日から宜しくでーす」なんて言っててももう、納得できてしまう。
だってクランシーがそうだったんだから。
私に生涯を捧げます、と専従の儀礼をしたのは、結局は私という不完全なお嬢様未満の補助として、有能なメイドを引っ付けるためだったんだろう。
私の行動を唯一諌めるように、――それでも私を怒らせないようコントロールできたのは、乳母でも母でも妹でもなく、この子だった。
掴みどころないんだよなー、クランシーは。そんでコラッドは天然で空気読まないから読めないの。
思い出すと、少し笑ってしまう。遅れて目の奥がじわりと熱くなった。だから落ち着くために、私は深く息を吐く。
二人もきっと、他の人達と同じだ。
私が屋敷に帰ってきたら、もう別の人達の下について、きっちり仕事していたもの。
私付きだった頃は、お嬢様として命令した数々を、ちゃっちゃとやってくれた二人だった。でも、今思えばおバカさんな私が違和感があるくらいには、軽くあしらったり子供だましな対応もしていたんだよね。――アリアへのいじめだって、最終的には私自身の手でやった。つまり、従者たちは手伝ってはくれなかった。
表向き、私が信頼していた人たちは、私に従ってはいたけれど、本音はこんな我儘で無能な主人なんて嫌だったんだろう。
それに気づいたのも、あの寒々しい独房もどきの監禁部屋でのことだった。
私はこれでも、いろいろ教育やら賞与やら目をかけてたはずなんだけどなあ。
思い出さない間でも、現世の記憶の名残があったのか、私は他の貴族連中と比べ、待遇を良くしていたのだ。
賞与とか、前世の私が最も欲していたものだったからね。仕方ない。あのクリスマスの、女子会に参加する時に眼球を震わせながらATMの前にただ立つしかできなかったあれはトラウマだったなー。震える。私はあの時の寒々しい懐に震える。あれは、あの経験は二度とあってはならない。
――違う違う。
とにかく、そう私の大切な戦力としての従者さまには、手厚い保証のもののびのび育っていただいたという話。そういう話。私のトラウマはなし、忘れてください。
将来自分を支える人物なればと、教育のための資金や期間は惜しまなかった。クランシーは髪結が得意だったから、その道で有名なメイドがいる貴族に頼み込み、長期間修練に行かせた。コラッドは武術が得意で、でも規則的な戦術は不得意だったから、とある冒険で有名になった剣士に弟子入りさせた。他にも目をかけていた従者には同じように一人ひとりにあった教育と賞与を与えたつもりだ。もちろん辞めるという者もいたけど、条件を満たせば円満退職させたし。辞めた人も、手紙くれたり色々優しかったな。……それも、きっと私が今の地位にあればこそだったんだろうけど。うわー、泣ける。
今考えると、貴族として、この世界の人間としては非常識なことも含まれていたけれど、権力者のわがまま娘のやることだといって、けっこう無理聞いてもらったかな。
知ってる。
分かってる。
モブですらもないコラッドはともかく、クランシーは後日談のスチルで妹のミルフィランゼの側にいる。
あの子の要望に、スムーズに、すぐに対応し、付き従うシーンもあった。
――だから、諦める。
私が学園・公衆の面前・断罪後、帰ってきたら私のメイドも従者も一人もいなくなっていましたっていう話ですよ。ちゃんちゃん。
そうやって、物語は終わっていく。
――その方が、未練がなくていいかもしれない。
誰も残らないから、私はここに残らなくていい。
目線を合わせない、あの子達を置いていっても、いい。
そう、身軽になったんだ。
だから証拠に、笑ってみようと思ったんだけれど――あら不思議。私の目からは、ぼたぼた涙が出てきてしまった。
「……ぅ、い……いやだ」
小さく、抵抗するように声が出た。
だめだめ。
まだ家族はすぐに見切りがつけられたんだけど、従者の皆様方は私の我儘聞いてくれたり、気を遣ってくれたもんだから捨てきれないんだわ。
でも、ちゃんと区切りつけないと。
ぱん、と顔をたたいて涙を拭うと、冒険者セットの干し肉を無理やり口に詰め込んだ。