9 ビスケット恵めよ
愛しあう家族には、私の言葉は毒であったようである。
平手打ちを食らった後、私がテーブルクロス引いてお茶やらお菓子をひっくり返したのもまずかったかなー。
ああいうシリアスな状況でも、主人が落ち着くことができるよう気遣うことのできるこの、素晴らしい従者をたたえましょう。
料理人の美味しいジャムビスケットをたたえましょう。
乙女の行動を諌めるにしては厳しい拘束を受けたけど、みなさんの退出とともに、その戒めは解かれました。まだ後ろで私兵のおじさまが睨んでるけど。私服でも兵士。鋼の肉体に傷めつけられた私の手首はしばらく動かない。あと断食後の太ももも耐え切れない。
左側の頬がぷくぷくと腫れている。手のひらに薄っすらと冷気をまとわせて頬に当てると、傷ついた乙女のポーズで治療が可能である。口の端から血が流れているけれど、それはいい。じんわりと下に垂れているけれど、しばらくしたら固まるだろう。歯が折れてなくてよかった。乙女のポーズ。
珍しく私を魔法ではなく自らの肉体で傷めつけた母親は、打たれたこちらよりも先に倒れ、それを父親が真綿にくるむように優しく介抱した。――もち、ここで二人が私を睨みつけることは必須でした。らっぶらぶ夫婦、ふーふー!
子を産めないんですか? だったら浮気容認したらどうですかー。なんて、私だってこんな最低なことは言いたくない。男女を生む道具としてしか考えていないような、そんな倫理観を私は持っていない。
だけれど、それを是とする文化を、この人達は持っているはずだ。
貴族、なんだから。
――ああ。でも。
もしかしたら加護にも、子どもを生みやすくするようなものがあるのかもしれない。
ということは結果的に、夫婦が子どもを欲しがらなかったという事情があったのかな。
もちろん魔力もなく、精霊の加護もない私には当てはまらないことだったのだろうけれど。
加護やら魔法の基本概念は授業で習ってるんだけど、具体的な仕組みや効能? については私聞いてないんですよね。入門編なしにいきなり専門書渡されて「これ、明日試験あるから。」みたいな無茶振りばかりの授業だったの。私には魔力がないから無駄なんだって。簡易の生活様魔法陣以外の陣とか、詠唱による大規模魔法の発動とか、精霊の種類とか契約方法とか知りたかったよ。頭は悪いけど、豆知識は好きだし精霊とか付随する奇跡の物語は胸踊りますなー。リアルファンタジーって素敵。あ、騎士の授業でもいいよ。護身術は従者に習ったトリッキーなやつだけで、基礎体力はつけられなかった。
物事の基礎は大事。義務教育大事。能力がなくても、後々何に繋がるかはわかんないんだから、基礎に取り入れてくれないかなー。ま、もう関係ないけどね。
私が学園に通っていたのは、まあ人脈作りと死ぬ気で覚えろ学習系が主だったからして。そういう特殊技能の授業受けられなかった。
余った時間はすべて王妃となるための地獄の教育。一番嫌いなのが固有名詞。王国の情報、王家の名前百人言えるかな。私ホントそこら辺大の苦手です。前世でも同僚の名前は退職して1年で忘れてたんだよ。会話しててもだよ。
でも覚えたけどね。愛しのハイド様と家族のために。泣けるー。でももう忘れていいよ、はい。
よし忘れた。
思い出さない。
前世でも今世でも、一夫多妻制的な考えは良識には反するんだけどね。でもまあ、責任ある地位にあっては柔軟に対応するべき、ともわかっておりますのよ。
王妃の教育中、繰り返し教師に言われたことがある。
同じことを、義弟も言っていた。
貴族たるもの教養ある後継を育て、スペアを用意しするのは当然。
それが劣悪品であると評価が定まった段階で修正をかけるのが当たり前。
教養のある妾を容認し、しっかりと手綱を握りながら、子どもを産め、増やせ。
『魔力のない貴方には、その価値しかありません』
私がハイド様とアリアの関係を知り、悩んでいた時に状況をいち早く知った母親のセリフも、その考えを容認していたことの現れではないだろうか。
『両親から受け継ぐはずの膨大な魔力がない以上、教養以外にお前が磨くことのできる能力はないのよ』
『親に迷惑をかけることが、子どもにとって一番の不幸です』
『一族の名に恥じぬよう、しがみつきなさい』
根本では言っていることは変わらないそれが、自分に向かうと倒れてしまうお母様。
思えば能力の低さを認識していたのだろう。私にかけられる言葉はあの日から、鋭さを増した。
ハイド様の傍らに、アリアがいると一族が知ったその日。
思えば。
思えば、あの頃からもう。
――それじゃあ、敵前逃亡にも等しい。
私は期待も何もされてなかったんじゃないか。
期待してない私を、ただ言葉だけで圧迫してたんじゃないのか。
一瞬目の前が、クラグラと煮え立った。赤い粒子が視界の色を奪う。メイドも、従者も、私兵も視線が合わない。罪人に向ける視線はない。ただ歩く物を運ぶだけの仕事だからだ。
私は長い廊下を歩いた。前にいる元私のメイド――クランシーは、今はこの屋敷付きになっているらしい。衣装が私に付き従っていた時と違う。
後ろには、いつでも魔法を発動できるように従者が杖を持っている。魔力持ちの中級さんかしら?
この状況で、私が逃げるとでも思ってんのかこら。
「お入りください」
クランシーが鍵を取り出すと、魔法陣の張り付いたドアの下に差し込んだ。本来なら鍵などついていなかったけれど、魔法陣に仕掛けの空間があるらしい。鍵は吸い込まれて、かちり、と金属が噛み合う音がした。
前はこんなもの、ついていなかった。
私の部屋は外から鍵をかけられる仕様に変えられたのだ。
まあ、別にどうでもいい。この人達は、人形だ。私には関係のない、人形。
「これより部屋を出るには、旦那様の許可が必要となります。御用があれば中に置いている呼び鈴を鳴らしてくださいませ。ただ、旦那様からは、お嬢様の食事は運ばないようにと承っております。食事、お召し替え等はなさらぬようと」
そう告げたのは、クランシーだった。元は私の一番のメイド。専従の儀式もおこなった。彼女は、赤みがかった紫色のおかっぱで、前髪はその目が隠れるくらいに長い。もちろんゲームにも出てくる。スチルにも出てくるし、パターンは少ないが単体のキャラ絵もある。標準的な体型で、たぶん誰かのキャラのトレスじゃないかと思うくらいだった。
クランシーは、私よりも悪知恵が働き、私よりも狡猾で、私よりもよく動いた。
重宝していたそのメイドは、今や私を気遣う素振りを見せない。
了承の言葉を告げるより前に、後ろの従者が杖で私を押した。
叩くようなその様子を、誰も咎める様子なし。
「――だから、無駄だと申しましたのに」
部屋に入る間際、その声は確かに聞こえた。
クランシー。
私が学校に上る前、五歳の頃にやってきた。高飛車な私の言葉に応え、アイデアを実現するために手配をおこなった。毎朝私の髪を結ってくれたクランシー。
扉が閉じられる瞬間、誰にも聞こえないだろう声で「今までありがとう」と告げた。
まあ、こっそり置いてあったビスケットを食べながら待とうっと。
タイミング? もちろん母親の暴走に合わせてテーブルクロス倒した時です。なければ作るものですよ……と言うのは嘘。あれがなければ私が怒り狂ったフリして弟に殴りかかろうと思ってました。殴りたかった。だからジリジリ興味ないふりしながらテーブルに移動しました。
シャルト、あんた言ってたじゃん。
『妾でもなんでも良いから、僕を迎える前にご自身達で努力をしていただきたかった。こんな家よりも、前の家にいたほうがどれだけ幸せだったか。一人で生きていくほうが、どれだけ楽か……』
父親とも話してたって言ってたじゃん。現実でもゲームでも言ってたじゃん嘘つき。
「ああ、久しぶりの甘いものは美味しいわ……」
微弱な魔法でゲットしたビスケットの、ジャムがとろけて美味しいこと。アンズかしら? イチゴかしら?
私の魔法って、つくづく便利だな。
あそこにはたくさん魔力持ちがいて、魔法を感知する人たちもいたはずなんだけど、私が魔法を使っていても、あの人達うんともすんとも言わなかった。おそらく感知をするには、私の魔法は微弱なんだろう。そもそも『魔力持ち』ではない私は気にもされていない。ましてやあんな皆が正常な判断ができない状況で、通常起動し続けている魔法との区別なんてつかない、ってところだろうか。
でも怖くない? 私の魔法、自分のテリトリーだったら余裕で全種発動できる。だいたい手を広げるよりも大きいくらいかな。ちょっと届かないところのものも動かせます、みたいな。
暗殺とかにめっちゃ有用な能力だよね、これ。絶対使わないけど。
私の魔法は、おそらく他の魔力持ちにも気づかれない。つまり誰にも気づかれていない。
じゃなきゃ誰がアリアへのいじめの時に、水のないところに水たまり作ったり、泥を固めてころばしたり、お茶を一人だけ苦くできるもんですか。机の中に虫入れるのも、触れなかったから風の魔法で運んだし、ワインのシミがすぐに落ちないようにドレスにかけてからすぐ急速乾燥させたんですことよ。全部逆ハーキラキライケメンズにフォローされたから問題視されてないけどね。思えばあの時、ぼっちな私がどうしてそういうこと可能なのか追求されてたら危なかったよね。よかったー、まともな人間いなくて。今考えると、判明した途端アリアたんの加護的に私に魔法無効化の刑とかありそう。こわ。まあ死亡必至の毒のプレゼントはあったわけだからプラマイゼロだね。
貴族にとっては魔力がないと同じだと、幼き日に見捨てられた、弱小魔法舐めないでいただきたい。魔法はざっくりこんな種類ですよー。から、独学内緒でよくもまあここまで鍛えられたもんだ。ひとえに一人の時間が長かったからだな。死にそうな状況に何度も遭遇したけど誰も助けてくれなかったからだよねー。は、有難うございますお母様お父様。
おーっほっほ。
怒りに狂ったあの現場で、私が食料補給を考えていたなどと誰が気づいただろう。おま、コルセットガバガバなんだぞ。もう、人が死ぬくらいの食料だったんだぞ、プンプン。
水だけはちゃんとあるし、なんなら魔法で出してもいいし食料さえ調達できれば大丈夫。
ビスケットはちょっと贅沢に今全部食べちゃおう。あ、その前に部屋の中の隠し食料が没収されていなければゲットだぜ! 私の部屋の隠し扉、クランシーは知っているけど、両親は知らない。干し肉やら乾パンもどきや、料理人と実験に実験を重ねた非常食達がこっそり眠っている! 兵士や開拓者達の食糧事情を鑑みるとか言うお嬢様のお遊びに付き合ってくれた料理人さんありがとう!