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捏造の愛

作者: chi

思いついたので衝動的に書きました。

深い設定は決めずに書きましたので、分かりにくい、表現不足なところがあると思います。






 前世の記憶があって良かったと思ったのは、一度だけだった。





「彼を解放してあげてください」


 艶のある桃色の髪が風に揺れ、空の色のような碧い瞳が潤みながら見上げてくる。持つ色の美しさもさることながら、見た目もまた男が夢描くように愛らしい容姿の少女に詰め寄られれば、たとえ同性であろうとも心動くことがあったかもしれない。――けれど、今回相対することになった私には、残念ながらそのような情緒は存在しないようだった。


「なんのお話でしょう」

 口端だけを吊り上げて、ことりとわざとらしく首を傾げ問いかける。分かっているくせに、と意地悪さを指摘する声は此処にはない。

「パスヴィルくんのことです。いくらおうちに雇われているからといって、彼の人生は彼のものです。あなたが好き勝手に支配していいものではないと思うんです」

「まあ、支配だなんて」

 まるで舞台の上にでもいるようだ。彼女も、私も。広げた手のひらで、丸く開けた口を隠して驚きを現す。こんな所作を見たことがある。前世のことだろうか、それとも目の前にいる彼女が普段しているのだったか。

「人聞きの悪いことを言わないでくださいな。パスヴィルは確かに公爵家に仕えていますが、私に対して行っていることは皆彼の意思によるものですわ。私がこれをこうしてくれと、パスヴィルに命令したことなどありません」

 私が彼に望んだのはたった一つだけだ。けれどその一つを彼以外の人間が知ることなどありえない。

「全て、パスヴィルがしたいと思ってしていることですわ。私の傍から離れないのも、私の世話を焼くことも、貴女を拒絶するのも」

「で、でもそれは、ディティア様が公爵家の令嬢だから! 主の娘の機嫌を損ねられないからです。パスヴィルくんが本当にそうしたくてそうしているかどうかなんて、どうしてあなたに分かるんですか」

「……どうして、ですか」

 吐息が、こぼれた。

 一度出た笑いはもう止まず、口を手で隠したまま、くすくすと笑う。目の前の少女――伯爵令嬢のマリエは自分が嗤われたと思ったのか、眉を吊り上げて顔を赤くしたけれど、どうでもいい。

 私にとっては、彼以外の全てがどうでもいいのだ。

「……そうですね。どうしてわかるのでしょう。一度彼に聞いてみますわ。解放とやらをした方がいいのかどうか」


 笑いを顔に張り付けたまま、マリエの背後を見る。愛しい黒髪がすごい速さで近づいてくるのを見詰めながら、そういえば、と続けた。



「一つだけ、誤解のないようにお伝えしておきますわね。私もう、公爵家の令嬢ではありませんの。殿下の婚約者でもありません。貴族ですらありませんから、マリエ様もそのように対応してくださいませね」

 ようやく学園でのふさわしい振る舞いを覚えてきたマリエ様。平民になった私がその生活を監督することは、もう二度とないだろう。喜ばしいことだ。






 降りしきる雨の中、泥にまみれる彼を見つけたのは偶然ではない。

 この時に、ここに行けば会えるだろうことを知っていた。

「ちか、よるな……!」

 さながら手負いの獣のよう。いやまごうことなき獣なのかもしれない。言葉が話せることが奇跡のような環境で育った彼。人らしい生活などおくっていなかっただろう彼。傷だらけの小さな体、奴隷の証の首輪が赤く点滅しているのは、それを嵌めた人買いから遠く離れたからだ。逃げれば死ぬと知りながら、それでも一縷の希望を見て逃れてきた。


 前世においては見慣れ、今世では初めて見る、一度も染めたことのない他の色の混じらない、何処までも黒い髪。泥にまみれながらも輝くのは、魔力を持つ者の証でもある血のように赤いあかい瞳。そしてその周辺の肌を覆う、闇のように黒い痣。


――魔力を持つ者の中でも、特別強い力を持つものには時々このように体のどこかに黒く醜い痣が現れる。そのあまりの醜さに、生みの母でさえ躊躇なく捨ててしまうという。彼が首輪を嵌められているのも、そういうことだろう。その醜さにさえ耐え忍べば、魔力持ちは使い捨ての兵器として、非常に価値が高いから。


 黒い痣は見る者の心の奥底にある暗い淀みを想起させる。その醜さを、形状を、あらかじめ知っていなければ、私は彼の前に一分だって立っていられなかっただろう。逃げ出したくてたまらない。自分自身がどれほど醜くちっぽけな人間か、負の感情を掻き立てるこれを、これ以上見ていたくない。

 けれどもここで逃げたら、私はもう二度と欲しいものを手に入れられない。


 私は震える足を叱咤して、泥の中蹲る彼に近づき、その顔に触れた。

「――な…っ!?」

 近づいた距離を離される前に、黒い痣に指先で触れた。見た目に反して手触りは普通の肌と同じ。自分のものよりも乾燥した肌はあまり手触りは良くなかったけれど、普通の肌であることに安堵した。気の緩みと共に現れた笑みを意識して深くする。顔色の悪さに気づかせないために。

「『よかった。この痣は怪我ではないのね』」

「……!?」

「『ねえ、あなたの瞳、とてもきれいな色をしているのね。まるで宝石みたい!』」

 ルビーか、ガーネットか。残念ながら宝石には特に興味もないから、それくらいしか知らないけれど。確かに彼の瞳は宝石のように見えるかもしれない。でも私には、


 瞠目する彼の顔に己を近づけて、その醜くてたまらない痣にそっと口付けたのは、ヒロインの行動をなぞったのではない。私の意思だった。


「……まるで燃える炎のよう。私の一番好きな色だわ」






「――グランツール伯爵令嬢と、何の話をしていたんだ?」

 机の上の灯りしか光源のない狭い部屋の中、彼の低い声は良く響いた。


「なんだと思う?」

 くすくす笑う私は彼の膝の上にいる。一人用の特に広くもない部屋だが、椅子はちゃんと二脚ある。それなのに彼の部屋に連れ込まれたときはいつも、パスヴィルは私を膝の上から降ろさない。まるでお気に入りの人形を片時も離さない子供のよう。その執着が心地いい。


 黒髪に頬を摺り寄せた。あの時は泥だらけだった髪は、手ずから丁寧に整えたおかげで今は絹のように輝いている。


「貴方を解放してほしいって言われたわ」

「………」

「パスヴィルが居たくて私の傍にいるってどうしてわかるんですかって、言われたわ」


 私のまっすぐな灰色の髪が一房、彼の大きな手に握りしめられる。痛いとは言わない。不安を感じた時の彼の癖だと知っているから。



「貴方は私から解放されたい? パスヴィル。私の傍を離れて、私ではない人の世話を焼いて、私のいない人生を歩みたい?」

「嫌だ」



 低い拒絶の言葉は、獣の咆哮に似ていた。唇にかさつきつつも柔らかな感触が押し当てられる。緩やかに背を撫でていた手に腰を抱かれ、後頭部を押さえつけるように拘束されて。呼吸さえも奪うような口付けに、性欲よりも心が満たされた。



「あんたが手の届かない所に一瞬でもいるなんて嫌だ。あんた以外の人間に何かしてやろうなんて思うことはない。――ディティアのいない人生に意味なんてない」




 吐息がかかる距離のまま、真っ直ぐに見つめる炎のような赤い瞳。その目元を中心に黒い痣が浮かび上がっていく。奴隷の証の首輪はもうないけれど、パスヴィルは7年前のあの雨の日、10歳だった私が拾った奴隷だった。

 それまで一度も文句を言わず、子供に与えるには難題過ぎる課題を日々黙々と熟す私が、初めて言った我儘を公爵家の両親は渋りながらも結局は叶えてくれた。

 それからは私の従者として、護衛として教育し、お抱えの魔術師に師事させて魔力を操る術を身につけさせもした。その過程で、黒い痣を隠す術も習得し、今はこの貴族の学園に私の従者として通っている。長年共に成長した私でさえも時々見惚れるほどの美丈夫に成長した彼に、秋波をおくる女生徒は後を絶たない。けれどパスヴィルが執着するのは私だけ。

 私といる時だけ黒い痣を隠す術を解く。本当の彼を知っているのは、私だけなのだ。

 その事実を思えば、もう私はこの黒い痣が醜いものだと怯むことはない。あの日のように何度だって口付けることが出来る。





 前世の記憶があってよかったと思ったのは、あの時だけだった。


 平和で、豊かで、今の私がどんなに望んでも手に入れられないものを持っているくせに、もっともっとと欲深にない物ねだりをする前世の姿を思い出したところで、絶望と憎しみに心が支配されるだけだった。

 この世界は前世の私がやっていたゲームの世界によく似ていて、私は悪役令嬢、婚約者となるこの国の王子に浮気され、婚約を破棄され、家を追われ、最後には一人みじめに死ぬ。私の人生とは一体何なのか。何のために生まれて来たのか。絶望に心を食われそうになったけれど。

 一つだけ救いはあった。

 前世のゲームの知識のおかげで、私はたった一つだけ、欲しくてほしくて堪らないものを手に入れられることに気づいた。


 それがパスヴィルだった。


 奴隷として売られ、悪役令嬢とその家に虐げられ、人間以下の人生を余儀なくされていた彼は、ヒロインであるマリエに出会い救われる。死にかけていた心を救ってくれた彼女に心酔し、必要とあれば自分の全てを彼女に捧げる。心を、命を、力を、――愛を。

 だから私はパスヴィルを手に入れた。


 マリエよりも早く、マリエと同じように彼を救えば、その心は、命は、力は、愛は私のものになる。

 私は、『ディティアだけを愛してくれる人』を手に入れられる。



 ずっとそれが欲しかった。

 誰かに愛してほしかった。

 愛人の元に通ったままめったに帰ってこない母。娘を政治的な道具としての価値しか見出さない父。父を恐れ、必要最低限しか関わってこない使用人。私には誰もいなかったから。


 ――誰かを、愛したかった。




「俺はあんたのものだ。これまでもこれからもずっと!」

「そうね、パスヴィルは、私のもの。そして私は貴方のものよ。これまでもこれからも」


 黒い痣に口付ける。瞼に、額に、鼻に。

 また唇を奪われて、そのまま彼の腕の中に閉じ込められた。

 一生このまま、二人だけの世界に居られたらいいのに。



――そうしたら、何も不安に思うことなどなくなるのに。







 ここがゲームの世界なら、強制力というものがあるかもしれない。

 今は私が奪ったヒロインとパスヴィルの出会いのイベントの効果が続いているけれど、いつの日か、シナリオの通りに彼がマリエを愛する日が来るかもしれない。

 私が悪役令嬢に目覚め、王太子を愛する日が来るかもしれない。――パスヴィルと一緒にいるために、酷いやり方で婚約を破棄してしまったから、王太子妃になることは一生ないだろうけれど。


 それは明日かもしれないし、一週間後かも、一カ月後かもしれない。いつ愛が消えたっておかしくない。パスヴィルが私に向けてくれる愛は、私があの日ヒロインの振りをして捏造した作り物だから。


 でもたとえ、明日でも、一週間後でも、一カ月後でも構わない。

 少なくともその一瞬までは、彼の愛は私のものなのだから。




「愛してるわパスヴィル。ずっとずっと、――私が死ぬまで」


『私』という個が、死んでしまうまで






 愛が欲しいと泣きながら、愛がなんであるかを知らない私が、愛を信じられる日は来るのだろうか。







お読みいただきありがとうございました。

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