リョウくんに会いたい
(※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません)
最近、リョウ君と会っていないな。
いつもはぼくが帰ってくる時間になると、彼は家の玄関前で待ってくれているのに。
何かあったのだろうか。
ぼくは自室のドアを開けると、ベッドの上にカバンを放り投げた。
暑い。
右の手のひらで額の汗をなでると、手についた汗をズボンにごしごしとなすりつけた。
それからうつ伏せにベッドに倒れこみ、いま投げつけたカバンを、足の先で床に叩き落とした。
だるい。枕に顔を埋めたままこれからのことを考えた。
高校生になってからというもの、毎日帰宅すると憂鬱だったのだが、ここ数ヶ月はリョウ君のおかげでいくぶんか気が紛れていた。
しかし、リョウ君と会えなくなると、また気の重い日々の連続となった。
枕の下に両腕をはさみ、右肩が下になるよう体をねじると、棚の上にあるデジタル時計を見た。
時刻は十八時三十七分と表示されている。
あと少しで夕食の時間だ。
おやじはまだ帰ってきていない。
この状況はぼくの高校生活が終わるまでずっと続くのだろうか。
そう思うと、無性にリョウ君に会いたくなってくる。
ポケットにしまってあるスマートフォンが震えた。
スマホを取り出し、ホーム画面を立ち上げる。
かあさんからのメッセージだった。
夕飯の時間らしい。
ぼくは部屋を出て階段を降りると、リビングのドアを開けた。
かあさんが料理の乗った食器類を食卓に運んでいる最中だった。
ぼくは無言で食器棚からコップを取り出し、小さな引き出しから箸を三膳取り出した。
一膳はいま食卓についた母の前に、もう一膳をぼくの座る席の前に。そしてもう一膳を茶碗の伏せられた席の前に置いた。
かあさんが一言だけ生気のない声で「いただきます」と言うと、ぼくの家の夕食が始まった。
今日の夕飯はぼくの大好きなとんかつだった。
かあさんはいつもぼくの好みに合わせて献立を考えてくれる。
この状況にも関わらず、息子のことを一番に考えてくれるかあさんのことを思うと、罪悪感が込み上げてきて、むしろおいしく食べられないような気さえしてくる。
ぼくはソースを取ってとんかつにかけると、お米を一口ほおばり、それからとんかつを口に放り込んだ。
意に反してとんかつはめちゃくちゃ美味しかった。
が、なんだか喉の通りが悪い。忘れていた。
帰ってから一度も水分補給をしていなかったのだ。
この暑さのせいだ。
ぼくはコップを手にすると、洗面所に移動した。
蛇口に取り付けられた活水器から水をなみなみそそぐ。そしてそれを一気飲みする。
振り返ると、かあさんは音もなくご飯を食べ続けている。
テレビもつけていないリビングはしんと静まり返っている。
空になったコップ片手にぼくは母の背中をじっと見つめた。
ここしばらくはリョウ君と出会う日々が楽しく、あまり考えていなかったのだけど、その楽しみもなくなると、一気に現実に引き戻された気がしてくる。
なんだかかあさんの背中も以前に比べて小さくなった気がする。
腰が曲がってきたからだろうか。
おばあちゃんが背中を曲げながら歩いている姿が脳裏をよぎった。
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食事を終えると、ぼくは食器類を軽く水ですすぎ、形だけでも洗い物をする仕草をすると、かあさんが一言「いいから」と言ってくれた。
かあさんが言葉を発したのは食事直前の「いただきます」以来だった。
それからぼくは風呂場へ移動し、パネルのボタンを一度だけ押した。
家で風呂にお湯をはるのはぼくの役目だ。
ボタン一つでお湯は自動でたまる仕組みなので、ぼくの役目もあっという間に終わる。
風呂がたまるまで、ぼくは二階の自室に引きこもることにした。
ベッドに仰向けに倒れこみ、また考え事をする。
家のことやら学校での出来事を考えているうちに、ぼくは浅い眠りについた。
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ばたん、という扉の閉じる音でぼくは目が覚めた。
半目を開けると、ちょうど向かいにデジタル時計が見えた。
時刻は十九時四十五分を指していた。
やばい、寝すぎたかな。
かあさんは先に風呂に入ったろうか。
階下で廊下をバタバタと歩く音が聞こえてきた。
おやじが帰ってきたらしい。
階段を昇る音が聞こえ、廊下からドアの開閉する音が聞こえてきた。
ぼくは足を曲げてから勢いをつけて立ち上がった。
立ちくらみがする。
そのままよろよろしながら部屋を出ると、隣の部屋を見た。
いつもどおりおやじは部屋に直行したらしい。
ぼくは階段を降り、リビングのドアを開けると、かあさんがソファに座りながら虚ろな目でテレビを観ている姿が目に入った。
「大型の台風七号は、勢力を保ったまま、ゆっくりと中国の南部に接近しています。また台風八号は奄美地方に接近しており、このあと九州に上陸する恐れがあります。それでは奄美大島から中継です」
かあさんはぼくに気がつくと、
「お風呂たまってるわよ」
と抑揚のない声で言ってくれた。
ぼくはそれには返事をせずに食卓を見た。
席のひとつには茶碗が伏せられていた。すでに冷えてしまっている、と思われるとんかつの乗った皿には、サランラップがかけられていた。
一人称ふたりの視点で物語は続いていきます。