第七話「小さな溜息」
自分自身が、『化け物』と云われた事があるだろうか?
平凡な日常を送っていれば、そんな事は決して無いだろう。
もし過酷な出来事を背負ったとしても、それが明らかになっても、関係というはそのままで居られるだろうか。
私はそれが心配で、今の今までその事を隠し続けてきた。
隠し続けて、我慢し続けた。
――私は、その化け物だ。
そう思っている間、私と彼の間には大きな溝が出来てしまった。
それは『時間』と呼ばれる類のモノ。
過ぎていく時間。増えていく距離。加算されていく歳月。
その総てが、今の私たちを作り上げてしまった。
「アンジェ?……これが私の持っている、アルバムの一つです。見ていただけますか?」
「はい。拝見致します。……」
彼女はそう頷いて、真剣な表情を浮かべながらそのアルバムを眺める。
一つ一つの視線には、当時の私と現在の私を見比べているように見える。
それは仕方の無い事だろう。かつての私は、本物なのだから……。
そして今の私は。
――ただの偽物でしかないのだ。
「どうですか?実際に真実を見た感想は」
私は首を傾げて、彼女を悪戯っぽく見据える。
その様子が悪かったのか、彼女は目を伏せて頭を下げた。
「――まずは、謝罪を」
「えっと……アンジェ?何故貴女が頭を下げるのですか?」
「それは、無礼を詫びているのです。このアルバムの中には、彼の……お嬢様のお兄様との写真が多くありました。――がしかし、それは何故か途絶えていました」
「はい」
アルバムの前半。つまりは龍災前と後で、写真の日付に空白が存在している。
その空白が見て欲しかった証拠であり、限りなく血縁関係の有無を云わせる事の出来る物だ。
空白の時間は、数年。ページで云えば、数十ページにも及ぶものだ。
そのページを後にして、今の私の写真が現れるようになっている。
「これを見たアンジェの見解、聞かせてくれますか?」
「……僭越ながら、お嬢様。それは申し訳が」
「お願い、出来ますか?」
彼女の言葉を遮るように、私はそう催促する。
答えなんていうものがあるというのなら、この場合の答えは決まっている。
彼女の立場がもし、私と逆だったならば、私も同じ事をするからだ。
彼女は、ゆっくりとその場で正座をし始める。
そしてまたゆっくりと、彼女は深く、深く頭を下げた。
「――これは、私の家が勝手にやった事。つまりは貴女に、お嬢様と彼には、大変申し訳ない事をしたと心から謝罪致します。誠に、申し訳ございません。そして私たちを助けていただき……」
やがて彼女は顔を上げた。その瞳には、小さな光の粒が見えた。
「ありがとう、ございました」
「あれは私が勝手にやった事です。こちらこそ、貴女も私の事情に巻き込んでごめんなさい」
「お嬢様。貴女が私に謝る必要はありません。これは貴女の『代償』であり、本来は私たちが受けるべき対価というもの。私は、貴女の剣になる事を誓い、生涯を持って御守り致します」
「大げさですよ。アンジェ」
「――この命に変えても、御守り致します」
涙混じりの声は、懇願のようだった。
これは恐らく、罪滅ぼしという事なのだろう。
彼女だけが責任を負う必要はないのだが、このまま何も言わなければ彼女は納得しないだろう。
彼女はそういう人間で、本来は私の敵になるはずの人間だ。
その彼女が、今こうして目の前で頭を下げている。
「分かりました。改めて、宜しくお願いします。アンジェ」
「はい、お嬢様っ」
「でも私としては、彼の身も一緒に見守って頂けると嬉しいです」
「善処致します」
善処、か。写真を見たとしても、彼女にとってはまだ理解が及ばない所だ。
私の今の状態と、彼の今の状態には因果はない。
でもこれは運命で、宿命なのだろうと私は思ってしまう。
彼がまた龍に会った事とあの力を使った事は――。
「所でお嬢様。本当に彼をこの場所で?」
「ええ。あぁでも、私と彼が兄妹という事は、貴女にしか明かしませんので。くれぐれも内密に」
「宜しいのですか?彼に告げなくても」
「たった一度とはいえ、名前を呼んでくれた事。それだけで、あと数年は生きられます」
「ご冗談は止して下さい。お嬢様の冗談は、たまに冗談にならないものがありますよ」
「私は冗談なんて言いませんよ。これでも私、冗談はいつも嫌いですから」
そう言いながら、私は机の上にある書類を眺める。
分厚い辞典のような本と数枚のカルテ。そして、男性用の制服。
その中の一枚の書類を眺め、私は一つだけ溜息を吐く。
そこには『ドラグニカ収容施設』と記されているのだった――。