第五百十三話「九条咲としての選択Ⅳ」
詰められる距離。あと少しの所までやって来た私。
やがて、早くなった鼓動と抑えられなくなった衝動を解放する。
私は彼と……兄である霧原零に唇を重ねたのであった。
「っ……」
「なっ……シリアス場面で何しやがんだお前っ」
「だ、誰がシリアスなんて言ったんですか。そ、そんなの私には関係ありませんよ!」
彼が言った言葉を否定し、私は自分の中にある動揺を抑え込む。
距離を取りつつ、悟られないようにしながら指を差して口を開く。
「これが私の中にある思いですので、そこら辺……もう二度と忘れないで下さいね、霧原さん」
「お、おう」
「――そういう事ですので、叔父様。私、九条咲はまだやるべき事が出来ました」
彼の横を通り過ぎて、私は車から既に降りている養父にそう言った。
私が彼と唇を重ねようとした時から、焦った様子で養父は自動車から降りていた。
あんなに動揺した叔父様を見るのは、随分と久し振りな気がする。あの時以来だ……。
「行くのか?咲よ」
「はい、叔父様。私がここで叔父様の元へ、安全な場所で過ごした時に感じてしまうでしょう。私はなんて無力なんだ、と。ですが私は、彼を護るという使命があります。もう二度と繰り返さない為、この身に宿した龍と一緒に彼を助けますよ……フッ」
「友?」
「――そうだな、安心するが良いぞご老人。我が咲を護ってやるのでな、心配しても無駄な労力を使ってしまうぞ?」
「っ!?」
養父は目を疑ったように目を見開き、目の前で口調の変わった私を見る。
養父の瞳に映った私は、一体どんな風に感じられているのだろうか。
普通の人間なのか、それとも化け物なのか。それは養父にしか分からないが、それでも私は思う。
感謝しながら、私は彼女に全てを委ねて深層世界で呟く。
『ウーちゃん、後は宜しくね?』
「(あぁ、任せておけ。後は我が、キッチリと後始末をしておく。お前はゆっくり休むがいい)」
彼女の言葉が響き、私はそれを聞いて安心したのだろう。
心地良く、そしてゆっくりと目を閉じて落ちていく。夢の世界へ、私は旅立つ。
「き、君は何者だ?」
「フッ、その問いは既に遅い。だが寛大な我だ、簡潔に答えてやるとしよう。我が名はウロボロス。貴様らが化物と恐れ、躍起になっている龍だ。今なら殺せると思うだろうが、そんな馬鹿な事をする貴様ではなかろう?咲の記憶からすれば、貴様は心優しい部分もあるらしいではないか。なぁ、九条の長よ」
「ふむ……」
目を細めて見据えられても、養父がもう彼女を疑う事は無い。
威厳があり、顔が広く、数多くの者から信頼されている養父がたった一つ信じる事がある。
それは目の前で、自分の目で確かめた事の全てである。だからこそ、養父は言った。
「ウロボロスとやら、約束を違えてはならんぞ?」
「うむ、無論だろう。我は誇り高き龍であるしな。そんな簡単に違えるつもりなら、最初からこんな事は言わんよ」
「……なら、もう何も言うまい」
納得した様子の養父は、再び自動車に乗る。
だがその手前、一度だけ彼と視線を交わした。
微かに口角を上げて、自動車の中で『出してくれ』と言う声が聞こえてくる。
エンジン音が鳴り、去っていくそれをしばらく眺めて彼女は口を開いた。
「――さて、我が主よ。選択するが良いぞ?」
「何をだ?」
「無論。……行くのだろう?我は貴様の事なら、何でも知っているぞ?払われた記憶の中で、貴様が過去に行った所業が残っているからな」
「なら、少しだけ付き合ってもらうぞ?」
「何を言うか。少しだけでは飽きる。人間の事を教えてくれるのだろう?約束を違えるな、人間」
「知ってるさ、化物」
「……」
「どうした?」
「いや、なんでもない。では行くぞ、案内せよ我が主」
「はいはい」
そんな言葉を交わしながら、彼は彼女よりも先に歩いて行く。
その背中を眺めて、ゆっくりと追う彼女は頬に滴を伝わせるのだった――。




