第四話「時間制限の姫君」
全く以って、これは失敗でしかないだろう。
いや寧ろ、失敗以外の何者でもない気がするのは俺だけだろうか。
だがそれでも、この事態は間違いなく即死コースだ。不思議な手紙に惑わされて死ぬなど、人生の中で経験するのは俺ぐらいだろうか。まぁもしかしたら、俺以外にもいるかもしれないが……。
『お兄様、お兄様!?』
「――咲?」
記憶の中に残っている者が、走馬灯のように蘇ってくる。
俺を抱え起こして、覗き込んでいるのは行方不明の妹の『霧原咲』。
俺と同じ黒髪で、瞳が茶色の普通の女の子。
「いつまで寝惚けているおつもりですか!霧原零、早く起きてください!」
「なっ……これは?!」
俺は視界がクリアになった瞬間、周囲の状況に唖然としてしまった。
落ちてきた看板も空中で止まり、逃げる人々も動きが止まっていた。
まるで、今の空間自体が止まっているかのように……。
「これはいったい、どういうことだ?」
「驚く程に動揺していますね。全部平仮名じゃありませんか」
そんな事を言われても、俺自身が困ってしまう。
何故なら、今の状況は不可解な現象を目の当たりにしているのだ。
気にするなという方が、無理な話だと思う。
「早く移動を開始して下さい。あと五分で時間が動きます」
「あ、ちょっ!そんな引っ張るなって」
手を引かれながら走っていると、やがて時間という物が動き始めた。
その瞬間、落ちてきた看板と周囲の騒ぎが再生された。
まるで、今まで本当に時自体が止まっていたかのように……。
「はぁ、はぁ、はぁ……何なんだ、いきなり」
「……ご無事ですか?」
それ程走ってないとはいえ、俺よりも彼女の方が疲れている様に見える。
血の気が引いていて、肩で呼吸をしているから尚更だ。
「何が起こっているのかは後回しで、ここから離れた方が良さそうだな」
「そうですね。意外と冷静で安心しました」
「流石に死んだかと思ったけどな。――なんだよ、じっと見て」
「いえ、特には」
俺がそう言うと、彼女は慌てる様に目を逸らしてそう言った。
やがて建物が崩れ始め、上下の揺れがさらに激しくなり始める。
「ここは危ないな。早く離れよう」
俺はそう言って、彼女に手を伸ばす。
だが彼女は物珍しい表情を浮かべ、キョトンとしていて動かない。
「……何ですか?」
「何ですか?じゃなくて、危ないから行くぞ。それなりに体力が残ってるから、女の子一人ぐらいなら余裕で引っ張れるぞ」
「あぁ、なるほど。有難う御座います」
彼女はそう言って、俺の手を握った。
その手は小さくて柔らかく、ふと懐かしい感じがした。
けれどのんびりしている訳にはいかず、俺と彼女はその場から逃げるように離れるのだった――。
◆
握られた手の感触は、私の良く知っている温もりそのままだった。
走りながらでも、握った手とその背中を眺める。
でもそれは突然やってきて、このままずっと眺めていたかったのに。
私の意識は、徐々に真っ暗な闇へと落ちていく。
「あ、おいっ?!どうしたんだよ、いきなり!」
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
「すげぇ熱じゃねぇか。しっかりしろ!」
霞む視界の向こう側で、彼の声が遠く聞こえて来る。
時間を止めるのに能力を使ったから、その反動が懐かしい空気に浸っている事を許してくれない。
ならばせめて……一度だけ、意識を失う前に。
「おい、大丈夫か?返事しろよ!」
「……おにい……ちゃん……」
「っ!?」
私は伸ばした両手に反応した彼を引き寄せ、自分の顔を彼に近づけた。
その状態はまるで、物語で気を失う前の舞台のワンシーンの様だ。
かつて幼い頃、私が憧れたそれに似ている場面。
そして私は、重ねたそれが離れると同時に意識を失ったのだった――。