第百七十六話「龍紋保持者―ドラグニカ―Ⅹ」
私は幼い頃、微かに記憶が欠落していた時期があった。
そんな時期があってが、私は傷が回復したと同時に自分の経緯を思い出す事が出来た。
そのキッカケが彼女、九条家に仕えていたアンジェという女性である。
「お嬢様、気分は如何ですか?」
「……」
「お嬢様?」
「あ、私の事ですか?!」
「この屋敷にお嬢様は咲様だけと、私は伺っておりますが……?」
彼女はそんな事を言いながら、目の前で紅茶をカップに注いでいる。
温かい湯気が天井へと向かう様子で、私は差し出されたカップを両手で包んだ。
「ありがとう……ございます。……!」
ひと口で風味と一緒に広がった甘い味は、寝惚けた頭をすぐに覚醒させてくれる。
眠気が覚めた事を理解した彼女は、当然のようにタンスを開けて私の着替えを取り出した。
選ばれた服は夏物のワンピースで、白さが目立つ生地となっている事が分かる。
「ではお嬢様、本日は外に行きますのでこちらを」
「ワンピースを着るの?」
「ドレスは向かう先に用意されてるそうなので、行きだけのお召し物となります」
「そうなの?……えっと、私はそこで何をすれば良いの?」
自分で着替えようとするが、それを拒まれるように彼女に着替えさせられる。
当然のようにされている事もあって、私はもうされるがままで言葉を続けた。
その問い掛けに対して、彼女は私の着せ替えをしながら答えてくれる。
「お嬢様は旦那様方の付き添いとなります。養子と向かえたお嬢様が、どんな方かというお披露目も兼ねていると思います」
「完璧に見せ物って事?」
「言い方は雑になりますが、概ねその通りかと思われます。ですがお嬢様から何かを話す事は無いと思いますが、どんな方が居るかは不明な点があります。十分にご注意を」
「アンジェさんは、来ないんですか?」
「私のような使用人は、部屋の中までは行けてもせいぜい控え室までです。会場からは、使用人が立ち入る事は禁止されてるでしょう」
「養子の私が一緒に居て、評判は逆に下がると思うのだけど……そこら辺は叔父様はどう考えてると思いますか?」
私は養子という自分の立場が、九条家の損失にならないかが気になってしまった。
その心配も悟ったのか、彼女は口角を上げて私の手を握って言うのだった。
「……大丈夫です。お嬢様の事は、どんな事があっても私がお守り致します。ですから存分に、思うがままに振舞って下さい」
床に膝をつけて、まるで従者のように見つめる彼女。
そんな彼女の姿を見ていると、私は不思議と感情が昂ぶって口角が上がる。
そのまま私は自分でも驚く程、スラスラと言葉が口から出て来たのであった。
「……うん。ありがとう、アンジェ。お世話になります」
「はい。こちらこそ、宜しくお願いします。お嬢様」
それが私と彼女の始まりであり、初めて普通に名前を呼んだ瞬間だった。
そんな彼女との思い出はたくさんあるのにも関わらず、どうしてこうなったのだろうか。
どうして今、目の前に彼女が立ち塞がっているのだろうか。どうして――……。
「お嬢様っ、お覚悟を!!」
「……っ!?」




