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鉄腕アキオ48: 改造神儀ゴッドハック

青く霞む山並みを背景に、畑地を間切る坂道を、華やかな祭りの行列が練り歩いていった。

列を率いるのは、羽織袴で正装した長野県飯山市小菅区長と小菅神社氏子総代。続いて横笛を奏でる伶人、鈴を振る巫女。榊の神輿。赤い狩衣の神職、三人の異相の神人。翻る吹流し、日月輪の幟、そして、そして……

小さな山村には思いがけない賑やかな行列だった。色鮮やかな颯爽とした装束が、瑠璃の天球と、夏山の、橄欖石の無限の切子面に負けずに映えていた。

文化庁指定・国重要無形民俗文化財、小菅神社の柱松柴燈(はしらまつさいとう)神事。三年に一度の大きな祭礼だ。行列を見送る沿道の人々は、県外や、外国からの観光客も多い。

小菅神社の祭神たちに扮装した神人たちの身なりは一際煌びやかで、周りの人々より大きく見える。先頭は行者の形に怪偉な天狗面の八衢(やちまたの)神。御幣と水引をあしらった神剣を携えている。そして素戔嗚尊。青の(ひとえ)に白の狩衣、端正な顔を怒りに歪めた独特の面。人の姿をとった水竜のようだ。三人目は、荘厳な神女面に金細工の冠が燦光を振りまく菊理媛命。

一行は、小菅神社里宮の参道から、阿弥陀堂前の広場に入っていった。明治まで寺だったので、神社なのに仏堂があるのだ。広場は行事のために清められ、中央に二本の巨大な松明が並んで立てられている。高さ4メートル、直径1メートル以上もある薪の塊だ。

講堂正面に設えられた桟敷に神人たちが落ち着くと、その前に、これまた異装の山姥(やまうば)に手を引かれ、二人の松神子(まつみこ)が現れる。

日月を染め抜いた立烏帽子の他は、全身赤い衣に身を包んだ六・七歳の子供だ。小菅八所権現の憑坐。禊で清められた神意の代弁者たち。

松神子のそれぞれに、数人の赤襷の若者衆が付き従い、庭の左右に陣取った。

一方、広場の真ん中の平石に、ぎょろ目の仮面の道化が乗った。手に太鼓と撥を持っている。

用意、と道化が撥を振り上げた。空振りした。松神子たちがずっこけた。

これもプログラムのうちである。用意、ドンでスタートだからね、と空振りを繰り返し、存分に観客をイライラさせた所で、道化はおもむろに太鼓を打った。

若者衆がダッシュした。数人が人梯子を作り、松神子を柱松に運び上げた。松神子は懐から火打鉄と火打石を取り出し、先に柱上に上がっていた若者に渡した。火打石から火花が次々に飛んだ。

先に狼煙が上がるのは右か左か……


ボブの毛先をメッシュにした銀縁眼鏡の高校生が、ビデオを止めた。

「とまあ、これが、小菅の柱松行事のあらましだ。左が勝つと天下泰平、右だと五穀豊穣。いや、逆だったかな」

僕は手を上げて発言を求めた。

「ケンイチくん」

「勝ち負けの違いが分かりません」

先輩は頷いた。

「複数の意味でおめでたい祭りなんだ」

この人は藤沢先輩と言って、飯山市の隣にある木島平村の、柱松行事実行委員会のリーダーだ。この村にも小菅と似た神事が伝わっているのだが、昔からの習わしで、全部子供が仕切ることになっている。

実行委員には、木島平だけでなく、近隣の市町村からも数人のオブザーバーが参加していた。村立木島平中学校に集まった村の児童生徒たちに、中野市から僕とアキオも加わっていたのだった。

「木島平の柱松行事は、マニュアル化されているので再現は簡単だ。安心して僕ら年長組に任せてくれ」

みんなクスクス笑った。今見たビデオの前に、小菅の行事の準備も録画されていたのだ。というか、見られたもんじゃなかった。指示書が無いから、若い人は何をすれば良いかも分からない。年寄りは苛立ち、しかも記憶があやふやだから経験者同士で口論が始まる。画面から、どよんと曇った空気が滲み出すようだ。

藤沢先輩は嘆かわしい、と首を振って眼鏡を押さえた。

「三年に一度しかやらない物を、勿体ぶって口伝にするからああ言う事になる」

文化庁の指示で小菅の記録が始まったのは十年くらい前だそうだが、それ以前の形式のどれほどが残っているものやら。

それから僕らはそれぞれの学校に戻り、普段の生活の傍ら、メールやチャットで連絡を取りあって祭の準備を進めていたのだが、藤沢先輩が自信満々に言いきっただけあって、何の事故も無かった。

僕とアキオはまだ初等部なので、近所の人たちにチラシを配ったり、学校でプレゼンするほか仕事は無かったのだが、毎日スマホでプロジェクトをチェックして、カレンダーにみんなが次々と作業(タスク)完了の緑の(サイン)をマークして行くのを、浮き浮きしながら見守った。

材料調達、完了(マーク)。衣装クリーニングおよび定数確認、完了(マーク)

翌週には、行列の巡幸経路の辻ごとに、当日の車両通行自粛を促す張り紙が掲示された。僕らの家にも宅配で法被が届いた。

次の土曜の午後、事前準備の最後のタスクがマークされ、当日分を除いて全てのサインが緑になった。

藤沢先輩から全員にメッセージが投げられた。

『明日の天気予報は晴、紫外線に注意。挙行可否の判定(ジャッジ)(ゴー)。午後八時より祭事を開始する』

柱松行事は、前夜、祭場となる風塚(しずか)山を封じた結界を、八衢神が破る儀式から始まる。


風塚山は、木島平の広い水田の中に、ぽつんと残された水滴形の丘だ。自然地形を利用した古墳ではないかと言われているが、調査の手が入った事は無い。

かつては修験道の修行場だったという。水滴の尖った端に置かれた鳥居から、ドーム型の頂上に向かって、木々の間を細い参道が登っている。

村を一周してきた子供たちの行列を、鳥居の前の駐車スペースで、藤沢先輩が手を振って出迎えた。

八衢神……木島平では、お面の名前でそのまま天狗と呼ばれる……を先頭に、着衣を改め祭事を行うのは、全員小中学校の生徒たちだ。藤沢先輩たち高校生、通称「年長組」は、交通整理や救護など、サポートに徹する。

先輩は袖まくりしたワイシャツの上にエプロンを付け、折りたたみテーブルの上に紙コップと、表面に露の浮いた大きなガラスのジャーを用意していた。

「お疲れさん。暑かったろ? 潔斎中だからジュースは出せないが、熱中症予防に甘酒を冷やしておいた」

僕も貰ってほっと一息ついた。汗をかいた体に絶妙な塩加減だ。その時、藤沢先輩が、誰かに声をかけたのが聞こえた。

「済まない、ちょっと外す。猫に餌をやるのを忘れた」

そういえば、藤沢先輩は麻呂という名の猫を飼っていると言っていた。

「ケンイチ、おいしいね、これ」

アキオは空のコップを手に、指をくわえて僕の分を見つめていた。彼はアンドロイドだが、僕と暮らすうち、人間並みの味覚を開花させていたのだ。

お代わりを頼もうと思ったら、先輩はもういなかった。ふとアキオに目を戻すと、彼の小さな顔から放射されるおねだりオーラに目が眩んだ。

行列が再び動き出した。僕らは、鳥居をくぐって参道を登って行った。

小菅と比べると、シンプルな編成だった。先頭は天狗に扮した男子。お供え物の籠を担った中学生たち。村で穫れた果物や夏野菜だ。それから、太鼓を持ったお多福に率いられた小学生の群れ。火打石を持つ二人の松神子だけは赤い法被を着ているが、それ以外は何の違いも無く、仲間と混じって一緒に歩いている。

いや、木島平の祭では、僕ら全員が松神子なのかもしれない。

丘の頂上の空き地には、大地に据えられた二本の大松明が待っていた。消火器や救急箱を携えた救護係、ビデオカメラを構えた記録係。目立たないよう背後に控えた年長組の先輩たちに見守られながら、子供たちの神事が始まった。


左右の柱松から、ほとんど同時に煙が立ち上った。

風のせいか、あっという間に炎が上がった。みんな飛び退いて、飛び散る火の粉を避けた。ところが僕は、騒ぎをよそに、背中に感じた不気味な気配に、思わず背後を振り返っていた。

木立の間から、一人の異装の男が姿を現した。立烏帽子に能面を着けている。つのる怒りと悲しみに、半ば蛇と化した蒼白の顔。邯鄲男に似ているが、もっと険しく深い苦悩が刻まれていた。

見間違いようも無い。紺青の単に純白の狩衣。それは小菅の柱松行事の登場人物、素戔嗚尊の装束だった。

凍結した悲憤の仮面の下から、彼は含み笑いを漏らした。

「クックックッ……諸君、ご苦労だった。仕上げは僕に任せて貰おう」

僕とアキオはたじろいだ。

「藤沢先輩!」

「どうしたんです、その姿は」

素戔嗚もたじろいだ。

「え! なぜ分かった」

「なぜって」

メッシュが入ったボブの髪。

「君たち、甘酒を飲まなかったのか。飲んでいたなら、素戔嗚の面のオーラに触れて、良い具合にトリップするはずなのに」

言われて辺りを見回せば、彼の言った通り、みんな地面に寝転がり、あるいは立ち木にもたれて、すやすやと眠り込んでいた。八塩折(やしおり)の酒を盛られた八岐大蛇(やまたのおろち)のように。しかし八塩折は、本当は大して強い酒では無いという。醸造中にアルコールを添加するから、その時点で発酵が止まるのだ。では大蛇を眠らせたのは、やや塩入りの甘酒だったのか。

僕らは抗議した。

「何て事をするんですか」

「僕はアンドロイドだし、ケンイチは一口しか飲みませんでした」

「し、しまった。そうだったのか。しかし、ここまで来て邪魔はさせんぞ! 麻呂!」

先輩の背後から、一頭の豹がするりと前に回りこみ、鼻に皺を寄せて僕らを睨んだ。

僕とアキオは抱き合った。

「ひええっ」

「猫ってそういう……というか猫じゃ無いでしょそれ」

先輩は余裕を取り戻し、指を振って僕らに言い聞かせた。

「僕の用事が終わるまで、そこで大人しくしているんだ」

アキオは内股に震えながら、勇ましく言い返した。

「何をするつもりですか。ケンイチに危険が無いと納得しなければ、約束はできませんよ」

「なるほどな。ならば説明しよう。君たちは火中出産説話を知っているか」

僕は頷いた。日本神話で何度か繰り返される類型(パターン)の一つだった。文字通り、火事の最中に出産する話だ。伊耶那美(イザナミ)命、木花開耶姫、狭穂姫。しかし……

「子供はみな元気に生まれるけれど、母体が無事で済むエピソードは一つも無い」

生き残ったと伝わる木花開耶姫ですら、そのまま物語からフェードアウトしてしまうのだ。

「そう。しかしギリシャ神話では、火中出産譚には別の結末がある。葡萄酒の神ディオニュソスは、母、セメレを冥界より連れ戻した」

ワインの神様が、長野の田舎のお祭に何の関係が?

いや。僕は柱松を振り向いた。二本並んで燃えている、山葡萄の蔓で縛られた大松明。これはディオニュソスの標章、テュルソスの杖と共通点がありはしないか。それは精油を含む大茴香の茎と、葡萄の蔓、そして松ぼっくりで出来ている……

先輩は軋むような笑い声を上げた。不安なのか、狂的な響きが混じっている。

「気付いたか! いかにもそれはテュルソスの代わりだ。故意か偶然か、柱松行事は、ディオニュソスの冥界往還(アルキュオニア)神話と道具立てがそっくりなのさ」

突風で烏帽子が飛んだ。黒とオレンジの髪が翻る。豹の神、ディオニュソス。

「まさか」

「どちらが先でも構わないが、両方点火する必要がある。それは冥界と、この世を繋ぐ灯台だ。今から僕は素戔嗚の神事をディオニュソスの密儀に置き換える。そして、死んだ母を蘇らせるんだ」

彼が宣言した瞬間、ゴーッと大地が咆哮し、大松明の背後の地面が割れて、真っ暗な石室が姿を現した。

突然、背の高い能面の女が空気の中から抜け出たように出現し、手前に立ち塞がった。菊理媛命。

しかし麻呂が電光のように素早く飛びかかり、爪で一薙ぎした。神女の姿は瞬時に掻き消え、一枚の紙切れになって地面に落ちた。

先輩は紙片を拾い上げ、鼻を鳴らした。

「番人がいるとは、やっぱり偶然じゃ無かったのか。ちぇっ」

それはタロットカードの〈女教皇〉だった。二本の柱を背に、背後を石榴の模様の幕で隠した、秘密の守護者。

彼はカードを放り捨てた。

「こちら側に危険は及ばないはずだ、100パーセント確実とは言えないが。麻呂、後を頼むぞ」

「ガウ」

そして石室に足を踏み入れ、たちまち暗闇の中に姿を消した。

僕らは豹の鋭い視線に射すくめられて、抱き合ったまま身動きもならなかった。琥珀の瞳は一時も逸れる事無く、ただ尻尾がぱたり、ぱたりと左右の地面を交互に叩いた。

突然、尻尾が空中で止まった。耳が立ち上がってピクピクと空中を探った。次の瞬間、麻呂は消えていた。主を追って穴に飛び込んだのだ。

一瞬の沈黙を挟んで、アキオが言った。

「ケンイチ、今のうちに逃げよう」

僕は躊躇した。

「いや、山火事になるとまずい。消火器を確保して、先輩を待とう。あれが灯台と言うからには、出て来るのに必要なはずだ」

「そうか」

「でもこれ以上好きにはさせないぞ。戻ってきたらすぐ火を消す。四の五の言うなら粉まみれにしてやる」

「よーし」

僕らは手分けして寝ている連中を脇にどかし、消火器を回収した。アキオはついでに、地面からカードを拾い上げた。

そしてぼそりと言った。

「誰かが、不測の事態に備えていたって事だよね」

不測の事態。侵入者。藤沢先輩だ。あるいは、逆に……

僕はボンベを手放し、お供え物の棚にダッシュした。

ギリシャの密儀は知らないが、伊弉諾(イザナギ)が、焼死した妻を黄泉に訪ねた時はどうなった? その帰り道には?

僕は叫んだ。

「何が『危険は及ばないはず』だよ!」

墨のような暗闇の中から、無数の黒い手に纏いつかれて、先輩が飛び出し、体を丸めて倒れこんだ。

異様に長く、痩せて節くれ立った腕が、彼の袴や袖を掴んで再び闇に引きずり込もうとしている。

僕は石室に向けて供物を次々に投げ込んだ。手は先輩から離れ、果物や野菜を追って闇に戻っていく。

アキオが乱暴に松明を蹴り倒し、消火器のジェットを浴びせた。

伊弉諾は、黄泉の怪物の群れに追われて、命からがら逃げ帰ったのだ。葡萄や桃や、その他のご馳走で追手の気を逸らしながら。

供物が無くなった。

「食べ物! アキオ、何か食べ物は無いか!」

アキオは体の何処からかお結びを取り出し、穴に放り込んだ。それを手が奪い合っている隙に、僕は先輩を光の中に引きずり出した。

石室が崩れ落ち、冥界への道は再び塞がった。

肩で息をしながら、アキオは文句を言った。

「木島平名物、根曲竹(ネマガリダケ)の味噌漬けのお結びが」

先輩が咳き込んだ。

「だ、大丈夫ですか」

「埋め合わせにご馳走するよ。料理は上手いんだ。助かった、ありがとう」

彼は笑っていたのだった。不安を誘う、引き攣った声。口を開きかけたアキオに、僕は首を振った。訊いちゃだめだ。アキオは頷いた。伊弉諾が黄泉で何を見たか、彼も知っている。

見る影も無く泥に塗れた狩衣の襟から、一匹の猫が顔を出した。

「ニャー」

「麻呂も、ありがとう」

「えっ、麻呂?」

先輩は猫の背中から、カードの残骸をはがし取った。半分に破れた切れ端だが、擬人化されたライオンが描かれている。〈力〉。

「麻呂が戦ってくれたおかげで、逃げ出す余裕ができた。それに」

彼は猫を抱いて立ち上がった。

「こいつを残して死ねない、と思ったんだ。だから必死で逃げた。僕は何も分かっちゃいなかった。やっと母さんの気持ちが分かった。無念だったろう、かわいそうに」

付け紐が解けて胸に垂れている。なのに素戔嗚の面は顔に貼り付いたままだ。

「先輩、能面が」

「うん。僕の顔に根を張ってしまったんだ。外科医に切除して貰わなければ。冥界では生者と死者が入れ替わる。朽木が生体に根づくのさ」

僕とアキオは恐怖に青ざめた。そして神話の秘密がまた一つ明らかになった。伊弉諾が櫛と蔓を投げると、筍と葡萄が生えたというが、逆だ。慌てて投げ捨てたのだ、自分が苗床になる前に……

「は、早く医者に!」

「重ね重ねすまないが、連れて行ってくれないか。面のせいで前が良く見えない」

僕らは先輩を左右から支え、急いで祭場を後にした。何故か、藤沢先輩は前より背が高く、足取りもしっかりしているように思えた。闇の中で何を見たにせよ、それが彼を変えたのかも知れなかった。


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