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眠り姫は旅に出る  作者: へそ
眠り姫ニコラ
9/90

9.未知との遭遇

 二日目は朝から日の入り近くまでずっと移動だ。長時間荷馬車に座っているとお尻が痛くなるけど、休憩をとりすぎると夜になってしまう。春を迎えて日が長くなったと言っても、暗くなる前に到着できるか厳しいところだ。


 一日目はひたすらお喋りをしていたが、今日の私は商品のリストに目を通している。金額や個数、どの村でいくつ売れたか、と言った情報がまとめられた在庫表のようなものだ。

 何を思ったのか、御者台のイヴァンの隣に腰掛けるや否や「覚えて」と手渡されたのだ。


「イヴァン、これは何て読むんですか?」

「それはベーゴ。雪の下で育つ根菜で、次の村で引き取ると思う」

「ああ、ジツナーメにもあります。白っぽいやつですね」


 この世界の文字は表音文字なので、文字と音を一致させること自体は問題ない。だけどこの世界の文字の「こんにちは」は日本語の「こんにちは」とは違う音なので混乱する。

 ニコラの体だからか、母国語を喋る感覚があるせいで文字と音と意味が中々結びつかない状態だ。


 文字はじいさまから紙の鳥の魔術を習った時に少し覚えたけど、様々な単語の並ぶ在庫表には分からない単語もあって。つっかかる度にイヴァンに教えてもらいながら、どうにか暗記している次第だ。


「ニコラ、水がなくなった」

「はい」


 イヴァンの持つ空の革袋に手をかざして水を注ぐ。


「魔術は優秀でも文字は読めねえんだよなあ」

「……村では必要なかったんですよ」


 唇を尖らせながら、在庫表の音読を再開する。なんだか私に対する扱いが雑になっている気がする。前向きに捉えるなら打ち解けたわけだが、なぜかあまり喜ばしくない。

 憮然としていると不意にイヴァンに問いを投げられた。


「ベーゴの売値は?」

「小銅貨七枚です」

「三つ売るといくらになる?」

「小銅貨二十一枚、小銅貨一枚と大銅貨二枚ですね」

「……計算は村で必要だったんだな」


 ギクリと体が強張った。じとっとした視線を感じる。なにこの人こわい。反射的に答えてしまった。そして己の迂闊さに気付かされてしまった。


「羊とか豚とか数えるものはたくさんありますから」

「ふーん」


 在庫表を凝視しつつそれっぽい理由をひねり出してみる。きっと今の私は顔色が悪い。イヴァンはビシビシ視線を向けてくるけど、私が口をひき結んでいると前を向いてくぴっと水を飲んだ。


「計算できるに越したことはねえな」

「……そうですね」


 読み書きはともかく、計算はちょちょいのちょいだ。だけどイヴァンに指摘された通り、読み書きがだいぶ不自由なくせに掛け算ができるのは不自然極まりない。数字に強くなるような生い立ちでもない。完全にアウトである。


 なぜ私に計算ができると思ったのか。やぶへびはごめんなので、口を噤んで異常さを不問にしてくれたイヴァンに感謝するのだった。




 太陽が天辺に近付くにつれてお腹が空いてくる。地面がむき出しになった獣道は広く、片側は背の高い草が生い茂っていて、反対側は浅い森が広がっている。


「イヴァン、今日の昼ご飯はどうするんですか?」

「積荷からてきとうに食う。食った分は表に書いときゃ商会が払ってくれるから心配すんな」


 経費で落とすってやつか。


「あの森の方、多分食べられる物たくさんありますよ」


 私が指をさすとイヴァンもそちらに目をやったが、ちらりと見てすぐ前を向く。


「何で断言できるんだ?」

「ジツナーメの森と同じ木が生えてるから、他にも同じ植物が生えてると思います。春に実る果実は甘酸っぱくて美味しいですよ」

「へえ。俺は木なんてどれも同じに見える」

「そっか、タユビンの子どもは森に入ったりしないのか……」


 森に行かずとも生活できるとは。商会が拠点を構えるだけあって、タユビンは中々の都会なのかもしれない。


 すっかりニコラに染まった私にとって森は友達だ。春の森は入ったことがないけど、ニコラは毎年シホラという苺に似た赤い実をしこたま採集していた。きっとあの森にもあるだろう。私の中の本能がビンビン反応している。恐らくニコラの肉体も魂も、シホラが食べたくて仕方がないのだ。


 ならば私は、その願いを叶えたい。


「商品はできるだけお客に売った方が良いですよね?」

「そりゃそうだけど、馬車を停める時間は無い。諦めろ」

「じゃあ、馬車を停めなくても良いですよ」

「は?」

「一本道ですよね? 後から追いつきます」


 御者台から地面に飛び降りる。このぐらいのスピードであれば野山を駆け回ってきたニコラの運動神経でどうにかなるのだ。ついでに採集物を入れる空の籠もくすねる。


「お昼までに戻りますから!」


 あんぐりと口を開けて遠ざかるイヴァンと荷馬車を手を振って見送る。

 大丈夫だ。小心者の私は成功する確信がなければこんなことはしないのだ。


 さて、では成功する確信の根拠とは何か。簡単なことだ。身体強化で速く走れば良い、ただそれだけ。

 既に無詠唱で腕力を強化することに成功しているので、脚力を強化することもほぼ間違いなく可能だ。万が一失敗しても「速く移動する」方法は他にも思いつく。

 転移が使えれば良かったけど、転移先やそこまでの移動を想像しなければならない。見知った場所じゃなきゃダメだ。


 とりあえず、さっさと採集してさっさと戻ろう。迷子にはなりたくない。




 見知らぬ森を進む。見立て通りジツナーメの森とほとんど同じ植生のようで、野生動物に警戒しつつも見慣れた植物にほっとする。シホラを始めとした春の味覚をどんどん収穫すると、あっという間に籠は一杯になった。


 獣のマーキングも少なく、木の実も手付かずで残っている。大きな道に沿っていて人の気配が近いから獣のテリトリーから外れているのだろう。おまけに村からは離れているので、ここまで採集しに来る人間もいない。


 良い狩場だ、なんて、気を抜いたその時だ。


 視界の端でヌルっと何かが動いた。影が形を変え、射し込む日光がきらめき、ちらちらと空気が揺らめく。

 若葉のさざめきの調子が変わって、つい数十秒前の森とは明らかに違うことを悟る。


 ぴたりと動きを止めて周囲を探る。頭の中ではアラートが鳴っている。こんな明らかに危険と思える状況は初めてだ。妙に冷静な頭の片隅で、一回死にかけてるけど、なんて指摘する。


 心臓の音がうるさい。他に聞こえるのは風が揺らす木々の音だ。そういえば、鳥や虫の声がこの森では聞こえない。気づいた瞬間、ざわり、と全身の表面を悪寒が走る。


「ーーーーっ!?」


 ぐんと上空に引っ張り上げられて、私は、宙吊りになった。足首に巻き付いた何かによって、真っ逆さまに、地面が空に、落ちたら頭が潰れそうだ、どうにか、致命傷を負わない方法は、


 ひたり。


 目が合う。

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