電車よ、さようなら
僕は電車に乗っていた。
何故乗っていたのかは分からないが、何でも長旅の途中らしい。
ちょっとした不安が僕を襲っていたが、それが大きな不安に変わっていった。
この電車は脱線しないだろうか。
僕は二両目に乗っていた。
いつの日か母親から、
「電車事故での死亡率は、二両目が一番高いのよ」
と聞かされたのを思い出した。
僕は電車が次の駅に停車する前に車両を変えることにした。
平日の昼間のせいか、人がほとんどいない。ちょうど快適だと感じる人の多さだ。
人は多過ぎると疲れるが、少な過ぎても寂しい。
小唄を唄いながら五両目まで歩いてきた。
五両目でも良かったが、念のため六両目まで行くことにした。
でも、六という数字が不吉であまり好きじゃないことに気付いたので、七両目に座ることにした。
七なら目出度い数字だし大丈夫だろう。
折角、ここまで来たのなら十両目まで行ってみたかったが、あいにく電車は九両編成だから十両目はないのだ。それに、七両目の座り心地はなかなか文章では表せないほど心地の良いものである。
ふと隣を見ると、鼻のない豚が座っている。
鼻はないが、豚だということはすぐにわかった。
何故鼻がないのだろう。
僕は何の戸惑いもなく隣に座る豚に聞いてみた。
「すみません、豚さん。何故あなたは鼻がないのですか」
すると豚は、
「私はニオイというものが嫌いなのです。だから鼻がないのですよ」
と、さも当たり前のように答えた。
「それでは、鼻は自分で削いだのですか」
「いやいや、生まれる前から私に鼻なんてありませんでしたよ」
最初から鼻がないのなら、何でニオイが嫌いなんだろう。
僕はそう思ったが、何か深い訳でもあったに違いないと思い、それ以上問うのはやめにした。
すると、豚が、
「それに貴方は私に鼻がなくとも、すぐに豚だとわかったはずですよ」
と続けた。
なるほど、その通りだ。
しばらく沈黙が続いたが、突然豚が立ち上がり、
「とりあえず、私の町に来ませんか」
と問いかけてきた。
「貴方の町は何という駅にあるのですか」
「私の町の駅に名前はありませんよ」
名前がない駅なんて聞いたことがない。
僕は少しの間だけ考える振りをしてから、
「すみません、結構です」
と断った。
車内アナウンスが何時間ぶりかに流れた。
そして、何時間ぶりかに電車は停車し、重い扉が開いた。
豚は、何も言わずに降りて行った。
僕は無意識のうちに、自分に鼻が付いているか確かめていた。
僕を乗せていた電車が、大きな山の方へとどんどん小さくなっていく。
電車よ、さようなら。