Part.2
苦手な数学の小テスト。悲惨な点数を取ってしまった千山葉月ちやま はづきは、幼馴染の花浦和樹はなうら かずきにばれないように、こっそり処分する。ところが翌日、そのテストが意外なところから出てきたのだった。しかし、このことが大事件に発展するとは、誰も思っていなかった。
わたしと山中先生は玄関に向かった。
さんざん夫の愚痴を聞かされた後、わたしたちは別れた。
夫婦仲が途切れるのも時間の問題なのかもしれない。
さて、わたしは体育館の裏に行ってみた。
ごみ収集所だ。
ここからテストが職員室に移動した。
誰かの手によって持ち運ばれたのは間違いないだろう。
ごみの回収自体はごみにもよるが週に二回行われる。
今日は可燃物の回収日じゃないし、テストが移動したのは昨日の夕方から今日の午前中の間。
ごみ収集所の状況はテストが移動したときとはそう変わっていないはずだ。
案の定状況は変わっておらず、可燃ごみも見た感じ同じだった。
生ごみの臭いにおいがする。
どろどろになった残飯が気持ち悪かった。
それでも探すしかない。
誰が落としたのかを探すには、個人を特定できる物があればいいのだが……。
しかし、普通個人情報は落とすわけがないし、落としたら落としたで大ごとになる。
それは、免許証とか保険証ほど大事なものでなくても、テストの答案でも同じだ。
ふと、わたしは収集籠のそこの金網下に落ちている紙に目が行った。
ただの紙なら注目しない。
しわくちゃになった紙を広げてみると、何やら難解な文章が並んでいた。
何かのメモ書きのようだが……。
紙にはこう書いてあった。
タイトル:物質○○の特性について
名前:
しかし、肝心の名前の一文字目が切れていて読めない。
漢字の『木』のようには見えるが……。
論文か何かのメモ書きのようだが……。
紙も何かのメモ用紙のようだ。
他によく似た紙が落ちていないか探したが、見つかったのは5枚だけ。
どれもメモの殴り書きばかりだが、さっき見つけた名前の一部か書かれた紙と同じ人物によって書かれたことは分かった。
書き方がよく似ていたからだ。
紙も同じメモ用紙が使われていることを考えると、同じ紙のパーツか関係する文章の可能性がある。
しかし、30分も探し、もう夜の7時だ。
6月だから7時半までは明るいものの、わたしは帰りの電車に乗らないといけないので、捜索は一度切り上げることにした。
そして電車の中。
今日は部活に加えて必死になって紙を捜したのでとても眠い。
重くなる瞼と格闘しているときだった。
「葉月!やっぱりこの電車だったのね」
いきなりの声にわたしの目が覚めた。
目の前には梨花が立っている。
「あれ、あんた早帰りじゃないの?」
居館高校の部活は毎日練習するところもあれば、そうでもないところもある。
梨花は新聞部に所属しているが、今日は活動日ではなかった。
「今日は特別!部活がない日だからできることがあるの!」
「それって……」
ふとわたしの頭の中にある人物が思い浮かんだ。
今日の昼休み、やたらと気にしていたようだが……。
「まさか、五条君?」
「あったりー!さすが葉月ね!」
ここからのことはだいたい想像できた。
「あんたの事だからサッカー部の練習をへばり付いて観てたんでしょ」
「葉月はやっぱり鋭いわねえ。だって、五条君かっこいいしあたしの方見て手を振ってくれたのよー!」
部活がないからできること。
それは五条君の取材という名のオッカケ。
梨花は五条君にゾッコンのようだが、いつまでその熱は続くのか……。
「興奮するのはいいけど、ここ電車の中よ。少し押さえてもいいけど」
「あ、ごめんね」
梨花はわたしの隣に座った。
「でも、サッカー部の練習なら9時ごろまでやってるわよ?どうしてこの電車に?」
「まずいうわさを聞いちゃったのよ」
梨花は明日新聞部の打ち合わせで記事にするネタを発表するため、原稿を作る必要があるのだという。
もともと梨花はサッカー大会の取材を引き受けていたが、そんな中で大会の取材よりも記事にすべき特ダネが舞い込んできたらしい。
しかも、梨花がへばり付いているときに。
「とりあえず、明日の部活でサッカー大会の取材は他の部員に任せて、あたしはこの特ダネを取材しようと思うんだけど」
「聞いちゃ悪いかもしれないけど、かなりまずいの?」
梨花は少々渋っていたが、やがて口を開いた。
「ここじゃ話せないから、電車を降りてからにするね」
北居館駅。
居館市の北部に位置し、わたしや梨花の家が近くにある。
閑静な住宅街がつづき、郊外には湖や公園など市民の憩いの場もある。
電車を降りる人が多かったので、わたしたちは駅から少し離れた駐車場にいた。
「それで、噂って?」
「葉月は物理の桂木先生が論文を発表して、県内の学会発表で大きな評価を受けてることは知ってるよね」
わたしは頷いた。
桂木先生は、さっき山中先生と一緒に話していたときに職員室にいた先生だ。
「実はね、先生に脅迫状が来ているのよ。三日ほど前から」
「脅迫状?」
梨花の発言にわたしは驚きを隠せなかった。
脅迫状はパソコンで打ち込まれた文章だったが、送り主は不明だという。
「なんで?どうして桂木先生に脅迫状が……」
桂木先生といえば今日職員室に寄った時もいた。
その時は大分やつれた様子だったが……。
「何か弱みを握られていたのかな」
しかし梨花は首を振った。
「脅迫文によると、桂木先生どうやら論文を盗作してたみたいなのよ」
盗作?
脅迫状には、論文は他の誰かに書かせたもので、桂木先生は名前だけ書いてると告発しているという。
今すぐ論文の撤回し、盗作を認めなければ、お前の命はないと脅していた。
桂木先生の論文は既に県内では高い評価を受けている。
この話が本当だとしたら学校だけじゃなく、世間をも揺るがす大問題になりかねない。
そして梨花のことだから……。
「新聞部の一員として、記事にする価値はあると思うの。脅迫状の真相を確かめることが、世のためになると思わない?」
梨花はサッカー大会の記事をほかの部員にバトンタッチし、この脅迫状の記事を書くつもりだという。
居館高校の新聞部は噂好きでジャーナリズム精神溢れた生徒たちが入部している。
梨花も例に溺れずその一人で、噂好きで記事にすべきだと思ったことはすぐにネタにする。
わたしとしても噂の真相は確かめたいが……。
「気持ちはわかるけど、慎重に行った方がいいかもしれないわ。本当かどうか、ちゃんと確かめてみないと」
「知りたがり屋の葉月らしくない言葉ね。どうしてそう思うの?」
いつもはきゃぴきゃぴしている梨花だが、この時は熱くなりすぎて目の前が見えていないようだった。
友人とはいえ、梨花に対してわたしは思わず腹が立ったがすぐに抑える。
一呼吸おいて話し始めた。
「梨花、あんたは脅迫状を誰が送り付けたかわかるの?」
梨花は首を振った。
「それは調べるしかないと思うけど」
「そう。どこまで脅迫状の話が広まってるかはわからないけど、警察に通報してもおかしくない。もし脅迫状の通り先生を殺そうとしてるのなら梨花、あんたも危険な目に遭いかねないわよ」
梨花は後ずさった。
しばらくわたしたちは沈黙していた。
先に沈黙を破ったのはわたしだった。
「ちょっと熱くなりすぎじゃない?わたしも人のこと言えないけど」
「そ、そうね……」
梨花は顔を下に向け、アスファルトを眺めている。
梨花は顔を上げた。
「じゃあ、葉月。明日一緒に脅迫状の真相を確かめようよ。葉月はこういうの得意じゃん」
「それはかまわないけど。一旦落ち着いてから行きましょうか」
梨花はうんと頷いた。納得してくれたようだ……。
その夜、ベッドの中でわたしはいろいろ考えていた。
論文、か……。
論文といえば、今日の帰りにごみ収集所を調べたときに論文のメモが捨ててあった。
破られて捨てられていたのだから、失敗作で捨てたのか。
それともまた別の理由で捨てたのか……。
例えば、今回の桂木先生への脅迫と告発……。
合わせて調べてみる必要はあるようだ。
翌日。
わたしは居館駅から高校に向かう途中だった。
後ろから自転車の音がした。
「よう、葉月!調子はどうだ」
「あ、和樹。あんた今日サッカーの大会じゃなかったの?」
「試合は昼からさ。それよりおまえこそどうしたんだよ。朝っぱらから考え事してるみてえだけど」
わたしは一つ頷いた。
昨日の夜はあまり眠れなかった。
ごみ箱に捨てられてあった論文のメモと、昨日梨花が言っていた桂木先生への脅迫状。
この二つがどこかでつながっていてならなかった。
「和樹、あんた桂木先生の物理選択してたよね」
「そうだけど。おまえも授業受けたいのか?」
「いや、そうじゃないの。先生の事なんだけど……」
わたしは脅迫状に書かれている論文盗作疑惑の事を話した。
物理の授業を受けていた和樹は多分知っているだろうけど。
「ああ、聞いたよ。でも、そんなことで脅迫されるとか怖いよな」
「その話なんだけどほら、数学のテストが移動した件。昨日あの収集所を調べてみたらこんなのが出てきたのよ」
わたしはリュックから昨日見つけた論文のメモを見せた。
「それって、捨ててあったのか?」
「ええ。誰が捨てたかはわからないけど、ひょっとしたら盗作の告発と関係あると思って」
和樹は詳しく見せてほしいということで、わたしは論文のメモをクリアファイルごと渡した。
科学論文だということは想像はつくが、何が書いてあるかわたしにはさっぱりわからなかった。
「和樹、何かわかる?」
「これ物理論文のメモだぞ。しかも桂木が最近発表した……」
なんですって!?
和樹は桂木先生が作った論文を読んだことがあるらしい。
論文のメモに書いてある内容が桂木先生の論文と同じ内容だったのだ。
「なんでメモを捨てたのかしら」
「さあ……。単純に要らなくなって捨てたとか……」
確かに、論文が完成したのならメモは必要ないから捨てることもあるだろう。
だが、そうならどうして破り捨てるのか。
失敗作だったから嫌になって破ったのか。
「噂の件も気になるし、セットで調べてみた方がいいみたいね」
「ああ」
そして教室。
わたしは鞄からテキストやノートを取り出すと、引き出しに入れた。
その時、後ろから誰かに肩を押された。
「おはよっ!葉月!」
振り向くと梨花がにっこり笑って立っていた。
「あら、気分は落ち着いたみたいじゃない」
「むしろ燃えてるんだけどね」
燃えてるって、気合が入ってるのか?
今日、和樹は昼からサッカーの大会で一緒に捜査はできない。だから梨花と手分けして進めていくことにした。
「とりあえず、今日は関係者に聞き込みしないとね。物理選んでる子とかに」
「そうだね。こういう事はあたしに任せて、葉月」
わたしは一つ頷いた。
梨花の情報収集力は新聞部の記者だけあって、なかなか侮れない。
だが、それがいい方向に行ってくれればいいんだけど……。
(Part.3につづく)