Part.1
苦手な数学の小テスト。悲惨な点数を取ってしまった千山葉月は、幼馴染の花浦和樹にばれないように、こっそり処分する。ところが翌日、そのテストが意外なところから出てきたのだった。しかし、このことが大事件に発展するとは、誰も思っていなかった。
「はい、今から数学の小テストを始めます。皆さんはテストを受ける準備をしてください」
数学の担当教師、山中美紀先生の一声で小テストが始まった。
六月の中旬、居館高校。
昼ご飯を食べ、眠くなる瞼をこらえながらもわたしは苦手な数学の小テストに臨んだ。
テスト出題内容は実数と虚数の問題。
もう何が何だか分からない。
十分後、テストが終わりわたしは解答用紙を提出すると、思いっ切り背伸びした。
「やっと終わった……」
「小テストにしては難しかったね。葉月は全部埋められた?」
わたしの隣にクラスメートの八瀬川梨花が結果を聞いてきた。
「言うまでもないでしょ。ほとんど空いてるわ……」
わたしはため息をついた。
「梨花はどうだった?」
「半分くらいね……。期末が心配だし、一緒に勉強しようよ」
「うん。絶対に今度は点上げないと……」
梨花は微笑んで一つ頷いた。
テストは翌日の数学の授業で返却された。
わたしはその結果に言葉を失った。
じ、十点……。
答案用紙はほとんどが白紙の状態で撥ねられ、一問だけ簡単な問題が正解になっていた。
頭の中が真っ白になってしまい、自我喪失した。
二分ほどぼーっとした後、急に恐怖感がわたしを襲った。
こんなテストを和樹や宗治さんが見たらどんな顔をするか……。
そういえばこの前和樹は夏休み漬けを決行するとか何とか言ってたっけ……。
とりあえず、今日は和樹はサッカーの大会でここにはいない。
休日だったら応援に行くのだけど、今日は平日なので行けなかった。
そして例の夏休み漬け。
それだけは絶対に嫌だ!
夏休みくらい高校生らしく遊ばせてよ!
わたしは隠されないようにとっさにその数学の答案用紙を隠した。
授業終了後、クラスメートに気付かれないように自分のリュックに隠した。
そして部活終了後、体育館裏。居館高校の体育館裏にはごみ収集施設がある。わたしは〈可燃ごみ〉のところの一番下にテストを隠した。
これでよし……!
わたしは心の中で勝利宣言した。
そのとき、わたしの足に何か当たった。サッカーボールだ。
「葉月!すまねー、そのボール取ってくれー!」
走ってきたのは和樹だった。わたしはボールを拾うと、和樹に投げつけた。
「なんでこんなとこまでボールが転がってくるのよ」
「五条の奴がトンでもねえシュート打ちやがって……。それより葉月、おまえこそどうしてここにいるんだよ。もう部活終わったんだろ?」
「別に何でもないけど。今日は楓と一緒に帰ろうと思って、テニスコート行く所だったの」
無理やり理由を作った。
「あっそ。じゃ、オレは戻るわ。今日の練習は9時ごろまであるし」
「大会ほんとに大変ね。今度応援に行くから、頑張りなさいよ」
「ヘーイヘイ」
和樹はボールを拾うと、足早にグラウンドに走って行った。
ふう……。
思わずわたしは胸を撫で下ろした。こんな時に幼馴染のあいつが出てくると困る……。
そして私はごみ収集所を後にした。
だが、このことがのちに大事件に発展するなんて、わたしはその時思いもしなかったのだ。
***
翌日の昼休み。
わたしは教室で梨花といろいろお喋りしていた。
今回は休日にあるサッカー大会の事でもちきりだった。
「今度、花浦君の応援行くんでしょ?あたしも一緒に行っていいかな?」
「いいけど。梨花、まさか五条君の取材?」
「もちろんよ!今回の取材も自分で引き受けたの!五条君のシュートを止められる相手は居ないんだから!」
梨花はにっこりした。
しかも、目がキラキラと輝いている。
梨花は新聞部に入っていて、しばしば記事を書くための取材に出かけている。
今回はサッカー大会を取材することになったのだが、休日の大会は自分から引き受けたらしい。
一方で、五条君は和樹のサッカー部のオフェンスを担当している。
その上イケメンで性格もよく、梨花のような恋する乙女的な女子高生の注目の的だった(わたしは別に気にしていない)。
「まあ、彼かっこいいからね」
「あら、花浦君も結構イケてると思うけど?将来いい旦那になるんじゃないの?」
だ、旦那!?
「和樹はタダの幼馴染!好きでもなんでもないって!」
思わず声を上げてしまった。
クラスの視線がわたしと梨花に向けられた。
「あ、葉月ごめん……」
「いや、わたしの方が悪いわ……」
その時だった。
教室の戸が開いた。
瞬間に、クラスの視線が戸の先に向けられた。
現れたのは担任の安田繭美先生だった。
先生は怒っているようだった。
「千山さん、ちょっといらっしゃい」
「え、いきなりなんで?」
職員室。
わたしは安田先生に連行された。
安田先生の机にはしわくちゃになった紙が置かれてあった。
「これはどういう事なの!?」
先生は紙切れを広げて、わたしに突きつけた。
目の前にあるのは紛れもなく、この前処分したはずの数学の小テストの答案用紙だった。
「テストがうちの職員室のごみ箱に捨ててあったの。どうしてそんなことするの?山中先生に対する嫌がらせなの?」
「そ、それは……」
わたしは言葉を詰まらせた。
これ以上出せる言葉は無い。
点数を見られるのが嫌で、捨ててしまったのだ。
「ごめんなさい」
「後で、山中先生にも謝っておくこと。いいわね」
そして私は職員室から解放された。
職員室から出て、人目のつかない所でわたしはため息をついた。
悪いことしたのは事実だし、認めるしかなかった。
それについては反省している。
だけど、なぜごみ収集所に捨てたはずの答案用紙がこんなところで見つかったのか……。
「よう、葉月!お前落ち込んでるみてーだけど、センコーに怒られたのか?」
いきなりの声に私は驚いた。
右側に和樹がへらへら笑いながら立っている。
わたしは慌ててしわだらけの答案を隠した。
「そんなわけないわよ」
だが、和樹はわたしの“怪しい”行為を見逃していなかった。
「おまえ何か隠したろ」
「なんでもないって!」
揉めているうちにわたしのブラウスの胸ポケットから、答案用紙が落ちた。
「なんだこれ」
和樹は床に落ちている答案用紙を拾う。
「み、見ないでよ!」
わたしは答案を奪おうとしたが、和樹はとっさに攻撃をかわした。
「ええっと、小テスト10点」
和樹はわたしに顔を向けた。
「脳筋の葉月さんや、このテストどういう意味だい?」
わたしは肩を落とした。
もう隠すことはできない。
小テストの事情をすべて和樹に話した。
言うまでもなく和樹は呆れていた。
「それでおまえは昨日ごみ収集所にいたのか」
「そうよ。なんで職員室のごみ箱から見つかったかは知らないけど」
和樹は立ち上がってわたしに詰め寄った。
「おまえが落ち込んでたのは、安田にテストの件で怒られたからだろ?それはともかく、見られたくないから捨てるって、おまえいつから卑怯者になったんだよ」
「だって!」
そこで口が止まった。
自分では反省しているのに口答えしても何の意味がない。
「ま、テストの点に関しては後からどうにでもなるけど、テストを捨てるみたいな卑怯な真似は絶対するなよ」
わたしは一つ頷いた。
ここまで剣幕を立てた和樹を見るのは初めてだった。
和樹はわたしにここで待ってろ、といい一旦姿を消した。
五分後、彼は梨ジュースとポンジュースを1缶ずつ持ってやってきた。
わたしはポンジュースを受け取った。
「これでも飲んどけ。少しでも気分が良くなるだろ」
「ありがと」
わたしは静かに缶ジュースのプルタブを倒した。
「でも、なんで職員室のゴミ箱からテストが出てくるんだろうな?」
すぐに応える気にもなれなかったので、ポンジュースを一口飲んだ。
「わたしもそれが気になっててね……。あのごみ収集所きっと何かあるのよ」
「誰かがおまえの悪事を見て回収したとか?」
「だったら先生に渡すか、わたしに見せればいいじゃないの」
わざわざ職員室のごみ箱に捨てる必要はないのだ。
わたしのテスト解答用紙とはまた別の理由があるだろう。
「わたしがテストを処分したのが昨日の夕方。そして安田先生に呼び出されたのがさっき。夜に誰かが移動させたのかしら」
「そうかもしれねえけど、持ち運べる時間とかは決まって来るんじゃないのか?」
持ち運べる時間?
そういえば、この学校は夜九時には施錠され、翌朝七時に開錠される。
わたしがテストを捨てたのが夕方六時半ごろなので、前日は二時間半チャンスがあったことになる。
翌日は昼まで五時間ほどのブランクがあるが、生徒や先生は授業があるので持ち運べる時間は三時間ほどだ。
「なんか気になってきたわ。ちょっと調べてみましょうよ」
「やっぱりおまえこうなると突っ走るんだな……。いいぜ」
こうしてわたしと和樹は移動するテストの謎を追うことになった。
しかし、和樹はサッカー大会の真っただ中。
昼休みしか付き合うことができないので、部活が終わった後は自分ひとりで捜査しなければならない。
その日の夕方、わたしは陸上用のカバンとリュックを背負ってグラウンドに向かう途中だった。
わたしは廊下を歩いていたが、途中で向こうから歩いてくる二人を目にした。
若い顔形整ったイケメンの先生と、長めの黒髪の知的な女子高生。
あれは化学担当の竹内修也先生と、一つ学年が上の木村陽子先輩だった。
竹内先生はわたしや和樹のクラスの化学も受け持っている(わたしは化学と選択になっている現代社会を選んでいる)。非常に優秀な先生で、他の教師や先生からの人望も厚い。
教え方も優しく、しかもとても丁寧だ。
わたしの友人の中には本気で付き合いたいと思っている女子生徒もいるほどだった。
木村先輩は三年の特進クラスに在籍していて、東京にある医大を目指して毎日勉強をしている。
「竹内先生、今日もご指導ありがとうございます」
「とんでもない。でも、キミほど医大受験にかける情熱が高い生徒は見たことがないよ」
「こうでもしないと、親孝行も出来ませんから」
木村先輩は一礼すると、その場を去って行った。
わたしはすれ違い様に先輩に軽く挨拶した。
次いで竹内先生にも。
その時に先生と話になった。
「こんにちは。そういえばキミは花浦君と同じクラスの」
「千山といいます。やっぱりわたしも先生に勉強教えてもらいたいですよ」
「いや、キミには花浦君がいるって聞くけど。花浦君と幼馴染で、よく遊ぶんだろ?」
まあ、そうだけど。
お世辞にも和樹は厳しすぎる。
厳しすぎると逆にモチベーションが落ちる。
「和樹にはもうちょっとお手柔らかになってもらわないとね……」
わたしは頭の後ろを掻いた。
あのイケメンの先生に教えられたら、わたしの脳筋も少しは治るのだろうか……。
「まあ花浦君は成績良いし、僕なんかよりよっぽど先生になってくれるさ。じゃあ、また」
「さようなら」
わたしは竹内先生の後姿を眺めていた。
ふと彼のスーツのズボンがまくりあがっていた。
何かで汚れてしまったのだろうか……。
部活が終わった後、わたしは部室の鍵を閉めた。
陸上部では最後に部室を出た人が鍵を閉めることになっていて、施錠した後は職員室に持っていくことになる。
職員室に入ると、先生がまだ何人か仕事をしていた。
その中には数学担当の山中先生もいた。
まだテストの事を謝っていなかった。
何度か休み時間にのぞいてはいたが、山中先生はおらず、なかなか謝る機会がなかった。
「あの、山中先生……」
刺激しないように静かに声をかける。
「分かっています。小テストの事でしょう?」
「はい、申し訳ございませんでした」
わたしは深く頭を下げた。
「詳しいことは安田先生から聞いてる思うからこれ以上言わないけど、絶対にやっちゃだめよ」
「はい」
山中先生は書類を整理すると、カバンに入れた。
「さて、もう帰ろうかしらね。家にはグータラな夫がいるんだけど」
「前、数学の授業で言ってましたね……」
山中先生の旦那さんはもともとバンドマンで、先生は旦那さんがやっていたバンドの大ファンだった。
積極的にアプローチして結婚に至ったのだが、半年ほど前にバンドは解散。
それ以降職を転々としていて、山中先生はほとほと呆れていた。
数学の授業ではほぼ必ずと言っていいほど夫の話がこぼれる。
「竹内先生みたいに、かっこいいだけじゃなくてしっかりしてて、かつ優しい人と結婚したかった……」
山中先生は隣の竹内先生の席を眺めていた。
同情するしかなかった。
これくらいひどいのなら離婚してもいいのに、と思ってしまう。
だが、職員室に人が少なく普通の話声でも目立ったのか……。
「山中先生、竹内君に色目使うのはよさんかね。気持ちはわかるが、旦那さんも大変な思いをしてると思いますよ」
窓際で作業していた物理の桂木悟志先生が声を上げた。
わたしたちの声が聞こえたのか、もともとそうなのかはわからないが相当機嫌が悪そうだ。
「あ、すみません。竹内先生を意識しているわけじゃなくて……」
「愚痴も程々にしてくださいよ」
桂木先生は缶コーヒーを一口飲んで、ため息をついていた。
先生は物理の担当教師で、話題に出てきた竹内先生の先輩にあたる。
わたしたち居館高校生や教師の間ではこの二人は仲の良い先輩と後輩の間柄だった。
彼の机の上には難しそうな物理の論文が積み上げられていた。わたしの頭では一ミリも理解できないだろう。
山中先生によると、あの論文は全部桂木先生が書いたものだという。
実は桂木先生は、最近画期的な物理法則を発見し、一躍有名になったらしい。
各方面から取材が殺到し、疲れているのだろうか。
だが、それ以上に気に病んでいる気もするが……。
(Part.2につづく)
©️ヒロ法師・いろは日誌2016