Part.1
中間試験が近づく五月。千山葉月は友人である雪城楓からある相談を受ける。
それは、楓の実家の雪城神社で発生している不可解な現象の謎を解明してほしい、というものだった。
葉月は幼馴染の和樹を巻き込んで、怪奇現象の謎に挑むのだが……。
中間試験も近づく五月下旬の日曜日。
わたしは友達の雪城楓と一緒に居館駅前の図書館にいた。
数学でわからないところを教えてもらうためだ。
「ああ、もう!公式の意味が全然分かんないよー!」
わたしは頭に血が上り、茶髪をかきむしった。
「何回か問題解けば分かるようになるって」
「そんなこと言ってくれるのは楓だけだよ……」
わたしは机に顔をうつ伏せた。
「そんな……。花浦君とか、そのお兄さんの方が詳しいと思うけど」
「あの人たちは違うのよ……」
実は、ゴールデンウィークの時分わたしは和樹や宗治さんから「仮進」となった生徒に対して行われる試験の「特訓」を受けていた。
丁寧に教えてくれたおかげで正式に進級となったが、あの「特訓」は厳しすぎる……。
なんせほぼ毎日休む間もなく勉強に次ぐ勉強……。
もう頭がパンク寸前だった。
わたしの部屋を開放した両親も少し恨んだほどだ。
「でも楓は癒しだよ。教え方上手いし、誰にでも優しいし」
わたしの愚痴を聞きながらも、楓は笑っていた。
「ねえ葉月。帰りにうちの神社に寄らない?いい成績を取れるように」
スマートフォンの画面を見ると、時間は五時前だった。
わたしと楓は帰宅準備をすると図書館を出た。
雪城神社。
楓の家が代々神主をやっている神社で、合格祈願や恋愛成就とかで参拝する人も多い。
わたしの家からもさほど遠くは無いから、暗くなるまでには帰れる。
境内に入り、わたしは賽銭を入れた後、鈴を鳴らした。
――赤点だけは免れますように。
全国の高校生でこんなこと願っている人がどれだけいるかはわからないが、多分数えるほどしかいないだろう。
「これでよしっと」
「後は葉月の頑張り次第ね」
「何気に楓もプレッシャー与えるのね」
楓は笑っていた。
わたしはちょっと頭を掻いた。
「そういえば楓のところ神社の改築するんだっけ」
「うん。もうだいぶ古くなってきたからね」
わたしたちは社殿を眺めた。
わたしと楓は小学校以来の仲だ。
和樹みたいにクラスまで一緒ということは無く、中学も別の学校だったこともあったが、それでも時々会って遊んでいた。
子供の頃の夏休みは、よくここで遊んでいたっけ。
「でも、建て替えの日が延びてるの」
「え、どうして?」
この神社はさびれた神社というわけではなく、お金もそれなりにある。
他に何か問題があるのだろうか。
「最近、幽霊が出るみたいなの」
「幽霊?」
「幽霊」という言葉を聞いて、私は少し驚いた。
信じているわけではないが、少しばかりの恐怖感はある。
楓の話によると、中に入って作業をしているわけではないのに社殿の中にあるものが移動したり、中から不気味な音が聞こえたりしているのだという。
実際雪城神社には幽霊が出るいわれがあった。
その伝承はわたしも聞いていた。
明治時代の初め頃、ある士族と遊女が恋に落ちた。
士族は自分の両親に交際を認めるように申し出たが、両親は猛反対した。
しかし、やけを起こした二人は駆け落ちし、この神社で無理心中を図った……、というものだ。
それ以降いつからかこの神社で幽霊が出るという噂が立つようになったのだ。
楓はまさかその幽霊の仕業じゃないかと思っていた。
しかし、家族も神社の関係者もただの風の音だろうと言っていた。
物の怪奇現象も、野良猫やネズミの仕業だろうという話ばかりで、誰も信じてくれなかった。
賽銭泥棒でもないみたいで、お金が減っていた痕跡がないのだ。
だが、神社の改築を請け負う宮大工さんはその怪奇現象と幽霊の話をもろに信じてしまったらしく、怖がって誰も改築してくれないのだという。
「わたしの部屋の隣がこの神社だから、夜も眠れないのよ……」
確かに、真夜中に得体のしれないものがあると思うとわたしも眠れないだろう。
「ねえ葉月。悪いんだけど、今度の休日でいいから調べてくれない?」
ちょっと怖いけど、気になる話だ。
こういわれると無性に知りたくなるのがわたしの性だ。
「もちろんよ。楓からの頼みとあらば断わる方がどうかしてるわ」
「ありがとう!」
その日は土曜日の午後から楓の家に行く約束をした。
しかし、その帰りわたしは妙に身震いしていた。
わたしたちだけで幽霊のいるという社殿に乗り込むのか……。
気がなぜか重い。
翌日、居館高校。
昼休み、友人と昼食を終え教室に戻ろうとした時だった。
「よう、葉月!」
「あら、珍しいわね。こんなところであんたと会うなんて」
ばったり和樹と出くわした。
どうやら部室でほかのサッカー部員と昼食を食べていたという。
「珍しいって何だよ。オレいっつも部室飯だぜ」
「はいはい」
その時、私の頭にある案が浮かんだ。
「ねえ和樹、今週の土曜日は空いてない?」
「ああ、昼からだったら」
よっしゃ、決まり!
わたしの表情を見て察したのか、和樹はこう言った。
「お前、何か変なこと考えてるだろ」
「そうじゃないって。あんた、楓のこと好きだったでしょ」
和樹の顔が引きつった。
「ま、そうだけどよ。もう諦めたよ。雪城は高嶺の花さ」
「一緒に楓の家に行かない?」
和樹の表情が怪しい。
「どうしてだよ」
「中間試験も近いし、一緒に勉強しようと思ってね」
一緒に勉強しようと誘っても、「頭悪い葉月じゃ勉強にならないぜ」とか言っていつもなら断るのだが、今回は餌を仕込んだ。
和樹は頭の裏をかいている。
「ゆ、雪城と一緒か……」
「まだ諦めきれてないんでしょ?わたしも応援するからさ」
その時、いきなり和樹は私の両手を合わせた。
「葉月、ありがとう!その勉強、行こうぜ!」
まんまと餌に引っかかった。
わたしは心の中でガッツポーズした。
授業の休み時間中、わたしは楓の席の前にいた。
ちなみに楓はわたしや和樹とは別クラスだ。
「ねえ、楓。昨日張り切って言っちゃったけど、本音を言うとちょっと怖いんだ。だから、あいつを連れてくことにしたわ」
「あいつって、花浦君?でも、怖いの苦手だったんじゃ……」
「うん。でも、男居た方がいいと思ってさ」
わたしは頭を掻いた。
「あいつ頭いいし、頼りになることもあるからね」
「なら、葉月の好奇心と花浦君の頭脳。二つあるからすぐに解決ね」
思わずわたしは笑ってしまった。
だといいんだけどさ。
そして、土曜日がやってきた。
休日はテスト一週間前を除いて午前中に部活がある。
わたしは家に戻ると、早速勉強道具を持って駅へ向かった。
和樹と落ち合うためだ。
楓と一緒に勉強する、というのは建前で実際は神社での怪奇現象を突き止めるためだ。
このことは和樹には伏せてある。あいつが知ったら絶対に逃げるから。
改札前に和樹は居た。
「葉月!おせーよ!」
「ごめんごめん。じゃ、楓の家に行こうよ」
そして楓の家。
彼女の家は雪城神社の隣にある。
インターホンを鳴らすと、中から楓が出てきた。
私服姿の楓は、白いブラウスに黒いベストを羽織り、赤いチェック柄のスカートを履いている。
「あらいらっしゃい。どうぞ中に入って。わたし、ちょっと宿題の準備してくるから」
楓は家の中に消えていった。
わたしも後に続こうとした時だった。
和樹が動こうとしない。
「和樹、何緊張してるのよ」
「い、いや。オレ、女子の家に入るの初めてだし……。しかもそれが雪城だし……」
こいつ、よくわたしの家に来てるんだけど……。
しかも自分の部屋に入れたこともある。
「わたしは女じゃないわけ?」
「は、葉月は幼馴染だしさ。それに比べて雪城は惚れた女子なんだぜ?」
前者は全然理由になってない気がする。
「とにかく入るの」
わたしは石像のように固くなっている和樹の背中を押した。
勉強会は居間で行われた。
和樹も、楓も宿題をすぐに終わらせた。
わたしだけが終わらない。
分からないところは教えてもらうしかなかった。
「違う違う。そういう意味じゃないぞ」
「わ、分かってるわよ!」
和樹の教え方は丁寧なんだけど、わたしには手厳しかった。
わたしの宿題が終わったのは二時間後。
和樹と楓より倍以上かかってしまった。
「あー、やっと終わったー……」
思わず床に仰向けに倒れる。
「ったく、おまえの頭の構造が知りたいぜ。なんで頭の回転は早いのに勉強はダメなんだ」
和樹は上からわたしを覗き込むと、腕を組んで呆れていた。
「どうでもいいじゃん、そんなのー」
「葉月、そろそろ本題に入ろうよ」
楓の声にわたしはさっ起き上がる。
忘れるところだった。
わたしと楓の会話に和樹は不思議そうな顔をした。
「あれ?勉強会じゃなかったのかよ」
「ただの勉強にあんたを呼ぶと思うの?」
わたしはにやりと笑った。
ここから本当のことを話すと和樹はたまげるだろう。
逃げ出すかもしれないけど、その時はあいつの足を踏んづければいい。
「幽霊捜しよ」
「ゆ、ゆゆゆゆ、幽霊!?」
和樹は思わず後ずさった。
そして、体が震え始めた。
思った通りだ。
「ど、どういう話だよ!」
「楓の神社でね、不思議な噂があるの」
深夜に不審な物音がして、社殿の中にある物という物が増えたり、減ったりするのだ。
「き、きっと誰かの悪戯だろ。幽霊なんて、ただの妄想だろ?」
「でも気になるじゃない?あんた頭いいからきっと解決できると思うわ」
そして楓も説得にかかった。
「本当に夜怖くて眠れないの。葉月のひらめきと花浦君の知恵で解決できると思うから」
和樹の顔から少しだけ緊張がほぐれた。
「ゆ、雪城が言うなら……」
よし、決まり!
というか、効果は想像以上だった。
和樹はどれだけ楓に弱いんだろうか。
わたしたちは楓の家の隣にある神社に向かった。
今は昼間。
特に参拝客はいない。
「なあおまえら本当に幽霊の仕業かと思うのか?」
和樹が両手を首に回している。
さっきまであれだけびくついていたくせに。
「それを確かめるのよ。ま、誰か人間がやってるんだろうけどね」
今は考えてもらちが明かない。
まずは現場を見せてもらわないと。
「楓、社殿に案内してくれない?」
「うん。ちょっとついてきて」
楓に社殿を案内してもらった。
楓は神社の社務所から鍵を借りていた。
雪城神社には真ん中に大きい社殿が一つ、左右に小さい社殿が二つある。
問題の社殿は中央にある大きなものだった。
「ここよ」
楓は鍵穴に鍵を差し込むと、戸を開けた。
社殿の中は暗いため、わたしは持ってきていた懐中電灯で辺りを照らした。
神像や掛け軸、兜などの文化財が奉納されてあった。
一風変わったところはない。
「ここにある物が動くみたいなの。ちょうどこの社殿の裏にわたしの部屋があるんだけどね」
「だ、誰か、何かが隠れてんじゃないのか……」
和樹の声が震えている。
「そんなこと言ってないで、探すわよ」
神様には失礼かもしれないけど、社殿の中を隅から隅まで探す。
だが、誰も隠れていなかった。
捜し始めて十五分。
一通り社殿は捜し終わった。
「やっぱり、何も見つかんねーな」
やけに早口で和樹は言った。
まあ、確かに目ぼしいものは何もなかった。
「でも、気になることならあったわね」
「気になることって?」
楓が尋ねる。
誰かが動かした形跡があるのだ。
掃除はこまめにやってあるようで、目立つところに埃はなかった。しかし部屋の隅など埃がたまりやすいところでは、埃の筋が出来ていた。
「そ、掃除のおばちゃんが動かしたんだろうぜ」
和樹が必死で口を動かしている。
「それだけだったらこう何度も動かす必要ないと思うけど?」
埃の筋は何重にもできている。
つい最近つけられたとみられる筋もあるし、床は一部動かして傷ついた跡があった。
「きっと誰かが何らかの目的で動かしたのね」
「やだ、泥棒が入ったのかしら」
楓は口に手を当てている。
「それはわからないけど。でも、誰かいたことは確かよ」
わたしたちは外に出た。
「ねえ楓。神社に来る人で怪しい人はいなかった?」
「怪しいっていうより、気になる人ね。直接見たわけじゃないんだけど」
楓によると、最近一風変わった参拝客を見かけているという。
それは三人いた。
一人はサラリーマン風の男性。
元気がなさそうで、参拝の様子も熱心だった。
毎日夕方に来ると言う。
二人目は二十代後半と思われる女性。
こちらはサラリーマンと違って、何やら楽しそうな様子だったという。
そして三人目は中学生くらいの少年。
サラリーマンと同じく、元気がなさそうだった。
前者二人と同じく、毎日夕方に来ていた。
「別に毎日来る必要はないのに見かけるのよね……」
わたしは腕を組んだ。
確かに、ただお祈りをするだけならその必要はない。
よっぽど思いつめていることがあるのか、それとも……。
「とりあえず夕方まで待ってみましょうよ。きっと誰か来るでしょう」
そして夕方。
わたしたち三人は神社で適当に過ごしながら時間を潰した。
参拝客はちらほら見えたが、楓の言うような気になる人はいなかった。
待ちくたびれたのか、和樹が立ち上がった。
「あー、喉乾いた。おれちょっとコンビニにジュース買ってくるわ。おまえら、なんかほしいのあるか?」
「何でもいいわよ。楓は?」
「わたしも、別に」
そうか、と頷くと和樹は財布を持って神社を出て行った。
神社にはわたしと楓が残っていた。
「ねえ楓。最近、幽霊以外で何か神社で気になる話とか聞いてない?」
「うちの神社とは関係ないけど、最近神像とか仏像をお寺とか神社から盗むニュースをよく見るわね」
それは県内で多発している文化財盗難事件のことだった。
県内にある著名な神社から文化財が奪われているのだ。
「うちの神社は別に有名なものは特にないけど、一応立て替えた時に防犯カメラでも置こうって話になってるの」
「まあ、いろいろと物騒だからねえ」
その時だった。
「あら、楓ちゃん」
神社の入り口からおばさんの声がした。
三角巾を身に着けたエプロン姿の中年の女の人が現れた。
だが、右腕に指輪をしている。婚約指輪か何かだろうか。
「あ、白峰さん」
「楓、知り合いなの?」
「清掃員の白峰咲子さん。毎日神社を掃除に来るのよ」
わたしも軽く自己紹介した。
「まあ、あなたが楓ちゃんの友達の?仲良くしてあげてね」
そう言って白峰さんは事務所に向かっていった。
白峰さんは夕方に二時間ほど掃除をしていくのだという。
実際、白峰さんは事務所から出た後掃除を始めた。
しばらくして、わたしたちの前にサラリーマン風のスーツを身に着けた、三十代くらいの男性が現れた。
男性は中央の本殿で賽銭を投げ、鈴を鳴らすと、深くお祈りしていた。
何か、本当に救済を求めるような表情だった。
「どうか娘の病気が治りますように……」
微かだがそう聞こえた。
男性は振り返ると、静かに神社を去って行った。
そのサラリーマンと入れ替わるように今度は30歳前後くらいの女の人が現れた。
今度の女性は先ほどの男性とうって変わって意気揚々だった。
何かいいことでもあったのだろうか。
彼女も賽銭を投げ、お祈りをした。
「いい式場が手に入りますように」
どうやら結婚が決まったらしい。
プロポーズされた直後で幸せなのだろう。
女性が去った後、わたしは気になることがあって楓に尋ねた。
「楓、さっきの二人ってあんたが言ってた人なの?」
「うん。二人とも毎日この時間帯に来てたわね」
「あと一人いたわね」
楓は頷いた。
「中学生くらいの子ね。ただ、わたしあの子どこかで見たことがあるのよね……」
楓と面識がある?
過去にあったことがあるのだろうか。
楓が口を開いた。
「そういえば葉月、花浦君遅くない?」
「そうね。もう半時間くらい経つのに……」
神社からコンビニは歩いて五分。
飲み物を買うだけならもうとっくに帰ってきてもおかしくない。
「どーせまた如何わしい本でも立ち読んでるんじゃ……」
「やだ!」
楓は口を押えて驚いている。
そりゃ楓なら退くわ。
とはいえ、漫画や雑誌を読んでいる男子生徒や男の人は良く見かけるし、ファッション雑誌を立ち読みするわたしや楓も、似たようなことをしている。
「迎えに行こうかな」
わたしたちが立ち上がろうとした時だった。
「いてっ!」
神社の入り口から和樹の声がした。
入り口では和樹が十四、五歳の背丈の小さな少年とぶつかっていた。
ペットボトルや缶ジュースがばらまかれ、予想した通り水着の女の人が写った漫画本(少年誌だった)も飛び出していた。
「な、何するんだよ!」
「ご、ごめんなさい!」
少年は素早く階段を上がると、大急ぎで参拝し、ダッシュで神社を出て行った。
時間にして一分は経っていなかっただろう。
「なんなんだよ、あいつ」
和樹は立ち上がって散らばったものを集めていた。
わたしは和樹に詰め寄った。
「やっぱり余計なもの買ってる。おかげで大分待ったんだから」
「悪いかよ。ほら」
そう言って和樹はわたしに飲み物を投げ渡し、楓に手渡しした。
大分機嫌が悪いようだが、楓には優しいのね。
「それで原因は分かったのか?」
「分かったらあんたに言ってるわよ」
わたしが見た中で特に怪しい人はいなかった。
清掃員のおばさんは見るからに怪しくないし、サラリーマンも、女の人もそれぞれ悩みがあるようだった。
少年もやたら急いでいたが、急ぎの用があったのだろう。
結局原因は分からずじまいだった。
時間はもう夕方。
スマートフォンの時計を見るとすでに六時を過ぎていた。
野宿してでも真相を突き止めたかったが、居館では高校生以下の不要な夜の外出は禁止されていた。
「じゃあ楓、明日また来るわね」
「うん。お願いね」
こうしてわたしたちは岐路についた。
(Part.2につづく)
©️ヒロ法師・いろは日誌2016